変な血が流れています

「お伝えしておりますとおり、非常に勢力の強い台風10号は、広島県の呉市付近に上陸し…」

実家の居間で、テレビから何度となく繰り返される台風情報を、僕は「ぐでたま」の表情で聞いていた。その言い方よ。「お伝えしておりますとおり」ってなんやねん。その言葉の先頭には、省略した(もうなんべんも)があるんとちゃうか。

「あまり同じことを言いたくはないんだけど」とでも言いたいかのような、嫌々感を感じた僕は、「ワシかて別に同じ情報聞きたないわい!」と、ぐでたまになったのだ。

8月15日、戦後74年の今日。広島に台風が上陸、と。

おっと、うっかり見逃すところやった。そもそも悪いのはお前とちゃうか、台風10号よ。どんだけ間が悪いんやお前は。台風のくせに空気が読めへんとは何事や。今日広島行ったらあかんやん。と問い詰めたい。

そしたら、さすがの台風も少しはしょげて「私自身も実は、振り回されているようなところがあるんです」とでも弁解するだろうか。

そういうことならまあ、仕方ないけれども。
さて、一日一恥。まさまさのターンです。

親父の信心

うちの親父は、どうやら先祖的なものを大事にしている。所謂、特定の宗教に対する信仰は持たない父だが、この「先祖を大事にする」ことにかけては、それなりの信心の深さを感じさせる。

これは想像だが、父にとって「確実に信じられる」ものとして、先祖の存在があるのだと思う。この世に神さんがおるかはわからんけども、少なくとも先祖がおるから、自分は存在してんねやからと。

だから今朝、起きぬけに聞かされた「今日お父さん墓参りに行くらしいで」という姉貴からの伝聞には、有無を言わせぬ強制参加の気配があった。

お昼にカレーを食べて、出発の準備をする。
親父は先に車に乗り、早く出て来いとばかりにクラクションを鳴らした。

最初の墓場
すぐに到着。まず最初は地元の墓場である。ここには母方の祖父母が眠る。台風の影響か、時折雨は降るものの、大きな妨げにはならない。

父は「ちょっとさすがにそれは多すぎるのでは?」という本数の線香をあげる。1本2本からすぅと煙が上がるなんてものではない。ロウソクから火を移すと、その線香の束は、松明のように赤い炎をあげる。

線香を持つ右手を振って炎を消し、必要のなくなったロウソクの火は、左手で2度、3度仰いで消した。もうもうと線香から煙があがる。親父はその線香の束を、墓石の真ん中にある細い筒に供える。

一瞬大丈夫か、と思ったが、ぴったり入った。姉貴は仏花を入れ替え、僕は墓石のてっぺんや、仏花の容れもんに水を注ぐ。

しばし拝んで、ミッションコンプリート。次の墓場へ行こう。

思い入れのある墓場

次の墓場は、越境した隣接市に位置している。2つの出来事があって、僕はこの場所に思い入れがある。

1つが「墓石の文字」だ。

大学生の始めぐらいの頃、ここに来た時、あまり馴染みのない四文字熟語が、あちこちの墓石に刻まれているのが気になった。
それが「倶会一処」だった。

聞いたこともなく、読み方もわからないので、そのまま漢字で検索すると、倶会一処は「くえいっしょ」と読むこと、さらにそれが「浄土でもまた会おうぜ!」的な意味だと知り、思いがけずぐっと来た。なんやその結束力は。なんやその楽しそうな約束は。なんやこれ。めっちゃいい!めっちゃいい!と妹捕まえて説明した。

もう1つが「湯呑み茶碗」だ。

これは僕が大学生の終わり頃から、仕事を始めて少しぐらいまでの間のいつかという、タイミング的にはぼんやりした頃なのだが、今日のように朝からセミが鳴き、小ぶりの雨が降った日だったことを憶えている。

その日、墓石の台座のような部分に、ある湯呑みを見つけた。至って普通のサイズと模様ではあったが、書道の手本のような書体で、くっきり書かれた文字があった。

「真剣に求めよ」

瞬間、うっと心に突き刺さったその言葉は、生々しかった。真剣に求めよ。恐らくはきっと、そういう風に時代を生き抜いた先祖が、子孫に向けて語りかけている言葉のように感じられた。

蝉しぐれ、墓石に打つは、夏の雨。そんなムードも相まって、僕も「かくあらねば」と思い、大切に心にしまった。

とぼけた人たち

さて、そんな思い入れのある墓場に到着。
早速「水担当」の僕は、バケツに十分の水をためる。

ここでは「3箇所の墓石」に対して、
仏花のお供え、線香のセット、それっぽいところをスポンジで磨く、なんとなく全体に水を掛ける、の作業をした後に、しばし拝む、のルーティーンを繰り返す。

1つ目の墓石
まずは水入れ場に近いこの墓石に、ルーティーンを施す。湯呑みもあった。よしよし。あれ、なんやこれ。

どう見ても文字がない。つるつるのすってんてんである。なんてこった。「真剣に求めよ」どこいってん!これが見たくて来たようなところもあるのに。

姉貴も同じことに気付いたのだろう。「真剣に求めよ…ちゃう」と言った。おお、そなたにもその記憶が!とか関心してる隣で、親父は何も気にしてないようだった。なんで気にならへんねん。あれは誰のコップやねん!

2つ目の墓石
興奮冷めやらぬ中、次の墓石へ。こちらは親父の親父の親父という、父直系のラインである。建立は、親父の兄である「友春」がいついつに行ったと墓石に刻まれている。

親父がスポンジで墓石を磨く時に、おもむろに放屁した。なるほど、これが親父ならではの、照れ隠しの挨拶か。「親父来たで」的な。姉貴と僕はその豪胆さに圧倒されつつも、かろうじて、何でやねんなどと普通のツッコミを入れた。

親父は一向に介せず墓の説明をする。一部は初耳の内容であった。

「うちの親父は、友吉って言うんや。そいでその親父も、友吉や。そいでその親父が、友左衛門や」

即座に「よお覚えてんな!」と返したが、ちょっと待ってくれ。そのポケモンが進化するみたいな名前はなんや。友吉、友吉、友左衛門って。先祖側に進化するんやめ。

ほいで、友左衛門の次の友吉よ。お前は何をしてるんや。普通、同名は一個飛ばしで、父の「友左衛門」を息子につけるんや。また友吉て。襲名すな。

3つ目の墓石
もう一つ、すぐ隣にあるこの墓石は、普通の「3段構え」のような格好はしていない。墓スペースに、ドッチボール大ぐらいの墓石が、どんと置いてある、だけ。これはどうしてなんだろう。ただただ、水を掛けやすい。低いし丸いから、いい感じに水が掛かる。これ何やっけ?と親父に聞く。

墓石には水を掛けすぎることがない。水がてっぺんから同心円状に広がり、流れ落ちる。これ水掛けやすいな。もはやそのフォルムにしか興味がない。親父が言うのを聞いてたはずが、親戚のなんたらあたりで聞く側の魂が抜けて残らない。

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親父曰く、ここには親戚の墓が多くあり、実際はこの3箇所以外にも「関係ある」墓石はあると言った。一応、墓場を歩く時に近づけば、ここはああ、あこはどう、などと説明を受けるのだが、これも魂が抜けて残らない。

ああ、僕にとって、墓参りとは受け身の行為であった。親父とのモチベーションの差に圧倒される。

親父の信心の深さ、僕も持つに至るや、いかに。

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。