センスについて


センスとは、良い仮説を立てる能力のことだ。

センスがある人は何がうまく行くかの仮説をすぐに立てられるので、素早く質の高いアウトプットを出せる。

センスがない人は、誤った仮説を立て、検証し、誤ったと気づき、他の仮説を立てる。いつかは辿り着くかもしれないが、スピードが遅く、締め切りまでに出せるアウトプットの質が低くなる。

センスを磨くには、仮説を立てる能力を高めると良い。では、どうすれば仮説を立てる能力を高められるのか?

そもそも、仮説を立てるときの思考は、アブダクションと呼ばれる「結果から原因を導く推論」だ。探偵が犯人の推理をするかのように、周辺情報や過去の経験を統合して、妥当な仮説を立てる。

ここで重要なのが、「周辺情報や過去の経験を統合して」という部分だ。

アブダクションはロジカルシンキングとは違う。ロジカルシンキングが、目の前の情報のみから演繹・帰納的に、結論を導くのに対し、アブダクションは、目の前の情報とすでに頭の中にあるさまざまな情報を組み合わせる中で、ぼんやりと浮かんでくる可能性に目を向ける。どの情報をどのように組み合わせるかは、少しランダムな部分もあり、完全にロジカルではない。

ロジカルシンキングが強い人でもセンスがない人がいるのは、演繹的や帰納的な推論が上手くできても、アブダクションがうまくできるとは限らないからだ。むしろアブダクションのランダム性を嫌い、ロジカルな思考に逃げようとさえする。

アブダクションをうまく行えるかは、さまざまな情報を統合する思考への慣れもあるが、普段から、統合しやすいように情報を抽象化して頭に入れているかが肝心だ。

ここが努力のしどころだ。日常の1つ1つの出来事を、正しく理解し、適度に抽象化し、活用しやすい知識にして頭の中に入れておくことで、いざセンスが求められる場面で、その知識を活用できる。

りんごが落ちることから万有引力の仮説を導いたニュートンは、モノの動き方を抽象化した物理法則が頭にあったから、これを統合できた。

日常で出会う1つ1つの出来事からは、モノやヒトに関するモデルを導くことができる。例えばこのポストもセンスがある人の観察から生まれたものだ。「様々な情報を統合して、ぼんやりと浮かび上がる可能性に目を向ける思考」はある程度、抽象的だろう。

重要なのは知識の質だ。知識の量も当然重要だが、量にフォーカスすると、どうしても質が悪くなる。不正確で活用しづらいゴミのような知識が100個あっても、質の良い1つの知識に劣る。ゴミは頭の中から定期的に掃除されるので、そもそも知識が残らない。だから、とにかく知識の質を重視するといい。

質の高い知識を得るには、1つの出来事を30分、1時間、時には数日かけて解釈する必要がある。他の人と議論して解釈を吟味する必要がある場合もある。SNSから大量の情報が流れてくる中で、これは行うのはそう簡単ではない。すぐに別の出来事に注意が逸れてしまう。そういう意味では、センスのある人はどんどん減っているのかもしれない。

だからこそ、実行すると相対的にセンスが磨かれる。自分の注意を1つの出来事に向け、それを食らい尽くす。こうして得た質の高い知識を、新たな事象と統合し、良い仮説を導く。これを繰り返すうちに、センスが身につくのだろう。

https://x.com/sticksalt2?s=21

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?