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サラリーマンのプリズム

二十代の半ばに渋谷にすんでいたころ、わたしは、ごはんを食べ損ねた残業日の夜は、いまはもうない「田神」というバーに行って、時々「何か、美味しいもの」をつくってもらっていた。

その夜も一人で田神にいた。お腹も満ち足りてボケーッと飲んでいたら、隣にすわった、3つか5つか年上くらいのお兄さんが話しかけてきた。

カウンターの中の二人が揃ってゴツい大男で、常連さんたちも筋の良いお店だった。一人で酔っていても、変なナンパとかはない、あっても助けてもらえる安心感があって、警戒せずに飲んで話せるのも気に入っていた。

会話の流れや具体的な文言は忘れたが、とにかく、おとなりさんが自分で事務所を持った建築士だとわかった辺りで「あなたは何してる人ですか」と聞かれ、わたしは「サラリーマンです」と答えたのだ。

そしたら、急に、お兄さんは

「自分を称するにサラリーマンなんて言うのはだめだ!もっとプライドもて!」

と、説教モードになった!

こちらも酔っぱらっていたので、いやいや、むしろわたしはプラウド・リーマンですが、サラリーマンをディスるなら受けてたちましょって感じになったところ、連れの方(二人組の片割れだったのでした)が、

「まあまあ、ごめん、こいつ企業勤めしたことないから羨ましいんだよ、酔っぱらっちゃっててごめん」と、なだめてくれたということがあった。

その視点はなかった。言葉が逆のベクトルだったけど、今思い返してみると、もしかしてそういう要素も本当にあったのかな。

そのエピソードを思い出したのは、最近こっちがわになってから、プロフィールに脱サラって書いてたらサラリーマンである人に「脱サラってなに?」と、毒のある聞き方をされたから。

此度もまた、わたしとしては「サラリーマンでなくなること」をフラットに表現した以上の思いはなかった。そこには諧謔も優越もなく。

しかしどうやら、企業勤めの人種と自分で糊口をしのぐ人種の間には、深い溝があるようだ。

みんなというわけではないけど、どちらの世界にも、その言葉使いには屈託をもってほしい人がいるようだ。ぶっちゃけめんどくせぇと思うけど、プロフィールに「脱サラ」という言葉を使うの、やめました。。。

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