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おとぎばなし 3
あるところに王様がいました。
王様はいわゆる『世界征服』を成し遂げた偉大な人物でしたが、高齢で後継者もありませんでした。
最近は足腰も衰え、外出の機会がめっきり少なくなっています。
夏風邪で数年ぶりに仕事を休んだ王様の元に、今日は古い友人が見舞いに来ています。
「やぁ久しぶり。調子はどうかな?」
「久しぶり。時々咳は出るけどね、寝込む程じゃない。みんな大げさなんだ。」
友人は若い女性に見えますが、実際のところ何歳なのかはわかりません。王様が小さかった頃から全く姿が変わらないのです。彼女は高名な魔法使いでしたから、きっと何か秘密の方法があるのでしょう。
名は『ネルネ』といいました。
「悪いね、約束を守れそうになくて。」
「あぁ、学校のことなら気にしなくていいよ。」
「…貴女ならまたきっと機会がある。」
「そうそう、私には幾らでも時間があるからね。だからキミも気に病むことはない。」
「ごめんね。」
「キミはよく頑張った。」
王様はネルネの為に学校を作る約束をしていました。多くの人に魔術を教え、自分が見て、聞いて、感じていることを、『みんな』にも感じとって貰えるようになることがネルネの夢だったからです。世界には何人かのネルネの弟子と、数十人のその弟子と、たくさんのそのまた弟子とがいましたが、それでも『みんな』と呼ぶにはまだまだ程遠いのです。
付け加えるならば、ネルネ自身は人に教えるのがあまり得意ではありませんでした。
学校の計画は何度か立ち上がりはしたものの、横槍が入って潰されたり、何より大小様々の問題が王様の身に毎日のように降りかかり、日々対応に追われていると、あれよと言う間に王様は老境に差し掛かってしまいました。世界の王と言えど、人生はままならないのです。
二人は軽い食事を取りながら思い出話に花を咲かせました。途中ネルネが怪しげな薬を何度も飲ませようとしてくるのを王様は必死に拒否しました。死ぬようなことは無いでしょうが、王様はもうネルネの『冗談』に耐えられるような歳ではありません。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまいます。いつの間にか日は傾いて、窓から吹き込む風はうっすら夜気を孕み始めていました。
本当は夜通しでも話していたいのですが、王様の体調を気遣ってネルネは席を立ちます。
「病人に無理させちゃ悪いからね。」
「そんな、待って…」
引き留めようとして、王様は大きく咳き込んでしまいました。
「言わんことじゃない。」
ネルネが指を立てると王様の身体がふわりと宙に浮きました。すいすいと指を振ると王様はベッドへ運ばれて行きます。ネルネは優しく王様を寝かせ、シーツを掛けてやりました。
ネルネは懐から、先程の『冗談』とは別の小瓶を取り出すと王様の手に握らせました。
「怪我なら簡単に治してあげられるんだけどね。これは咳止めの魔術薬だよ。私の孫だかひ孫だか…そのあたりの弟子が作ったらしい。近く量産の目処も付きそうだと聞いたよ。」
「まだ大丈夫だから。」
王様は食い下がります。これでもう、ネルネとは会えなくなる気がしたからです。そしてネルネも、同じように感じていました。
「また会える」と言いかけて、ネルネは言葉を飲み込みました。『嘘』はすべて王様に見透かされます。たとえそれが優しさから出たものであっても。
ネルネは結局何も言えず、真っ直ぐに王様を見つめたまま後ずさって、静かに部屋を出ていきました。
王様は一人になりました。渡された薬を飲んで横になると、すぐさま喉がスッとして咳が引いていくのがわかりました。効果は確かなようです。
ややあって、王様は微かな物音を聞きました。開け放たれた窓に目をやると、窓枠に小さな鳥が留まっています。こんな時間に群れから逸れてしまったのでしょうか?鳥は一羽だけでした。
「鳥、か…」
呟くと王様は起き上がり、鳥を驚かせないようゆっくりと窓際へ歩いていきます。熱が上がってきたのか、頭はちょっとぼんやりしています。
王様と鳥が見つめ合います。鳥が逃げてしまう様子はありません。
『《鳥》は《私》の言葉を解する。《私》もまた、《鳥》の言葉を解する。』
世界が一瞬軋みを上げ、書き換わりました。今や鳥は王様の言葉を理解し、王様は鳥の言葉を理解しています。通常、自分で信じてもいない書き換えはまかり通らないのですが、熱で意識がぼやけた為か、はたまた夢だと思い込んでしまっていた為か、ともかく通ってしまったのです。王様は続けます。
『鳥よ鳥、ヒトの王になってみたくは無いか?夜風に凍えることも、日照りに飢えることもない暮らしをしたくは無いか?お前は王に、私は鳥に、二人の《役を交換》しよう。』
鳥が答えるとふたたび世界が軋み、書き換わりました。
王になった鳥はベッドへ戻り、鳥になった王様は何処かへ飛び去って行きました。
このお話はD.J.アラーフラ王の伝記に収録された民話の一つから抜粋、再構成されました。
この民話は晩年のアラーフラ王の奇行と、それに伴って当時流行した噂話が元になったとされています。
熱病から回復したアラーフラ王は人が変わったようになり、極端な偏食(鶏肉と鶏卵食の忌避、穀物の生食など)をしたり、あらゆる意匠に鳥を盛り込もうとするなどしたために、このような話が出来上がったのでは無いかと推測されています。
このエピソードのあともアラーフラ王は10年ほど存命だったようで、100歳を超える大往生だったとも言われています。
なお、ネルネとも結局再会出来たようで『あの時は涙を流して大笑いした』と、後年にネルネ本人が語っています。