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オダマキ

私は多感な時期は十四の時だろう。
概ね皆その時期が多い事はあらゆる心理学で証明や定義づけされているであろう。

私はこの時期道化のような振る舞いをしていた。誰かに頼り居場所を求め、のらりくらりと居心地が悪かろうと捨て置く事はできなかった。どこかで誰かはきっと私を滑稽なような目で見ていたと感じる事はしばしばあった。
笑ってもらうために取り繕う事を芸として、どうぞ嘲笑してくださいと踊り狂った。
その時期にそれはそれは親切な友人たちが僕にはいた。ある昼過ぎ僕は遅れてその友人たちの元へ向かった。もちろんそこに罪悪感があり、その償いをしようと考えた。

稚拙な考えと言えようか、まぁその手段が相応にして今できる事となるのはいつの年も変わらないであろう。それは対価として金銭である。ご飯を奢る。奢る事はその歳においてもある種手っ取り早いところと言えよう。
友人たちのうち二人は提案に応えた。だが一人はそうはいかなかった。
「俺はいいや」これがとてつもなくその時の私には困らざるを得なかった。
こちらも他にどうすればいいのかわからず、
結果としてはそのまま流された。

僕はその時の状況を何故か忘れることができない。きっとその時の一人の表情であろう。
何かを諭すような哀れむような顔が、私の、僕の全てを見透かされてるような。
その時の私はきっと何も友人たちと共有をする事はなかった。全て与えられていた。自分の行動は独りよがりの行動そのもので、常に小さなレールの上を一輪車でバランスをとりながら、おぼつかない足で前後に行ったり来たりしていたであろう。私も滑稽だと嘲笑するしかなかった。

そこには道化になり損ねた
阿呆がクルクルと回っていた。