見出し画像

クラリネット少年

クラリネット少年
私は苦もなく楽もない、ありふれた家族の末っ子として産み落とされた。
孤独を感じずされど保守的な扱いもされぬ、
物は上からの使い古された物を使い、幼くして目新しいモノへの興味を持てずにはいられなかった。
幼き私には大切な物があったと記憶する。

今あるこれが相違のないモノではないかもしれない。
多少の美化や風化を経て作られた虚像かもしれない。
私は祖父の砂時計を愛していた。
落ちる砂が小さな宝石のように落ちていく様がなんとも摩訶不思議で1分後にはさらりと消え落ちていく時が儚くさえ思わせる。

ある晩、この宝石の中身に触れたくなった。
私はどうにかして閉じ込められた宝石を手に取りたかった。そして夜更けに小さなガレージの薄暗く、蛍光灯だけが私と砂時計だけを灯す中で、丸く4本の柱で囲まれた小さな鳥籠のような砂時計を灰色の地面に打ち付けた。

見事に木で作られた4本の柱の数本は取れ、ガラスは割れて宝石は灰色の地面と同化するように砂となった。
その瞬間にとてつもない罪という意識が芽生えた。
幼き私にも容易にその後の結末が目に浮かんだ。いや感じ取ったが正しいだろう。
この砂時計は元には戻らない事も、これを隠すことさえもできないことも、知っていた。
打ち明けようにも、もう眠りについている母や父には話すことはできない。
だから唯一できた事は手紙を書き置く事だった。
今思えばあれが所謂人生初の反省文と言えよう。
「砂時計をこわしてしまいました。ごめんなさい。
許してください。」多分このような三行程度の反省文だろう。
大切なモノを大切にするあまりに壊れてしまう事は
今になっても多くある。

人も物も目に見えない人それぞれの見え方も。
たった一度打ち付けた結果であっさりと宝石はただの石になる。輝く砂はただの砂となる。
しかし1分後にはひっくり返す事で新しい時が進む。