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お芝居とは判官贔屓なものだけど

お笑い芸人の西野氏が、所属する吉本興業のマネージャとのやりとりをオンラインサロンで開示して退社に至ったというニュースを何個か見ました。どの記事も概ね、西野氏が掟破り、事務所はかわいそう、誰々さんも批判 and/or 説教して高感度アップ(ほんとに?)的なトーンで、私はマスコミってつくづく判官贔屓だなあ、って思いました。

判官贔屓(ほうがんびいき)というのは「弱い立場に置かれている者に対しては、あえて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せる」傾向のことです。元来、判官=源義経 a.k.a. 兄さんの頼朝に冷たくあしらわれた可哀想な牛若丸のことです。(ここでの例えは、吉本興業の方が牛若丸ね)

その言い方に大いに問題あった感じだけど、西野氏は本筋では正しい方に向いている印象です。彼は自分でやっていけるし、事務所は足を引っ張ることしかしないと感じたんでしょう。

その圧倒的な強さが、こぞって批判的な取り扱いを受ける理由なんだと思いますが、私が気になったのはね・・・西野氏が提案することについて会社は「例外的に耳を傾けてやっていた」だけど「堪忍袋の尾が切れた」的な、チグハグな上から目線の書き方です。そこ、しっかり切り分けてほしいんだけど、組織に対して個人がこうした方がいいということを提案すること自体は普通であっていいよね。一方的に組織が個人に隷属を求めるのは古いよ。

私はむしろ、吉本のカルチャー(と、それに象徴されるクラシックな日本の組織のあり方)の方が、今、変わらないと生き残れないカーブに差し掛かってきているって感じます。

それは、別途、大企業の安定した仕事をやめて芸人になった友人から「最初は固定収入に惹かれて大手芸能事務所に所属したけど、持ってった案件は潰されるばかりだし、最悪。こんなの自分で営業した方が早い」と聞いたことも関係しているかもしれません。彼は、今は独立してYoutubeとか使って活躍しています。

まあ、一周回って思ったのは、マスコミがやっていることは概ね大衆受けを狙ったお芝居で、お芝居というのはそもそもファクトを無視した判官贔屓なものだから仕方ないなって。最近は、マスコミが「大衆」を当て込んで書いた記事が、実際何割の人に刺さっているのかってのも怪しいけどね・・・。

あともう一個の学びはメールやチャットで喧嘩をするなってことですね。 

→ ムカっとしたら一旦打ち返すのをやめて、よりダイレクトなチャネルを使いましょう。電話か、できるなら直接顔を合わせて話しましょう。

ああ、顔を合わせた喧嘩が、早くできる社会に戻ってほしい。

言い添えると私はお笑いに疎くて西野氏のこともなんとなくしか知りません。そういえば上記の芸人の友人・コケオは「西野氏に憧れていて、直接会う機会に大興奮だったんだけど、彼はかわいい女の子のファンにはニコニコするけど自分みたいなおっさんはには”あ、そう”って感じで冷たかったから、ちょっと好き度が下がった・・・」とも言っていました。だからきっと実行力がある分、人当たりもダイレクトな方なんでしょうね。

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