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遺失物への執着——卒業論文集の巻末言

この文章は私が指導に関与したゼミの卒論集における巻末言です。
短いですが、講師や図書館員、研究員などを非常勤として兼任してきたここ2年間を振り返る文章にもなった気がするので、ここで公開します。4月から図書館専門職員として広島で働く未来の自分と、いつかこの文章を通じ「再会」できますように。

 多くの人にとって激動の時期だったのだろう論文執筆、或いは学生生活全体の集大成として発行されるこの卒論集の巻末に、ひっそり文章を入れ込む機会を頂けた。すべてを読み終え「あとがき」に至った皆さんは、この文章を見つけてどういう感覚だろう。授業での「本や論文を読む際に『はじめに』と『おわりに』をまず読むと論旨全体の理解がしやすくなる」という私の発言を、皆さんは覚えているだろうか。誰か一人でも記憶されていて、そのうえでこの文章に至ったのであれば、助言者としてこの上ないことである。そのうえで、だ。せっかく発見していただいたついでに、この問いを投げかけてみたい。数十年を経て、皆さんがこの文章に「再び」出会うのはいつだろうか、或いは、もう出会わないのだろうか、というものだ。

 私が卒業論文を書き上げたのは7年ほど前のことだが、当時のことは鮮明に記憶している。文学部の臨床心理学ゼミで精神分析・分析心理学を専攻した私は、自身の不明確なフロイト・ユング理解を披露しては顰蹙を買っていたが、非常に多くの経験を積むことができ、今となってはいい思い出だ。だが、一つ悔いていることがある。ゼミ長にも関わらず卒業論文集の作成を怠り、卒業後に電子データで配布したことだ。紙の持つ物理的肌触りを持たない電子データというものは、その性質ゆえときに閲覧してもらいにくいだけでなく、不意に存在を忘れがちだということは、私が図書館員として働いて強く感じたことでもある。かつて私が電子データとして発行した論集は、コンピュータの買い換えや卒業に伴う学内メールアドレスの失効も相まって、今やどのコンピュータの何処にあったのかも分からなくなってしまった。誰がデータを保存しているのかも、卒業し7年経過した今となっては分からない。大事な思い出だったはずなのに、いつの間にか手元からいなくなり、コンピュータやネットワークの海底数万マイルにて、救われないまま永久に沈んでしまったのだ。そんな失くしたもの、遺失物への執着が、思えば記録や保存に関する仕事たる図書館員としての人生を選択した起点の一つだったと、この文章をしたためながら思い返している。

 さて、この論集が手に渡るとき、皆さんは既に新生活に向け引っ越しを終えたかもしれない。私も京都市内の自室を引き払っていることだろう。2024年3月時点の皆さんがそうであるように、私たちは絶え間なく変化する環境に順応するため、新たなものを取り入れてどんどん変化していく必要がある——そして、新しいものを取り入れれば取り入れるほど、過去の記憶はどんどん自己の奥深く、数万マイル底へ沈んでいくことだろう。そんな皆さんの変化を、この論集は一体何処で、どんな状態で見ていくのだろうか。皆さんが生まれ育った実家の本棚だろうか、或いは学生生活の思い出を詰め込んだ、段ボールの奥底だろうか。いずれにせよ、数十年の時を経て別人のように大きく変わった皆さんが、遺失されずに残った論集に刻まれた過去と「再び」出会い、さらに変身していくことが出来たのであれば、この「あとがき」は役目を全うしたことになるだろう。

 皆さんとの再会を、未来で期待しています。

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