発狂スイッチ

「私と思想が違う」かつ「高尚であることに価値を認めている」、この2点が揃ったときに発生することが分かりました(もちろん他にもあるはずですが、とりあえず1パターンの言語化に成功したということです)。

・具体例
 とある映画の販促ポスターを11ヶ国ぶん並べ、日本版のみ情報量が多いことを提示する。
 それに対して「説明しないとやっぱりダメなんだろうか」「説明しすぎ病だな」と感想を抱く。

本件では「説明しすぎであることをよろしくないものと彼らは認識した」という前提で話しますが、これは私が勝手に文意を妄想しているだけなので、すべての認識が誤っている可能性があります。

さて、「高尚」という語感はいかにも鼻持ちならないと感じる人間が多数派ではないかと私は考えているのですが(この認識についても便宜上は正しいものとして話し続けます)、また「ハイコンテクスト」を「高尚」の枠内に括る感性は多数派ではないかとも私は認識しています。少なくとも辞書的な意味においても多かれ少なかれ重複する部分もあるのではないかと私は感じています。

本事例において、私が感覚したのは以下の内容です。

1)日本の映画の販促ポスターはローコンテクストである。
2)ゆえに日本の映画消費者の多くは高度に文脈を読むことが困難であると考えられる。
3)それは日本の映画消費者が「低俗」であることの証左といえる。

もちろん「低俗」であることを肯定的に論ずる文章だとも読めますが、「説明しないとやっぱりダメなんだろうか」という文章には「高尚たれ」という含意があると読解する方が自然ではないでしょうか(もちろんこれも私の歪んだ認知が生んだ被害妄想の可能性もあります)。

はい、この話はこれで終わりです。
仮に「高尚たれ」と考える人間がいたところで私はそれを否定するつもりはありませんし、その善悪を裁くつもりもありません。自由は、特に内心の自由は私がもっとも重要視するものです。

この記事は「私と思想が違う」かつ「高尚であることに価値を認めている」、この2点が揃ったときに私の発狂スイッチが押され、カッチーンと来てしまいました、というメモ書きです。

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