「ご遠慮ください」とコミュニケーションと私

「xxはご遠慮ください」って書いてあるのにやっちまった誰それが悪い、いやそもそも「ご遠慮ください」って日本語じたいに欠陥がある、云々かんぬん、みたいな話題。

まず私は「xxはご遠慮ください」と書かれていることはほぼやりません。なぜなら「相手方はxxされるのを嫌がっているな」ということだけは私にも分かるからです。相手が嫌がることをすると抵抗される可能性が高い、つまり戦いが始まる。戦いはだいたい両者が損するので控えた方がよいと私は考えています。
まして相手が血気盛んなタイプの人間だったとき、それはもううるさいわ長引くわで私のメンタルが削られます。自衛のために、私のために「控える」のです。どこかの誰かのために「遠慮してあげる」わけではない。

では、たとえば私が「xx」したいときに「xxはご遠慮ください」や「xx禁止」に遭遇したら? そのときは「あのー、xxってしちゃダメ、ですかねぇ……?」とワンチャン狙いで聞きます。だって私は「xx」をしたいから。
私は意欲が地を這っているタイプの人間なので「何かをした」くなる瞬間は滅多にありませんが、たとえば私がトイレに行きたいときには容赦なく「使わせてくれんか」と聞きます。
あるいは何かの拍子に「なんという絶景だ! これは網膜に焼き付けるだけでは足りない! 写真に収めないと絶対に後悔してしまう!」と「撮影禁止」の事物に対して思わないとは断言できません。そのときは「本当に素晴らしい景色です。どうにか撮影させていただけないでしょうか……?」と聞くでしょう。そんな瞬間があればの話ですが。
さすがに無断でしたことは今までにはないですが、いよいよ切羽がつまれば今後やらないとは言い切れない、そんな感じです。

「日本語が読めないのか」という意見も聞きます。私としては読めているつもりです。でも文章って嘘つくじゃないですか。「トラブル対策でどうしてもこういう表記になっちゃうんですけどね~」なんて事例、腐るほどありますよね。やむなく書かざるを得ない文言vs漏れそうな私、優先すべきはどちらか。意見が割れるところだと思いますが、多くの場合、私は後者を優先します。仮に私がお手洗いの管理者だったとしても。

でもこれ、第三者が見たら「日本語を読めていない」はずです。私じしんも読めているのか分かりません。行間を読むことまで含めて「日本語を読む」に含むのならば、読めていない……いや、「やってもいいけどやむなく書いてる」パターンもあります。つまり文字列だけでは判別が付かない、はずです。もしかして「俺は日本語を読めるぞ」と自負する人間には判別が付いているのか……?

話は変わりますが、少し前にホグワーツの組分けテストをやりまして、その中に「この中で言われて一番嫌な言葉は?」という質問がありました。選択肢は「臆病もの」とか「ものを知らない」とか、ネガティブ寄りの言葉が並んでいました。
私が一番悩んだ質問がそれでした。どれを言われても別に嫌ではない。むしろ「勇敢」とか「物知り」とか言われる方が嫌です。どうしても煽りにしか聞こえない。病気かもしれない。

だから私は日本語を読めないし話せないんだと思います。
先日も同居人がスランプ中に、イラストレーターが「他人が描けてないときに描く線は気持ちいいなあ!」と語る動画を見せて喧嘩になりました。私は元気が出ると思ったのに……、でも確かに国語のテスト的には誤りの選択肢を選んでしまったかもしれない。そんな気がします。

どうすれバインダー

ちなみに書いているうちに気づいたことがひとつあって、私は松岡修造氏のネタが少し苦手です。文字列で触れたことはありますが、声を聞いたことはありません。見た目も自信ありません。赤い服で短髪の日に焼けた細面の好青年が、若手の市議のような笑顔で白い歯を見せている、そんなイメージがぼんやりとあります。彼と距離を感じる理由を少し掴めた気がします。
「諦めんなよ」って言われたら「うるせえ、お前に言われんでも諦めんわい。でも諦める自由を俺から奪うな」ってなります。なりませんか? 他人が、うるせえ! 命令すんな!

ここまで書いて、松岡氏が「あの、諦めないでいただけませんか? 赤の他人である私がお願いするのも変な話なんですが、仮に他人であっても誰かが諦めてしまうのはつらいんです……」と語っていたら、「おっしゃ、もうひと頑張りしてみっか!」という気分になるかもしれないと気づきました。
言い方の問題かもしれませんね。

あの、今すごくお腹が痛くて、お手洗いを使わせていただけませんか?

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