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おとぎばなし 2

あるところに言葉を司る神様がいました。
言葉の神様の語る言葉はすべて真実でした。何故なら、神様の言葉に合わせて世界の方が姿を変えてしまうからです。

彼、或いは彼女は目を閉じて、思い描いた風景を口にします。
『山があり、川があり、海があり。人があり、獣があり、魚(うお)がある。』
すると世界はそのように変わりました。

そのようにして彼、或いは彼女は、目の届く限りの場所を、思い描ける限りの物で埋め尽くしてゆきました。

やがて世界の端までたどり着いた神様は、特にすることも無くなったので散歩を楽しむことにしました。

来た道を引き返しながら世界を眺めていると、時折とても暖かな心地や、酷く胸が締め付けられるような心地を感じる事がありました。神様は『それ』を表す言葉が自分の裡に無い事に気づきましたが、特に困らないのでその時はそのままにしておきました。『それ』は自分が感じてさえいれば満足だと神様は思ったのです。

神様はいくつかの山と川を越え、いくつかの人の集落を見ました。

一人の人間が神様の目に止まりました。その人間を見ていると、例えようもない感覚が沸き起こりました。それは暖かで、とても素晴らしいもののように感じられました。

神様は困りました。『それ』を表す言葉が自分の裡に無い事に気づいたからです。

『それ』を自分が感じているだけでは、神様は満足出来ませんでした。それどころか『それ』を言葉に出来なければ、伝えられなければ、自分は生まれてきた意味を失うのではないかとさえ思いました。

神様は自分の身を引き裂きました。そうすれば新しい言葉が増えると思ったからです。果たして、新しい自分と幾つもの言葉が生まれましたが、探している言葉は見つかりません。神様はどんどんと自分の身を引き裂き続けました。

身を引き裂く度、神様は小さく弱く、知恵も少なくなっていきました。やがて彼女たちは自分が何者なのかさえわからなくなりましたが、それでも探している言葉が見つかりません。

新しく生まれた言葉は、必ずしも良いものばかりではありませんでした。『平等』と『不平等』が生まれました。『富』と『貧しさ』が生まれました。『憐れみ』と『侮蔑』が生まれました。『味方』と『敵』が生まれました。『妬み』と『怒り』と『恨み』と『恐れ』が生まれました。

穏やかさと彩りに満ちた世界は輝きを失って行きました。それに呼応するように、彼女たちもまた段々とみすぼらしく穢れて行きました。

神様がすっかり人と変わらない姿になってしまった頃、千々にちぎれた彼女たちの一人が二つの言葉、『愛』と『美』を見つけました。探していた言葉が遂に見つかったのです。

何もかも忘れてしまっても、彼と出会った場所だけは覚えています。『彼に会わなければ。今すぐ伝えなければ。』神様は夢中で駆けます。傷だらけの足で。人と変わらぬ歩幅で。

その場所にたどり着いた彼女は人々に尋ねます。
『彼はどこ?彼と話がしたい!』
ある者は憐れみ、ある者は恐れました。

神様が言葉を探す間、あまりに永い時が経ちすぎていました。彼はとうに死んでしまっていたのです。

『神様が不憫だ』と言う人がありました。『神様は怒って何かするかもしれない』という人もありました。
人々は話し合って、次のように答えました。
『彼はあなたを探して旅立った。きっとどこかですれ違ったのだろう。今どこにいるのかはわからない。』こうして世に『嘘』が生まれました。

神様は一言『そうか』と呟くと、どこかへと去って行きました。


人々は密かに噂します。この時生まれた神様の断片たちは、今もどこかを彷徨っているのだと。
高名な占い師が、奇跡を起こす預言者が、悪名高い詐欺師が、神を僭称する不遜の者が、きっと『それ』なのだと。

いつしか『それ』は《言葉の魔女》と呼ばれるようになりました。

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