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私を構成しているモノたち

ただ聴いてほしい

過去と他人は変えられない
未来と自分は変えられる
カウンセラー養成講座などに行くと
傾聴と共に絶対言われる言葉ですね

私は不良中年カウンセラーですので
この言葉を大切な基本だと思いつつ
「正論ばっか言ってんじゃねーよ!
それが出来ないから苦労してんだ!」
と、綺麗事抜かす同業者に悪態ついてます

そんな自分も、正論、出ちゃうんですよ…
ほとんどのケースで相談者さんは
正論なんて求めてないんです

ただ聴いてほしい
包み込んでほしい
抱きしめてほしい
頑張って頑張って、もう耐えきれない自分を
えらかったねって
がんばったねって
(安心して、泣いていいよ)って
ちいさなあたまを撫でてほしいんです

つい正論が口に出てしまうたびに
あぁ、またやってしまった…と
自己嫌悪におちいる不良中年です


絶対無敵少年

子供の頃は無敵でした
世界は自分を中心に回っていると
かけらも疑わずに信じてた

幼稚園では園の集合を無視して
女の子と砂場で遊んでました
小中高では(たぶん)いじめられてましたが
詩を書いたり自分の世界に夢中で
なんかハエがちょっかい掛けてくるなあ…
程度にしか思ってませんでした
恋愛も含めて、他人は眼中になかった
自分のことだけしか見えてなかった

だけど
その頃が人生でいちばん少年で
なにかに熱中できていた希少な時代だった


人生の落とし穴

他人に興味がなく
作詞やゲームや習い事ばかりしてた私
ゲーム制作の専門学校に通いつつ
夜は喫茶店や結婚式場でアルバイト
土日は茶道や華道、日本舞踊、朗読教室
劇団ひまわりに所属して演劇のレッスン
ほんとに、ほんとに、楽しかった

今の私を肯定するならば
今まで生きてきた私の軌跡を肯定すべきだけど

それでも思うの
あの頃の日々が夢なら
夢から醒めないでほしかった
ずっと夢だけ見ていたかった

私は初めて恋愛というものをした


恋愛ごっこ

あまりよく覚えていない
いつもどおり友達と飲みにいって
いつもと違って何故か家まで送られて
押し倒されてキスをされて

よくわからないまま
私は彼女と付き合ってることになった

よくわからなかったけど
彼氏彼女の関係になったらしくって
私は一生懸命に恋人を演じた

そしてほんとに、よくわからないまま
振られることになった

「友達に戻りましょう」と言われて
私は嬉しかった
ああ、やっと友達に戻れるのか、と

そんな言葉は嘘だったけどね


心理学を学んでみようと思った

初めての恋愛/失恋のあと
私は2回目の恋愛をした
お相手は劇団ひまわりのマネージャーさん

その頃パソコン教室をしていた私は
よく劇団のPCトラブル解決を請負ってた
お礼をしたい、と言われるので
じゃあハーゲンダッツ奢って!と
やり取りをしていくうちに仲良くなり
告白され付き合うことになった

2回目だし大丈夫だろうと思った
自分なりに前回の失敗を学習したから
だけど、今回も長く続かず別れることになった
そして、前回と今回、似ていると思った

私に父親のような父性を求める彼女
それを満たされなくて去っていく彼女

あまりにも似すぎていると思った
だから私は心理学とカウンセリングを学びに
通信制大学に通うことにした


こころ✖身体✖環境=人間

人間総合科学大学(埼玉県/通信制)
年間学費24万程!専門、短大、大卒なら
3年次編入学可能!試験はオンライン可能!
交流分析(TA)に詳しい島田凉子教授が在席!
興味のあるかたは是非!(Direct Marketing)

なんていうか、全ての授業が納得だった
青年期心理学や発達心理学、人間関係論
すべてが自分の経験してきた過去と繋がった

私がカウンセリングや雑談でする例え話
その半分くらいはこの学校で学んだものだ

口唇期固着がある(乳児期おっぱいを吸い足らなかった/満たされなかった)と口寂しくお菓子やタバコが手放せなくなったり

肛門期固着がある(トイレトレーニングが厳しかった)と物を捨てられない/ケチになったり、逆に反動で散財するようになったり

大学の基本理念が
「こころ、身体、環境で人間は出来ている」で
これはそのまま私の理念にもなっている


交流分析との出会い

過去の恋愛の失敗は
交流分析で説明することができた
私は最終的に全員が嫌な気持ちを味わう
「ゲーム」というものを行なっていたのだ

私がしていたゲームは
「あなたの役に立ちたかっただけなのに」

彼女が私に相談する
私はうんうんと聴いている
彼女が私に相談する
私は何度もうんうんと聴いている
彼女が私に相談する
同じ愚痴を繰り返す彼女に、口が出る
「それは〜なんじゃない?〜してみようよ」

彼女は、ただ聴いて欲しかった
意見なんて求めてなかった
お説教のようにも聞こえただろう
彼女は「でも、でも。だって!」のゲーム
最後には破綻することを無意識で知っている
被救助者から迫害者へと変わるゲームをしてた

私は
「あなたの役に立ちたかっただけなのに」
援助者から被害者へと変わるゲームをしてた
どれだけ相手に尽くしても
最後には破綻することを無意識で知っていた

一見無意味に思えるゲームだけど
暇つぶしができること
ストローク(注目/関心)が貰えること
自分の人生脚本が正しいと再確認できる
などの(当人にとっての)メリットがある

だからゲームの最後には
(やっぱり私が思った通りになった、やっぱり)
という嫌な気持ちと、安心を得て終わる

人間関係で同じような失敗を繰り返すときは
なんらかのゲームに巻き込まれてる場合がある
交流分析のゲーム分析を勉強すると
そこから抜け出せるかも知れません


脚本分析/人生脚本を分析して再構築する

次回更新予定…

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