映画「ボーはおそれている」/エディプス・コンプレックスの話

心臓病のため「セックスしたら死ぬ」という宿命を背負った男ボウ(彼の家系の男はみんな腹上死してる)。50歳を過ぎても定職に就かず母親の支援を受けながら、劣悪な環境で1人アパート暮らしをしている。友人はいない。幼少期のトラウマに長年悩まされカウンセラーの元に通う日々。

ある日、母親の70歳のバースデー記念のため実家に帰ろうと支度していたが、自宅の鍵と鞄を盗まれる。母親に電話して説明するが、納得してもらえない。翌日改めて母親に連絡したら、配達員の男が電話に出て「あなたの母親はシャンデリアに頭を潰されて死んでいた」。ボウは気が動転しながらも、母親の葬式に出席しようとする。その後、紆余曲折がありながらも実家にたどり着いた彼は、自分の過去と正面から向き合うことになる。

この映画は、フロイトのエディプス・コンプレックス(&去勢コンプレックス)がベースになっていると思う。人が幼少期に精神的に自立する過程において、威厳のある父親の存在が欠かせない。(ペニスが切られるかもしれない)と恐怖することで父親の言うことを聞くようになる。そのことが道徳や規範となり「自我」の確立につながる。人は道徳を持つことで、善悪の判断が出来るようになる。

ボウの場合は生まれたときから父親がいない。また、心臓病を理由にSexも禁止されている(去勢済み)。父親不在の状態で、道徳や規範を獲得することなく大人になってしまった彼は、実生活でどんなに理不尽な目にあっても他人を怒ることが出来ない。唯一、母親の首を絞める場面があるが、これは無意識的なもので、途中で正気に戻ったボウは手を離した。最後まで手を下していたら自立出来たかもしれない。

映画の終わり、母親を殺したボウが、裁判を受ける。これまでの人生の選択を検証。否とされる。無罪を訴えるボウだったが、周りは何も動かない。この年齢になるまで困ったときに助けてくれる他者と関係を気づいてこなかったことを理解した彼は水の中に沈んでいった

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