行きたいところに行ってみた結果
急きょ思い立って鹿児島に行ってきました
ほぼノープランのお一人様旅行です
目的はただ1つ 知覧に行くこと
知覧特攻平和会館
ずっと前から行ってみたかった場所です
行きたい理由は自分でもよくわかりません
ただ行く必要があるのだと思ってました
行って号泣して感情を解放させて
帰ってくるつもりでした
行く前にどうしても読んでおきたかった本
『人生に迷ったら知覧に行け』
直前に買い求めて
2日前に読み 感情が昂り
行きの新幹線の中でもう一度読み
自分の中で神聖な場所に立ち入らせていただくような感覚で知覧へ向かいました
ドキドキしながら館内に入り
ゆっくり展示物を見て回り
2時間半位はそこで時間を費やしたでしょうか…
くまなく見れたわけではないですが
私はあまりの自分の冷静さに少し驚きました
もっと号泣するものだと思ってました
涙は出るのです 当たり前ですが…
けど 想像以上に 冷静に
目の前の展示物を見てる自分がいました
なぜだかわかりません…
それよりも
写真に写る青年達を眺めながら
彼らは自分の命と引き換えに
後に何を残したかったのだろうか
どんな未来を信じて飛び立っていったのだろうか
今は彼らが信じた通りの世界になっているのだろうか
今を生きている私には何ができるのだろうか
そんなことをずっと考えてました
教えてくださいと
食い入るように写真を見つめていました
死を目前にして書かれた手紙
丁寧な美しい文字で
遺書 と書かれていました
最初で最後の親孝行ですとか
笑って征きますとか…
どんな思いでその手紙を書いたのかは
本人にしかわからないけれど
みんな生きていたかったはず…
だけど生きることができなかったという事実がある
今の私には
その彼らが望んでいた明日というものが約束されている
私の人生の1/3位しか生きてない
未来に夢も希望もあったはずの若者が
国を守るために命を捧げなければならなかったという事実
国を守ることと引き換えに絶たれた命があり
その命があって今の私の生活がある
明日の命が約束されている私は
一歩でも進んでいく使命があるのではないだろうか
色んなことを考えながら
最終的には1人1人が幸せになることだよなぁと
個人個人が幸せを感じて生きることができれば
その周りも幸せになるし
その延長線上に日本や世界の平和があると思う
幸せになるためには
自己犠牲はよくない
自分を大切にすることが必要だとかよく言われるけれど
もちろんそうだと思う
ただ 純粋な愛の気持ちからの自己犠牲なら
それは自分の気持ちを大切にしていることなのでないかとも思う
(これは主観なので賛否両論あるとは思いますが)
全てはバランス
極端ではなく 中庸でありたいと思う
明日を生きたくても生きられなかった若者がいる
もし明日が最後だったなら…
そのことを頭におきながら
今より少しだけ
感謝の気持ちを持ったり
笑顔で生きるようにつとめてみたり
目の前の人に思いやりを持って接してみたり
とにかく
今より少しだけ を意識して
今日の行動をしていこうとあらためて思った
翌日行った桜島は
大雨の後で開聞岳がはっきりと見えなかったけれど
開聞岳(薩摩富士)を左手に見ながら
眼下に広がる海の上を飛んで行った彼らは
大空の向こうにどんな未来を夢見てたのだろうか…
そんなことを思いながら
今生かされていること
健康な身体があること
知覧に行くことができたこと
美味しくご飯が食べられてること
などなど…
大小様々なことがおきてるこの一瞬一瞬に
より一層の感謝の気持ちが湧いてきた
帰りの新幹線でまた本を読み
この体験をここから私の人生にどう活かしていくか
あらためて考えていこうと思いました
長文になってしまいましたが
知覧に行っての今の気持ちを
備忘録としてここに残しておきます
最後まで読んだいただきありがとうございました
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