映画『PEFRECT DAYS』
トイレ清掃員の独身男 平山(役所広司)の丁寧な暮らしをドキュメンタリー調で描いた作品。50過ぎ独身男。下町の風呂無しボロアパート住まい。早朝から週6の肉体労働。友人も女もいない。言葉だけみれば絶望的だが、男の生活に悲壮感はない。平山は確固たる生活のルーティンを持つと同時に日々のちょっとした変化に気付く「目」を持っている。映画を観終わる頃には「自分も平山さんのような生活を送りたい」と思わせる魅力が彼にはある。
最初は、平山さんが聖人君子過ぎて、感情移入できなかった。冒頭、公園のトイレで迷子になっていた子供を母親の元に連れて行ってあげたが、母親はトイレ清掃員の平山さんを無視して立ち去るシーンがある。(最後に子供が手を振ってくれたとはいえ)笑顔でやり過ごす平山さんを見て「こんなやついねぇよ」と。フィクションとはいえあまりに現実味がなかった。
映画の中盤、平山さんが感情的になる場面があった。ある日職場の後輩が突然仕事をバックれる。人手不足で遅くまで働かなければいけなくなり、平山の生活が壊れていく。仕事終わりの銭湯に行けず、行きつけの店での晩酌も出来ず、就寝前の読書をする気力もない。仕事終わりに「こんなの毎日は出来ないからね!」と職場に怒りの電話を入れる。それまでの彼の態度からすれば、ここまで感情的になるのは少し違和感があるが(実際、脚本には無かった場面で、観客が平山に感情移入しやすいように後から監督が追加したらしい)このシーンがあることで平山が一気に身近な存在になる。
平山の生活を見て分かるのは、同じ1日を毎日続けることはできないということ。どれだけ当人が丁寧な暮らしをしても、確固たるルーティンを守っていたとしても、どこかで生活が「揺れる」瞬間がある。社会と関わって生活する以上、他者からノイズをもたらされる。天涯孤独の平山でも、職場のダメな後輩に金をせびられたり(その後バックれたり)。飲み屋の女将が男と抱き合っている場面を目撃したり。家出してきた姪っ子が居候にきたりする。そういう 「揺らぎ」は避けられないが、だからこそなにげない日常が輝く。
#perfectdays
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