話題のBL漫画を読んで

ある日のTwitterでとある作品が目に止まった。

『売れっ子漫画家×鬱病漫画家』

というものだった。

BL漫画というジャンルを聞いて、疎い俺は「恋愛劇の展開が評価された漫画なのだろうか」とか、「描かれた男性たちの美しさ(作画の完成度)が評価に上がったものだろうか」という推測を浮かべた。

しかし実際はどうだろう、現段階で恋愛劇らしいものは描かれておらず、作画も読みやすくもラフなタッチだった。おそらくここまで話題に上がったのはこの点を中心とはしていない。

では、どこを中心に評価されていたのか


『漫画が描けなくなってしまった漫画家』の設定への共感と作者の描写の上手さだと思われる。


ここからは熱を込めてこの漫画の面白さを語りたいのだが、これにはネタバレの表現と主観を交えるので、未読の方の印象の左右をしてしまう恐れがあるので注意していただきたい。

すでに読んでる人は、そうだな。かなり長くなるのでおいしいお茶でもお茶請けでも用意してきて欲しい。文章が拙いのでそれでお茶を濁してください。


この漫画の設定は面白い。

まずは鬱病の先生である葵さん

彼はまず読切が載り、単行本を2冊出せすことができる。この段階で漫画を描くことにかなり苦しんだ描写もあるが、結果的に賞をもらうなど華々しいものだった。

彼が変わってしまったのは連載を持ってからだ。売れる漫画を求められて、自分の描きたいものがわからなくなり、やがて筆を折る。

このことから精神や生活まで蝕まれいく絶望の様は、何話を跨いでも生々しい描かれていて、これに"刺さる"漫画家やイラスト職のコメントが多数上がっていたように見えた。


反対に売れっ子先生の望海さんはぶっ飛んでるくらいの輝かしい設定だった。

「葵さんの年下」

「2冊しか単行本を出せていない葵さんに対して何冊も世に出し、今も評価を受け続ける売れっ子漫画家」

「仕事ができる状態にあらず収入不安定な葵さんに対して、現役バリバリかつお金持ち」

という申し訳ないくらいの違う立場の人間。社会的地位が鈍器人間。もうやめてくれ。

(年下だとなぜいけない?と思う人が居るかもしれないが歳を重ねると「自分がこの歳ではここまでの事は出来なかった」「俺より後に入社した人間が今じゃ俺より昇進した」みたいな事が気になってくる人間が一部いるのだ。これに関してはそっとしておいて欲しい)


しかし、この(社会的地位鈍器)人間がファンだからという理由から距離を詰めてくる。

そこからきっかけがあって、葵さんの荒廃した生活を目の当たりして、望海自身の家に招き葵さんの身の回りの世話をする。いきなり現れて自分にとって鈍器に思われた人間が、無様な自分を全肯定して包み込む。これには葵さんももちろん抵抗がある。

しかし、一話で葵さんすでに「漫画を描いている」。初めて読んだ時は、タイトルに漫画家と書かれているとだから、漫画を描く描写は普通だっただろう。

その後を読んでからこの描写は違うものを含み始める。描くに至るまでの過程はまだ描かれて居ないが、何かのきっかけであれだけ荒んだ葵さんが、漫画に描くことに対して回復に向かうことを約束されている。この物語は希望のあるお話なのだとわかる。


作者である溺 英恵先生は、1話のpixivの作品概要欄でこういう。

『手の届かない範囲の好きな人たちが死んだり消えたりするたびに起こるスパダリになりたい気持ちから生まれた話。』


創作と商売、表現と需要、自分とそれ以外、これに苦悩した人間が俺の身近にいた。この人も漫画家で、環境や過労もあって精神面にダメージを負って仕事を休んだ人がいた。

俺はスパダリでないので、ご飯を食べたりお話することしかできなかったが、周囲の理解などもあり、現在回復へ向かっていて、仕事も復帰をしたと聞いた。

しかし、あの人が自らの命を落としてしまうかと思うと日々怖かったことを覚えている。

葵さんのような人は誇張のしすぎや創作ではない。

これがたくさんの共感と反響、もとい、たくさんの人の心に届いたのかもしれない。


続き楽しみだな〜


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