面接官「好きな色を教えてください」ワオ「なるほどね・・・。」

自分をラベリングするとしたら、おおむね良心的・功利的ではあるかと思うが、”行動”というものをする限りいたずらに影響を与える偏屈エゴ人間であることには変わりない。したがって行動することはリスクである、責任である、なぜ予定調和ではダメなのか、なぜ無成長ではダメなのか、その意識の高さの実際の価値はいかほどか、みたいな類いの批判にはぺしょぺしょと濡れ潰れ立つ瀬なく、いや他人から言われたことは未だないが常に自問自答していることであり、来たるかもしれん影から逃げなければならない怯えるべきことである。

しかしながら、もしも来たとして、性質というものの性質上、全てを網羅できないことは申し訳ないが仕方のないことであり、申し訳ないが現時点においては誠心誠意の謝罪とそれぞれの事例においての微調整しかできない。

私の好きな色は白だ。

紫と黒も好きだ。私は個性派志向というか高貴というか孤独というかサブカルというか物事の真価を発見したいというか毒というかロックというかアンチヒーローというか邪道というか暗躍というか、そういうタイプである。気質はそうだ。おおよそそうだ。たいていはそういう旗を翻している。(そのへんの気質は申し訳ないが意外とさ㊙️なむが把握しているかもしれない。)

しかし、その上でも、あくまで共感的に、かつおおむね良心的に功利的にその範囲で「行動」「影響」というものに私は価値を置いている。結果、好きな色は白になるのである。私の白は高潔や善意や光や何色にも染まらない/染まるを表してはいない。色が何であれ行き着いた先の飛び越した先が強制的に白なのである。色々な色が混ざり合ったわけでもなく、また始まりの色なんてものでもなく、新しく方向性を毎度塗りたくり続ける気概こそが白インクなのである。その圧力が必ず白インクなのである。

血管が浮かび上がっても白を塗る。気泡が入っても白を塗る。酸素を求めても白を塗る。何もなくても白を塗る。食パンにも白米にもコーヒーにもいっつも白。私は白が好きである。

正解しようとは思っていない。ただ、最も正解に近い間違え方を本気でしようとしている。白はそういうエゴと、エゴの回収の意を示す色なのである。私の中にはそうある。

ぜひあたくしめを御社ではたらかしてください。ウォンチュー☆

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