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裸に自信のある王様

「人間に一番悪いのは、腹がへるのと、寒いゆうことですわ」

そんなセリフが僕の好きな『じゃりン子チエ』という漫画に出てくる。近所の公園あたりで、夜リヤカーで屋台を出すラーメン屋。そこに来たチエとおばあはん。何かしらの傷心の後で、ラーメンを啜りながらポツポツしゃべるおばあはんのセリフを、商売に疲れてくたびれた屋台のオヤジも聞いた。

そのオヤジが、ボトッとお玉を落とす。

そんな印象的なシーンがあるのだが、多分このラーメン屋のおっさんに負けないぐらいの衝撃を受けた。

この世でめちゃくちゃ難しいのは、自分に近いものをあるがままに見ることである。だからもし、おばあはんのセリフに一言付け足すなら

「あとは、自分のことをきちんと知る、ということですわ」

を加えたい。腹がへること、寒いこと、自分が見えないこと。それだけが怖い、と。

***

友人が遊びに来ていた先週の奥飛騨。とある晩。

同学年でもあり〝35歳未婚〟がシリアスに響くようになってきたね的な、割とよくある話がなされていた。

これぐらいの年頃になれば、決まって聞かれる質問。それは至ってシンプルな問いである。どうして結婚しないのか?

「なんでなの?」ってよく聞かれるんだよね。

そこには、特別の意図や詮索というよりは、おそらくは単純な興味と、幾ばくの面白がりだろうか。そんな経験を一度や二度すれば、自分なりの考えや答えも用意することになる。

とは言っても、基本的にはまぁ人それぞれタイミングもそれぞれだよね的な予定調和な話に落ち着く。ハズだった。

○○みたいに魅力のある人なら、ほっとかないだろうに、何か結婚するよりも優先したいこととかがあるからなの?みたいなことだよね~。
別にそういうわけじゃないんだけどね。

この時点ではまだ気が付かなかった。既に、狼煙は上がっていたことに。

「なるほどね」と受けてから、僕もいつかどこかで聞いたような、したような、”自分なりの考え”を開陳する。

それはでも、ちょっとした押し付けを感じるかなぁ。ポテンシャルあるのにどうしたの?みたいな、”素朴な疑問”っぽい感じではあるけど、そこには「結婚する方がいい人生」みたいな前提がない?

人それぞれの人生に、自分の価値観ありきでグイグイ来られましても。そんな「援護射撃」をしたハズだったが、彼女の返答は少し違った。

いや、別にパートナーは欲しいんだよね。心の支えと言うか、自分の味方になってくれる頼りになる存在は、いたらいいなぁと思うよね。

そっか、そっか。

その辺りから「ではなぜ(したいことが出来ないん)だと思う?」みたいな危険な深堀りがなされていく。思えばここでやめておけばよかったのだが、不意の弾みに飛び出した返答に、僕は止まれなくなった。

***

まぁ私なら、大谷翔平でもイケるとは思うんだよね。

***

最初は冗談かなと。

その後多分30分ぐらいに亘り、質疑応答が繰り返されれることになったが、何をどこから突っ込んだものか。まあここは普通に、相手視点で捉えて(あり得なさに気付いて)貰おう。そこからか。

既に生きる伝説であり、何なら「人類の到達点」ですらありえる大谷翔平という傑物の前には当然ながら、この世で考えられる、あらゆる最高の出会いと可能性があるわけよね。

そんな状況下でフェアに考えて、どうして(もちろん貴女に貴女の魅力はある前提で)あえて貴女を積極的に選ぶのだろうか?

いや、全然イケるんですよ。うーん、少なくとも5年若かったらイケるね。

えっ、見た目とか年齢とかのレベルじゃないと思うのだけど?

いや、私のロジックでは全然掛け算でイケるんですよ。彼は自分を高めてくれる人を求めるタイプ。多分日本人がいいでしょ。英語も出来た方がいい。アナハイムでそういう人がどれだけいるのか。

えっ、その全パラメーターで、もっといい人がいるのでは?

いや、(僕以外の)他の例えばXXとかなら、○○ならイケるって言ってくれると思うけどなぁ。

えっ、それは面白がってるだけでは…?

いや、もちろん誰かしらのセッティングのハウスパーティーとか、そういう出会いの場は必要。ただ、それだけあれば後は「野球をするんですね~」みたいな感じで全然イケると思う。

えっと…。うん、そうか。

そんな問答を繰り返して、思った。

「これは信仰だな!!」

彼女は何があろうと、全然イケるのだ。信仰とは、"主観的な事実"である。事実へのチャレンジは、それがどれだけ客観的な観察であろうと無意味だ。アラーは唯一絶対の神である。疑問を差し挟む余地などなかったのだ。最初から。

永遠にも感じた30分間の果てに、ようやく僕はそれを悟り非礼を侘びた。自分の問いが有意義なインプットになるかも、と思っていたのが甘かった。それこそ価値観のお仕着せをしようとしてしまっていたのかなと思う。

***

僕はやめようと思う。貴女はそのままでいいんじゃないかな。もしかしたら、そうなのかもしれない。全然イケるんじゃないかな。

そんなことを言うと彼女は、その話の締めくくりにこういった。

まぁでも実際、大谷翔平は私のタイプではないんだよね。それが結局、一番の問題だよね。

質疑応答は、質疑嘔吐に。生まれ変わって、新登場。

ここに漂う不気味なもの。これは何かのヤバいやつだ。あまりに至近距離で浴びすぎた。吸い込みすぎた。もう何かをどうにか出来る次元ではなかったのだ。これは緊急事態。トリアージをしないと。人のことなど気にするな。ここでは自分が助かることが、命を一つ救うことになる…。

僕はゲボを吐きそうになりながら、そうだね、と酒を煽った。

ワシも同じことやってるんちゃうやろか

人のフリ見て何とやら。

「自分教」というカルトがあると、『Insight』には書いてあったっけ。彼女がどうかはさて置き、僕にはそのケがあると思う。少なからず自覚がある。自分が自分を信じないで、誰が信じてくれるというのか。自分が自分を愛さないで、誰が愛してくれるというのか。そんな気配があるからである。

一番の味方であり、親友であり、恋人であるがゆえに、全くの盲者である。何も見えてない。自分が自分のことを、一番フェアに見れない。

これが「自分教」の怖いところでもあるのだろう。

適切だった自信も、過信に変わり、ついには盲信になる。フィルターが濁ってフェアさが崩れる。第三者的な意見でも、自分に都合の良いところだけを選択的に取り込めば、偏りは修正されないどころか、加速さえしうる。”客観的な評価も伴った”自分なのだと。

そして、自分教が強化されてゆく。

一定のレベルを越えれば、ほとんど「自己無謬の宣教師」の様相を呈する。あらゆる状況から自己肯定の讃歌を聞いて、自らその解釈を人にやかましく伝えるようになる。胸には自己愛が溢れ、言葉に〝I(私)〟が踊る。

他人にはその状況は見えすぎるぐらい見えていて、何なら食傷気味にもなってるだろうから、敢えて何も言わなくなるか、サジを投げて「○○らしくていいんじゃない?」などと言い出すことになる。

ああ、この状況をどう取るか。きっとこうなる。「何も言われないこと」を一目置かれた賛同であると取り違え、皮肉を込めた「いいんじゃない?」もTwo thumbs upに取り違える。全てが自己愛の魔城の石垣になる。

これはちょっとおとろしい。

エゴの取り扱い

あなたは、俺は俺はと主張が激しすぎるんじゃないの?それでも一緒にいてくれる人を大事にしたほうがいいよ。私にはちょっと無理だわ。

いつしか言われた言葉が脳裏をよぎる。他人に対しては「やっとんな」と見えることでも、自分のことになると”自分なりの正当性”を主張したくなる。僕は基本的には「少数派」の肩を持ちたい派である。可視化された数の多さが正しさに読み替えられがちな中でも「一分の理」を支持したい。

誰が何と言おうと、自分を自分として押し出すこと。それはカルト的なところがある。思い切った開き直りがないと、所詮はそこまででもある。

だがしかし but。けどけれど yet。

そこには一分の理が、キラリ光るナニカだけは。どうしたって求められる。小賢しいテクニックではなく、本物の突き刺さるような。

そういうチャレンジが出来たらいいなと思う。ただもしそれが難しいなら、一撃で刺すようなナニカを持てないのだとしたなら、きちんとしたベタオリの技術も併せ持つことが検討される。Like Below。

この「自分教」に対する対抗策として、『Insight』という本では3つ紹介されている。

1. インフォーマーを目指すこと
2. 謙虚さを養うこと
3. 自己受容に励むこと

1.は、自分の情報(Me)を伝えるミーフォーマーではなく、自分と関係ない情報(役に立ったり、楽しめるような)を伝えるインフォーマーを目指そうということ。2.はそんな他者的な視点を持つに留まらず、自分自身の能力の不足に目を向けようということ。そして3. は、そんな自分の不足に対しても自己批判的になるのでなく、その不完全さを理解した上で、好きになろうとしてみること、だと言う。

そんな風にして、根拠のない自己陶酔にお別れを告げ、地に足のついた自己認識を高めていけばいいよ、てなことらしい。

正論ってのは、ちゃんとしてるなぁ。

「一日一恥」後記

自分のことはよく見えない。

文章には「ヒト」よりも「モノ」や「コト」を扱う方がよいぞ、とな。そんなものなのかもしれない。

とりあえずは、僕側での任意の切り取りと解釈によるフィクションと捉えて頂ければと思う。その方が体にも優しそうである。

エロイムエッサイム 我は求め訴えたり​

とは言え。

”我が我が”は、悪魔だけを呼び寄せる魔法なのだろうか。主観の先にだけ見える神様はありえないのだろうか。そこのところは、まだよくわからない。

(以上)

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Masato | まさまさ牛歩の旅
よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。