※ 一般公開用 ※ * 『深 鈍』夢 企 画 *

                注)深鈍は『深 夜 鈍 行 』の略です。

注 ) 文章の切れ目に変な部分あり読み難いですが一応仮公開します。近く修正します。note🔰につきお許し下さい。修正分が出る迄お待ち下さっても結構ですよ。


★   予 告 編 ・決意表明 ★   ©︎帰って来た浦島太郎

== 取扱い注意 ==  

長い文なので何回かに分けてお読み下さい。
コーヒー☕️を飲んだり、晩酌🍶したりして くつろぎながらお気軽に読んで
下さいね。

途中、どこでお辞め下さっても構いません。😪はダメよ🙅‍♂️

 *      *      *      *      *      

 第  一  部
・・・・・・・・・

序  章
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【 深 鈍 夢 企 画 】

こんにちは🌞こんばんは⭐️旅行好きの皆様

「帰って来た浦島太郎」と申します。

結果的に 8年間世界一周旅の経験者です。

この文章には 第一部第二部 があります。

・第一部は 今後の計画「深夜鈍行」新設着工 への 決意と希望。

・第ニ部は 旅と人間の成長。大沢たかおさんの「深夜特急」 疑似体験 とその 影響

旅は人を変え、成長させるとよく言われるが、擬似体験をした大沢たかおさんは描こうと思えば、別冊「深夜特急」を書けるのか、書けないのか?書けるとしたら、なぜ書かないのか?( 俳優だから )書く気や必要性がない?書けばどんな内容になるのか?

それとも自分の旅ではなく擬似の旅ではやはりダメなのか?
これらに付いては私がいくら勝手に想像を巡らせても始まらない。
本当の所は大沢さんご本人に伺ってみない事には分からない。

多くの人が誤解してるが、実際は「旅が」人を変えるのではない。
「自分が」自分を変えるのだ。旅はその 舞台と機会を提供 し手助けするだけ。
むろん、旅でなくても自分は変えられる。旅はより多くの機会があるだけだ。

旅と言っても色々あり( 変わりたいと望むなら ) どんな旅でもいいとは行かない。
それなりの旅でなくては変わるものも変われない。

世の中 ( 例え他の人から見て問題があっても ) 変わる必要性を感じない人や
自分で変わる気のない人も時にはいるが。

 🏍️             🚶‍♂️           🚌   🚵‍♀️   👍   🐪   🚣‍♂️   🐴   🛼

第  一  章
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先ず、旅の先輩であり旅仲間でもある沢木耕太郎さんやファンの方々に対して 生意気 な発言や 偉そうで 無礼に映る 失 礼な 部分や 挑 戦 的 とも取れる部分が所々にあると思いますが、寛 大 な 気持ちで ご 容 赦 をお願いします。

私も『深夜特急』の様な旅が好きで実際、自分自身ほぼ 同 時 期 に旅をしたので
沢木耕太郎さんご本人はむろん『深夜特急』ファンの皆様の 反感 を買ったり、    まして に回 す のは望んでません。害こそあれ 何ら益はありません。

これらの点を 心に留めた上で 読み続けて下さい。重ねて お 願 い します。
最後まで お付き合い頂ければ幸いです。

最終的には沢木耕太郎さん ご本人  にもお読み頂きたく思っています。

        ⁂          ⁂          ⁂           ⁂

第  ニ  章
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沢木さんはどう言う 経 緯、狙 い でタイトルを「深夜特急」とされたかは知らない。
私が知る限り、同名の映画から取ったらしい。沢木耕太郎さんご自身は深夜特急
( 牢獄からの脱出 ) そのものとは 直接関わりがない と思う。

人に与えるインパクト心に残る響きで印象的な良い名前であるのは間違いない。

私の場合、仮名を「深夜鈍行」としたのは確かにあの「深夜特急」に あやかる のは
否めないが、それだけではない。ただのパクリや酔狂でなく、ちゃんとした重要な
理由 がある。

私が旅で利用した移動手段は総じてスピードが 遅 く 、途 中 停 車 も多い。
正に、特急でも急行でもなく紛れもない 鈍 行 だった。

他には決して大袈裟でないもっと大きな れっきとした理 由 がある。

文字通り実際に “ Almost ride the [ Midnight Express. ] ” “ 「 深夜特急 」に
殆ど乗り
かけた。“                                                           ©帰って来た浦島太郎

それはサハラ砂漠をラクダで旅をしていた時、どこからともなく突如現れた武装した
軍 隊 に捕まった。

な ぜ 突然に拘束されたかは 全く分からず
これではサハラ砂漠横断でも縦断でもなく中断だよ。

場を何とか 切り抜けよう とそれとなくわざと大袈裟に お金を払う 素振りを見せた。

が、通じない ⁉︎

言葉はちゃんと通じているが、どうも 全世界 共通? で 万 能?のはずの 金 ( 賄賂 ) が
通じないのだ。

どうやら金目当ではなさそうでそうなると返って 始末が 悪い。

有無を言わさず、そのまま 留 置 所 に連行された。

それに続く厳しい 尋 問。( 全てフランス語 )

心配と予想はしてたが、その日は 時間切れ。

私のために 特 別 室 ( 本当にそう言った ) を用意してあるからと案内され、そのまま
良い方ではない方の特別室に 投 獄 。特別室は ウ ソ ではなかった。特別室と聞いて
先入観と希望的観測で勝手に良い方を想像したこっちが悪いのだ。

そこで夜を明かした。暗く狭い部屋には10人程の 先客 がいた。

皆に罪状と刑期を聞けば ( 使用言語はフランス語 ) 、万引き、泥棒、傷害と何れも
れっきとした 正真正銘の立派な? 犯罪者ばかり。中には 殺 人 犯 も。

私も皆から挨拶がわりに一体 『何をやらかしたのか』と聞かれた。

「分からない。何もしていない。」と言うと、何もしてないのにここに入れられる
訳はないと言われた。至極当然の反応だ。

こうなったら、開き直りでも破れかぶれでもなく、暫く他の本当の囚人達と 楽しく
過ごすしかない。幸い殺人犯を含め囚人達は皆 フレンドリー で い い ? 人達 だった。

文字通り悪人が悪人だったら、私を受け入れてくれなかったら、言葉が通じなかったら、気が触れる か 孤 独 死、下手すると 餓 死 さえしかねなかった。
それにしても、自分がフレンドリーで多少フランス語が出来て良かった。
「芸は身を助ける」か。最もこんな形で役立つ、役立てる人も余りいないだろうが。

いくらいい囚人仲間に恵まれたとは言え、[ 住めば都 ] にはなりそうにない。
逆になったら困る。何れにせよ、 長 居 は 無 用 だ。

暗くて狭い獄中。よく檻 ( おり ) の中と言うけれどその檻さえない。鉄格子なら少しは
外も見え解放感もある。四方を囲むのは分厚い鉄の扉を除けばコンクリートの壁だけ。小さな窓すらない。

停電になったら気が狂ってしまうなとそんな事を考えながら寝ていて何となく目を
開と、本当に停 電 だ。それこそ “ 目の前が真っ暗 “ 。自分の手さえ見えない闇。
見えるのは微かに黒く光を放つ “ 絶  望 “ の二文字のみ。

このままではいくら待っていても 出してくれそうにはない

そろそろ自分で出る 算 段 をしないと。

何しろ、刑 期 がちゃんと決まっていてあと半年したら刑期を終え 必ず ここから出れると分かっていたり後一年我慢すれば出れるのが 確定 している連中とは違う。

投獄され三日、四日ほど経ってやっと ス パ イ 容 疑 だと告げられた。

容疑は分かったが、刑期や釈放日についてはいつまで経っても 一切 言及がない。
これではまるで 無 期 懲 役 か下手すれば 終 身 刑 だ。

その後も取り調べは遅々と続く。窓もない狭い獄中で更に数日が過ぎた。
で も ど う す れ ば・・・? ? ?              ©帰って来た浦島太郎

誰かに知らせるにも い つ ? ど こ か ら ? 誰 に ? ど う や っ て ? 3W1Hだ。

一番の問題は、私が今 こ こ に 居 る のを知っているのは何も出来ない自分と何ら期待出来ない、イヤしてはいけない囚人達と、これまた当てに出来ない監獄の関係者だけ。
神仏を除き 他 に 誰 も 知 ら な い 。

檻の中の囚人達は何も出来ないしさせてもならない。
看守もワイロ目当てではないので金で解決出来ない以上当てにならない。

そうなれば、引き算をすると、残るは( 自分自身も塀の中とは言え、) 自 分 だ け
つまり、今自分の意志で動くもの、動かせられるのは自分の 体 と 脳 だけだ。
それ以外には何もない。頼れるのは神仏以外は己のみ。

知 恵 を 絞 れ ! 動 け!

こんな小さな部落では弁護士と言う様な気の利いたものなど望むべくもない。
仮にあってもその為に外出をさせてくれる事など叶わない。まして裁判所など
あろう筈もない。
後で知ったが、この国には 唯一頼み (?)の 日本国大使館 すらない。

その後の 脱 出 劇・・・

と言っても、実際に深夜特急に すぐに飛び乗った 訳ではない。

乗ろうと思えば簡単ではないしリスクは大きいが、何とか乗れそうで一時は本気で
そうしようと色々と具体的な作戦を練った

定員一人だけの 自 分 専 用 に 特 別 に 仕 立 て た 今 回 限 り の 臨 時 列 車 。

獄中には時計が無い=時間が無いので当然時刻表など無い。
何処にいつ停まるのか、それとも停まらないのかさえ分からない。
行先は『自由駅』と『地獄駅』のどちらかのみ。

どちらかは乗って、着いてみない事には分からない。直行だから途中下車は不可。
終着駅に列車を停めるのは他ならぬ 自 分。自分自身が乗客であるが、運転手であり
車掌でもある。他の誰も停めてくれない。停められたら終わりだ。

相当な 決 意 と 覚 悟 なしでは気軽には飛び乗れない。『深夜特急』とは言え、流石に夜に乗るのは 無 謀 だし第一 不 可 能 だ。

それに専用特別臨時列車に乗るのはいいが、問題は 降 り る 時 だ。

い つ、何 処 で、ど の 様 に 降 り る の か ?
降りた後 どうするのか?

映画の舞台のトルコなら、どこで列車を降りてもどうにかなりそうだが、ここは
ア フ リ カ だ。
刑務所の周りは見渡す限り何もない乾燥地帯のサヘル。背後には延々と続く大砂漠。
深夜特急からうまく下車しても、とてもではないが 生き延びて行けない。
 
食料も水も無い。
パスポートがなくてはこの国を密出国出来ても隣りの国に正式に入るのは叶わないので密入国せねばならない。密入国すれば又密入国と 負の連鎖 は止まらなくなるな。

あのアルカトラスが大海原の孤島なら、ここはさしずめ 大砂漠の孤島 か。
アルカトラスは確かに抜け出すのはここより大変だろうが、一旦出てしまえば、
パスポートも要らない。逃げ切れる確率はずっと高いであろう。

私が深夜特急の予約をキャンセルしたもっと大事な理由は、逃げてしまえばスパイ罪と言う “ 冤 罪 “ が晴らせないどころか、逆に 容疑が容疑でなくなり本当のスパイ
され、自ら “ 罪 を 確 定 “ してしまう事になる。

砂漠で見つかり 射殺 されれば一巻の終わりだ。
やがてサハラの砂の一部になり遺体が発見される事もないであろう。
現地でも、日本でもニュースにすらならないのなど御免だよ。
                               ©帰って来た浦島太郎
そう思い『特別臨時深夜特急』の予約は “ 解 約 “ した。払い戻しは無し。
多少、心の 安定 は手に入れたが。

第  三  章
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私が獄中で 飢えない どころか、毎日、毎日美味しいものを食べれてたのは、現地で
偶然 に知り合ったベルギー人のLucと恋人のJoが監獄へ 差し入れ をしてくれてたと
四十数年後 に知った。

壁の外には何も悪い事をしてないのに食物がなく飢えている人が多くいる貧しい国で
壁の中の人=犯罪者=悪人が時に、果物やプリン等デザートまで付いたものをどうして
食べられるのだろうかと、ずっと 不思議 に思っていたのだがその 謎が解けた

正しく 命の恩人。事前に彼と偶然に知り合ってなかったら、知り合ったとしても
他の場所だったら、・・The E N D だった。

又、尋問時に仮に私がフランス語が全く出来なかったのならどうなっていただろうか?
全て向こうの都合の良い様に でっち上げられ 有罪にされていたのか?

第       四  章
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具体的にどの様に刑務所から脱出したのかとその後の経緯は機 会があればのお楽しみ。

・・・ここでCM、来週へ続くと行きたいが、放送日(?)は 未 定  To be continued ・・・続く・・・
                               ©帰って来た浦島太郎
実行した脱出作戦が 目論み通り うまく運んだらしく( 何しろ、最初のアクション以外
全て運と他人任せだった )、特別室に入って10日程してようやく( そこでの1日は通常の何倍も長く感じられる ) 出れた。長かった。これが自由かと言いたい所だが、無事に
解放されたとは言え、監視役の武装した兵隊二人にトラックで 国 境まで護 送 された。
【 帽振れ 】ならぬ 【 ライフル銃振れ 】のサービス?付で 歓声と共に 送り出された。
鼻向けの言葉は「 二度と戻ってくるな。」
「誰が戻るか」の心の声。

それにしても、国外追放だけで済み日本に 強制送還 されなくて良かった。
しかも、行きたい方の国境に送ってくれた。
逆方向の国境だったら、決定的に、大幅に 予定が狂って いた。

もう一つ良かったのは、解放時に預かられていた パスポート・お金・荷物類全て
きっちりと 返してくれた。最初から金品が目的でなかったのが改めて証明された形だ。

( 最も、そのお陰であんな辛い獄中生活を送るハメになったが、今から考えれば、
それこそ文字通り 『金では買えぬ』経験をした。)

それ以上に嬉しかったのがスパイ容疑を容疑でなくスパイ罪に 確 定 するべく捜査するために取り上げられてた 日 記 も無事に手元へ帰って来た事だ。

スパイ罪立証のための 物的証拠 として調べた様だが、日本語が分かる人がいなかったらしい。笑😆 普通なら、その時点で捨てられてもおかしくはないよ。
解読されていたら刑が確定はしない迄も何かしらトラブっていただろう。

それとは別に 結果として 凄く良かったのは『自 由』が知れた事。本当の不自由を
知らずして本当の 『自 由』が分かる筈がない。身をもって 痛感 したよ。

丁度、『不 幸、不 遇』な状況に陥って初めて今までいかに 『幸 運』だったかを思い
知らされる様なもの。『健 康』も無くしてみて初めてその 価 値 、有りがた味 がしみじみ分かる。
それが決して 『普通で当たり前』ではなかったのを。日頃感じている普通で当たり前の事が本当はそうではなく、普通や当たり前こそが『特 別』であり 『例 外』なのだ。

一つ断言出来るのは、脱出できたのは正に神が与えてくれた奇跡的な 千 載 一 遇
チャンスを逃さずその 全てを活かした のと稀なる 強 運 があったからだ。

それ位まれにしか巡って来ないと思われる 絶好のチャンス。それが 偶然に幾つも 重なった どの一つが 欠けて もイヤ、タイミング がほんの少しでもずれてただけでもとてもじゃないが奇跡の脱出劇⚠️は決して 成立 しなかった。

⚠️詳細は後ろにある秘密㊙️の小部屋①を見てね。

自分で 考え、策を労し、結果的に上手く行ったから こそ特別室から1週間位で出れた
だけで、何もしてなかったらいつ出られたか 分かったものではない。早くて1ヶ月か、2ヶ月後か?下手すればもっと先かも??

日本人初で同時に多分?最後の獄中生活を送り、すっかり日本人初の 牢名主 になっていた?とのんきな事を言っている場合ではないよ。

旅してると1週間位あっという間に過ぎるが、檻の中だと長いよ。
イヤ、長さは 一緒 だけど感じ方が誇張なしで 100倍も数百倍も長く 感じる。3分が
1時間以上に感じられた事な何度もあったよ。
最初から刑期が1週間と聞かされていたら大きく違っただろうが。

第  五  章
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獄中生活は長い年月が経った今も心に 鮮明 に焼き付いている。メイト( 囚人仲間 ) 達は皆な元気かな?

当時は大きな 恐怖と絶望 とほんの一握りの 望 みしかなかったが、時がそれを一つの
旅 = 人生の ハイライト いい(?)思い出へと 変 貌 させてくれた。

今や 財 産 の一部だよ。若い時の苦労は買ってでもせよというが、そんな経験は売って
いないし買うことも出来ない。
私が望んでいた八難、九苦 ( 七難、八苦でなく ) の内の一つだったのは間違いない。

丁度、恋、それも失恋だ。失恋は辛く悲しい事だ。だったら無かった方が良かったかと言えば私はそうは思わない。

        🌞      🦒      🦓      🐪      🌞 
                                                                      ©帰って来た浦島太郎

第  六  章
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今後の旅の予定・夢企画書  

ねえ知ってる?ひょっとして『深夜○急』が新たな名前で 増便 され 延伸 されるかも
知れないよ。新路線 が出来るらしい。

㊟ 誤解のない様に言っておきますが、私が勝手に言っているだけで、 沢木耕太郎さん
***************************************************************************************************************
にそのご予定はないだろうし、この表現も正式に沢木耕太郎さんのご許可やご了承を
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頂いている訳ではありません。
***************************************

又、以下を読んで頂くと分かりますが、誰かの 許 可了 承 を頂く類のものでもないと思います。あの「深夜特急」とは 全く別物 の 「列車」であり「違う本」だから。
                             ©帰って来た浦島太郎

仮名は、「 深夜鈍行 *注 ) 」と[ Midnight Local *注 )]だよ。どうかな?
    ※ 真実に基づく話  ※ Based on the true story

日本語版並びに英語版とも納品日未定ながら、予約注文は既に入っている。
英語版はベルギー人の Luc 他数名が数十年前に予約済。

路線の 設 計 図 は完成済み。用地の確保も既に出来ている。資 材 も揃っているよ。
現場監督兼作業員 も一名いる。後は 着 工 するのみだ。沿線住民の 反 応 はどうかな?
そして 乗 客 は?と言いたい所だが、この場合それは適切ではないだろうな。
何しろ乗客は全 員 囚 人で 脱 獄 しようとしている人達だけなのだから。

新線は内容も 一新 され、更に 増便 もされる。以前は1~6便迄。だが、今度のは
7線、8線・・・( 何処までかは現時点では不明 ) と 追加 される。

エキサイティングな北米線・のんびりだが、ちょっぴり危険な中南米線・挑戦の
アフリカ線・のどかで大自然豊かなオセアニア・南太平洋線他が加わるよ。

    📗     📘     📖     📘     📗

            第  七  章
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言わずと知れた沢木耕太郎さんの紀行小説「深夜特急」。バックパッカーの バイブル として有名だが、これまで私はその名前位は聞いたことはあったが、興 味 機 会 もなく、一度も読んだ事はない。その 積 り もなかった。元々、旅のガイドブックも含め読書はしない。

たまたま、ある深夜特急関連の動画を見る 機 会 があった。その時初めて「深夜特急」の試し読みをした。動画も6本全てと関連動画を何回か見たが、まるであたかも当時の
自分の旅 の様子を見ている様だった。

丁度、旅の途中での素晴らしい多くの 出会い の如く知り合えてこそ、私もあんな旅行記を 書きたい、書こう、書ける と思うに至った。沢木耕太郎さんと「深夜特急」との 出会いは決して大袈裟でなく、実に 運命的 で 衝撃的 なものだった。
彼やその作品に出会ってなければ、そんな思いには 絶対 にならなかった。

本を読み動画を見て感じた 素 直 な感想は、これなら沢木耕太郎さんと 同 時 期 に私がしていた旅と 大 差 ないなとの 強い印象 を受けた。

その後も <私の本> を読めば読むほど、<動 画> を見れば見るほど、更に 確 信
同時に 自 信( 過信でないと願いたい )を持つに至った。

現代から見れば、<私>( 沢木さん )の旅は色んな点で大きく違うだろうが、私に
限らず同時代の旅人の多くは大なり小なり 同 様 の旅をしてたのではないだろうか。

それを旅行記として 実際に書いた かそうでないかの 違い だけ。

ただ、その はとても、大変、凄く、めっちゃ、果てしなく、とにかく、とてつもなく 何と言おうが大きい。

私が帰って来た時は 「 える、たい、ないと 」のどれ一つ無かった。つまり、伝える、伝えたい、伝えないとと言う想いはカケラも無かった。ひょっとして沢木耕太郎さんも書き始めるまでに随分と時間が掛かったので最初は同様だったのかな?

沢木耕太郎さんと愛読者には誠に 失礼 なのは重々分かった上で敢えて 暴 言 を承知で
言うなら、( あくまで私から見て、実際 素直に そう感じたのだから仕方がない。)
あの程度で [ 旅人のバイブル ]になったのならば、【 私 】旅の話は 絶対に行けると 更に強く 実感 した( 旅人のバイブルになるかならないは別だが、又なる、ならないは
私にとっては大して重要でもない。)。
                             ©帰って来た浦島太郎
今更言わずとも、沢木さんは確かに 素晴らしい 旅をしたと思う。それは間違いない。
だからこそ、あれだけ多くの若者の心に響き心をつかんだのだろう。

でも( 私から見て、)彼は 最 高 の旅をしたかと言えば ?? だな。
「深夜特急」が発表され既に大分時が経つのにこれ迄の所 チャレンジ する人、出来る人が現れなかったのが 不思議 だ。

彼の旅は 結 果 を残している点から見ると多分最高の旅だったのかも知れないな。
最も、最高の旅をしても最高の 結 果 に繋げるのは至難の業だろうが。

旅の 先 輩、同時期に旅をしていた 旅仲間 として旅先で出会ってみたかったな。
そんな沢木耕太郎さんに 敬 意 を払えど、身の程知らずに 対 抗 まして挑戦しようと
思う気持ちなど更々ない。はっきりと申し上げておく。恐れ多過ぎる よ。

沢木さんは プ ロ 作家である以上文才がなければならない。それで稼いでるんだから。
実際、文才はあるし証明もされている。

私には沢木耕太郎さん程の 文 才 はとてもない。最初から勝負にならないよ。

私はプロの作家ではないが、物を書き、人様に読んでもらう以上文才がなくても良いとはならない。それでは甘え、逃げになってしまう。

それらを十分に承知の上で、沢木耕太郎さん 個 人 に挑戦と言うよりとりもなおさず、
「深夜特急」と言う確立された一種の ブランド に挑むのだ。

ただ、文才は確かに大事だがそれ以上に 目の付け所、発 想、想 像 力、考 え 方 だ。
文才はそれを 人により上手く伝え、読ませる 能力、技術に過ぎないと思う。

旅に対する 情 熱 だけは誰にも負けないと 自 負 してる。その情熱が文才がない分を
どこまで カ バ ー 出来るかだ。やるだけだ。他のジャンルはともかく 旅なら 行ける。

最初から勝負なならないとしてもそれは 問 題 ではない。
勝つ事より 挑 戦 するのに意味がある。人間、勝てないと分かっていても挑まないと
いけない時もある。

結局は沢木耕太郎さんや『深夜特急』と言う特定の人やものに挑戦するのでなく、
自 分、自 分 の 人 生 への挑戦なのだ。

最大の 敵、ラ イ バ ル はいつも自分。同時に自分の 応援団団長 は自分であり、最大の
味 方 も自分自身だ。愛💜を持って 一番 厳しく 当たってくれるのも自分。

同様に一番 甘えやすく、甘やかしてくれ、足を引っ張る のも自分。でもそれは 本当の愛 ではない。自分の中のWスパイに要注意⚠️

そう簡単に( 自分に ) 負ける訳にはいかない。

正面切って全力を尽くし挑んだら、それだけで私にとっては 勝 ち だ。
そうしなかったら、( 自分に、人生に ) 負 け だと思う。人生、負けでなければ勝ち。
全力を尽くせば結果は 時の運、何らかの形 にはなるであろう。

黒沢さんが書かれた頃とは 時 代 も大きく違う。今や多くの人が旅をし旅動画を上げたりしている。独りよがりの 時代錯誤 はしたくはない。

これは沢木耕太郎さんへの 挑 戦 状 でも何でもなく、言わば、形を変えた沢木耕太郎さんへの フ ァ ン レ タ ー として見て欲しい。                                           
                                                                                       ©帰って来た浦島太郎
私の旅は沢木さんの様な皆んなが同様な事をやりたいと思う様な 万人受け するもの
でもない。万人受けする様にする 積り もない。

やった事自体がメインではなく、それをした事で自然の中で 感じ、考え、体得 した
もの更に、それを通した色んな人との 関わり、人の優しさ素晴らしさと醜さ 等々を
伝えたい。

    🎒     🎒     🎒    🎒   ← 憧れのバックパック?

               第  八  章
               ------------------

沢木さんは1974年26歳で旅立った。私は1976年同じく26歳位で旅に出た。
基本は沢木さんと同じく一人旅 。

実際は運命的に二人、成り行きで三人、時に四人、五人以上は好まないが、流れで
団体旅まで。

相手は国籍や人種、宗教も経歴も多種多様の老若男女で一緒に旅した期間も半日から
二週間位と様々だった。お互いに様々な考え方や物の見方を学び視野を広げるウイン -
ウインの旅であった。

日本出発時、当初の予定期間は 約8ヶ月 であった。

金がなくなる迄ではない。旅を完遂するのに十分な資金は準備してあった。
その額は沢木耕太郎さんより少し少ない程度。T/C( トラベラーズチェック < 今の人に分かるかな?> )1,500 ドル分と日本円を3、4万円。沢木さんは更に現金400ドル持っていた。

私にとっては 金の終わり 旅の終わり ではないし旅の終わりが金の終わりでもない。
仮にお金が無くなれば、自分の手で色んな方法で作るのみ。
無くなったら作る。単純な事だ。それ 以外ない。

実際、旅が予定より大幅に伸びそうした。
家族や友人、恋人などに送ってもらう様な( 自分や人への ) 甘 え や 逃 げ は最初から考えにはない。

正直、あんな彼女がいるのは大いに羨ましいし出来れば私も甘えたかった。いいなぁ。

結果的に 約八年 の内の 約三年 は世界各地八か所で大工の見習い・農夫・カウボーイ・自転車メッセンジャー・土方・運転手・日本レストランのヘルパー他をした。路上で
イラスト販売もして資金稼ぎをした。

残念ながら、当時は合法的に働けるワーホリ制度や治験などはなく、仕方なく、不本意 ながら、殆どが 異報州浪( そのまま音読みして下さい )。他に方法はなかった。

人の仕事を奪った事はない。既に時効とは言え、意方は位宝だから開き直り正当化する積りは更々ないし出来ない。

当初、旅の主目的は 二 つ のみ。
一つはヨーロッパ各地の有名スキー場で二ヶ月間自由自在、思う存分滑りまくる。
二つ目がアフリカのケニアで野生動物を見て回る。
それだけで他にはなし。

二次的な小さな目的は⛷️の後、折角遠い、遠い( 当時、直行便が無かったの正に
そうだった。)二度と行くことがないかも知れない欧州の国々、街々を見て回る事。

何もわざわざ比べることもないが、ご存知の通り、沢木耕太郎さんの旅の動 機は友達と
インドからロンドン迄ローカルバスだけで行けるかどうかの 賭 け をした。( 多分、
他に隠された 目的があったのではないかと察する。)

期間は一応、金が続くまで だが、結果的には1年と3ヶ月。ほぼ、当初の 予定通り。
全ての本を執筆するまでを旅行期間とみなせば3便までだけ見てもプラス16年、更に+・・・となるが。

第  九  章
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  🚌  🚍  👍  🚵‍♀️  🎠  🛶  🐪   🛼    ←  これらは何?

私の場合その場所、場所に 応 じ 色 ん な 移動手段を 駆使 した。

・🚃 電 車

 ( 西欧、北欧を2ヶ月有効のユーレイルパスで周遊、車中泊58泊、東欧、その他 車内で   ホモに会ったり、パリジェンヌと恋人気分を味わったり・・・と色々あったな )

・🚌 バ ス

 ( グレイハウンドの1ヶ月有効アメリパスでアメリカを横断、縦断、その他あちこち )

・🚵‍♂️ 自 転 車

( 現地調達 アメリカ大陸横断、縦断、カリフォルニア半島縦断、メキシコ本土縦断、オーストラリア1 /4周、ニューカレドニア島一周、フランスの一部ほか )

   ** ここで突然ですが 🚴‍♂️ クイズだよー :

自転車乗りの皆さん上り坂はきつく辛いですよね。
それが余り苦にならず楽しむ方法があるんですよ♪何かなー?

ヒント・・旅費の節約にもなる ! → 答えは一番後ろの方にあるよ。🚴‍♂️を探して見て。

・🏍️ オートバイ

( 現地購入  アメリカ大陸縦断、カリフォルニア半島縦断、メキシコ本土縦断 )

・🚶‍♂️歩 き

( 欧州、ニュージーランド、ネパール、パキスタン他 )

・👍 ヒ ッ チ ハ イ ク

( インドでは虎のいる所をトラクターに、アメリカ大陸横断、縦断、カナダ横断し
アラスカ迄、ニュージーランド北島、南島一周 注 ) ヒッチではあるが、場所によっては🚙が1時間に1〜2台しか通らず殆ど歩き、サハラ砂漠縦断、英国縦断、オーストラリアでは牧師さんの自家用セスナ🛩️に乗せてもらい操縦させてもらった、アパルトヘイト
真っ最中の南アほか )

・🚗 自 動 車

( レンタカーでなく購入。フランスのパリからスイス、イタリア経由でサハラ砂漠の
ど真ん中まで。ど真ん中までと言う意味はそこで車が大破し廃棄。大 損。買った値段の2〜4倍の高値で売れる予定だったが、取らぬ狸の・・・で終わった トホホ😢 )

・🛼 ロ ー ラ ー ス ケ ー ト

( スコットランド一周 )

・🛶 カ ヌ ー

( インディオから直で購入。アマゾンの支流トーカンチンス河にある日本人と殆ど同じ顔をしたカラジャ族が住む世界最大の川島、バナナル島まで。途中、荒波で転覆しかけたり、雨で川が増水しカヌーが殆ど流されかけたり。河にはピラニア、島にはワニがいて岸の密林には黒豹が潜む。)

  ** また突然ですが、ここで 🛶 クイズ行ってみようか :

🛶で河下りをする場合、より安全な寝場所はどこ? →   答えは一番最後にあります。何が危ないか考えてみてね。

普通の人には生活において何の役にも立たないが、良かったら、🛶を探して見てね。

・🐴 馬 コロラド号 ( 名前の由来は馬の練習をした場所と赤毛の馬だったから )

( 初めてだったので、事前に本場コロラド州の牧場で本物のカウボーイから約3ヶ月、乗り方や扱い方、手入れ方をみっちりと仕込んでもらった。

農作業のかたわら銃の取り扱い方、射撃、投げ縄、ロデオの真似事を教えてくれた。
コヨーテやプレイリードッグ狩りに行ったが残酷なものだったな。

中米のベリーセで農夫から調達。馬で国境を越えてグアテマラ迄。当初の予定では
パナマ迄。毎日が馬泥棒との闘いだった。)         ©帰って来た浦島太郎

・🐪 ラ ク ダ 名前は無し

( 大事な相棒だが遊牧民にとってはただの移動手段でいちいち名前をつけていない。
私もそれに倣った。

現地のラクダ市で買入れ。ラクダ商人から乗り方や扱い方を三、四時間程講習してもらった。途中で何度かラクダに逃げられた。サハラ砂漠横断中に軍隊に捕まり投獄され横断ならぬ中 断となった。ラクダは軍に接収された。)

  ** またまた突然ですが、ここで 🐪 クイズ :

夜、🐪に逃げられない方法があるがそれは何? →   答えは一番最後にありますよ。
逃げられれば、即死活問題。

ヒント・・・杭を立てて繋ぐのは違います。

下の🐪を探してみて。

   *** 高難解度  🐪 クイズ No. 2   :

🐪とサラリーマンの共通点は?考えてみて。分かるかな?

   **** 超高難解度   🐪 クイズ  No. 3   :

馬の上なら馬上だが、駱駝の上だと何と言うのかな?駱駝?
駱上で思った他人への思いやりとは?

注 ) これらのクイズは確かに難しい😓けど、正解を出すのが目的ではありません。
正解するのに越した事はないけれど、色々考えるのが目的でもあるのです。
1 + 1 = 2 の様に正解が一つでもない場合も往々にありますね。Good luck !

・☃️ ス ノ ー モ ビ ル

( 厳冬期のカナダを横断しアラスカまで )

・⛵️ ヨ ッ ト

( 帰国時にアメリカ西海岸のL.A.からハワイ経由で日本まで。L.A.のマリーナデルレイでヨット探したが見つからず。
ハワイで再度、日本に行く船を探すも見つけられず。人は大海原の真ん中で一体何を
感じ、思うのか?は果たせなかった。)

等 々。 * 順 不  同   * これら 全て を 一つの 同一の旅 の中 で行った。
                                                                 
残念ながら、最後の二つは実際にトライはしたが 未 完 に終わった。
それでも、 失敗したからこそ 感じた事や学んだ事は多々あった。

移動手段位は他にも一輪車やリヤカー、犬ぞり等もあるが実用的でないもの、自分が
興味がないものはトライしなかった。
                                                                  © 帰って来た浦島太郎
後程、それぞれ 移動手段ごとの体験記 を書く積りです。

評価は個々の旅行記が完成してから 改めて お願いしますね。

今回、沢木耕太郎さんや「深夜特急」に こだわり過ぎ の感はあるが、紀行文には
沢木耕太郎さんも「深夜特急」も 出る幕はないし出す必要もない

この様に( 決して対抗する積りなどないが、移動手段だけ見ても、) 片やバスだけ
( 一部鉄道 )。一行あれば事足りる。( 事実を書いたのみで、他意は無い。)
全行程同じやり方を踏襲しやり抜いたのは素晴らしいが。

ただ、いつも同じやり方だとメリットはいいのだが、デメリットも同時にどこ迄も付いて回る。マンネリ化や中だるみで感覚が鈍り新鮮さが失われ、感じたり考える事がどうしても似てくると言うもの。自転車の上と馬の上、カヌーの上では決して同じ風は吹かない。
全く同じ時間に同じ道を行く旅人でも歩く人と自動車に乗った人が同じ事を考える筈もない。それぞれ感じる事は違う。

一方、沢木さんの旅は一見 誰にでも 出来そう でだからこそ、多くの若者を同様の旅に駆り立てるのだろう。

私は長い旅中いつしか得た 旅行哲学 の内の一つに従って旅をして来た。
「変わった経験をしたければ、変わった方法で旅をするといい。言い換えると、特別な方法で旅をすれば、特別な体験をする、出来た。」と言うものだ。  

旅行哲学ではないが、俗に [ 我に七難、八苦を与えたまえ。] と言うのがあるが、私の場合は〔 八難、九苦を与え給え 〕の気構えでやっていた。

実際幸か不幸か(?)、望み通り(?)、大小色々合わせればそれ位はあったね。
苦労した 見返りも価値も 十分にあったよ。

              第  十  章 
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これらを見てな~んだ、ただのよくあるいかにも安っぽい 冒 険 談武 勇 伝 だろうと思った人にちょっと 待って よと言いたい。

それぞれの移動手段の様子、楽しさ、難しさ等は書くが、それだけではないしそれが
メインでもない。ましてただの 自己満足的自 慢 話 でもない。

私は冒険家でもなければ、有名になりたくもない。無名でひっそりと暮らしたい。
多少の名声やお金( 額は関係なく ) と引き換えに自由やプライベートの時間等を失う
のなど真っ平だよ。マイナス の方がずっと大きいよ。

それぞれの旅を通し大自然の中で考えたり、出会った人々との絡みから感じた事、沢山の熱い思いを後世へ伝えるべく是非とも聞いて頂ければと思うだけだ。人間や人生
ついてをメインで書きたい。私の 生きた証 としても。

本当に大事なのはそれを通して 感 じ、体 得 したものだ。それこそが光る宝であり、
他の人々とも共有出来る財 産だと思うな。そうして得た 知 恵 や 教 訓 を自分とそれを聞いた誰かが旅に限らず、何かをするきっかけになったり、今後の生活に活かしてくれる一助になればそれだけで嬉しい限り。それ以上も以下でもない。他に望む事はない。

有名になりたくはないので、ましてや売名行為などでは決してない

そうして更に輝きを増すと言うもの。得たものを役立てないならそれこそ 宝の持ち腐れ と言うもの。
                             ©帰って来た浦島太郎
例えば、自転車旅が好きな私は自転車旅の体験談をよく読むが、良い悪いは別に、内容の殆どが暑かったとか、向かい風や登り坂がきつかった、パンクで困ったとか等々で終わり出会った人や留めてもらった人達との絡みがなくそれでは自転車乗りAさん、Bさん、Cさんと変わらずAさんでもBさんでも同じで 自分がやった意味 がないよ。

🚴‍♂️は🚴の🛶は🛶の感じ方、体得するものがあり🚗とも🚶‍♀️とも 違う体験をする。

( 他の人から見ての )冒険は言わば、おまけ的 なもので大した事ではない。
冒険や体験そのものはやった 本人以外 にはどうって事はなく、それ自体はそれ程の
価 値もない。

                                                                                      第  十一  章
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日本を出た時には世界一周をする積りも希望も予定のかけらも なかった。世界一周には
全然興味もなかった。

所が、なぜ そうなったのか?一体 何が そうさせたのか?・・・
時に望むと、時には望まざるに関わらず、旅( 特に長期の旅 ) には 予定外の変更 は
つきものだ。それが本当の 自由旅 ではないかな。

元々、旅の 主目的 の一つだったスキーをしてたニケ月間はそれこそ最高だったが
その後、ニヶ月間欧州を鉄道で周ったが詰まらなかった。

誤解しないで欲しいのは詰まらなかったのは確かだが、良くなかった、楽しくなかったではないと言う事だ。街並みも景色もとっても美しかった。食べ物も美味しかったな。

しかし、何かが違う。何かもの足らない。退屈なんだ。アジアの様に 刺 劇 に 満ちた
ハプニング も殆どない。人々も一部のスリ等を除き全く 絡んでこない。ここでは一人で ほっておいてくれる。アジアでは毎日が もういい加減 一人でほっといてくれ 状態
だった。

今してる旅は 自分が求めているものではない。こんな旅なら若い今でなくとも、
もっと歳を取ってから でも十分出来るよ。

その思いはその後、更に強く 増幅して 行くばかり。その後の旅=人生に大きく 影響
した。

最初、予定外のアジアへ寄ったのは単に、日本からヨーロッパ迄の長時間フライトにとても耐えられそうになかったからに過ぎない。当時は欧州迄の直行便はない。途中、
何ヶ所かで給油の為にストップオーバーするが狭い機内から外に出る事は許されない。
機体も小さく狭い上、今の様に機内でゲームをしたり、映画等の機内エンターテイメントも無い。むろんスマホやタブレットも無かった。

日本から欧州まではゆうに24時間位は掛かったな。
それを飛行機で 1ヶ月以上 掛けて行ったのだ。本当なら、2ヶ月でも、3ヶ月掛けても良かったのだが、スキー場の雪の関係でそうもしてはいられなかった。

長時間の飛行を避けるため、日本からロンドンまで色んな国々、街々で途中降機した。

元々、行く積りも、予定もなかったのだから下調べなどしていなる筈もない。
経験も、予備知識も情報も心の準備さえなかったバックパッカー 超初心者 の私には
大した旅は出来る筈もないしアジアにはそもそも何の 興味も期待も なかった。

とは言え、超初心者には超初心者ならではの波乱や 失敗、面白いこと が多数あったのも事実。台湾を経由し香港のカオス、タイの雑踏、インドの何でもありの世界等々。

バックパッカー超初心者だった私は全く何も知らず、香港ではまるで吸い寄せられるかの如く自然と重慶大厦に行ったのだ。

ドラゴンインではないが、負けず劣らぬいかにも怪しげな安ホテルだった。
壁がベッドの三方ギリギリ一杯まで迫る狭く窓もない部屋。豆球が無いので寝る時は
昼間の様に煌々と眩しく光る明るさか自分の手も見えない位の真っ暗闇かの二択のみ。

アジアでは 毎日がお祭り の様だった。良い人も、そうでない人も、一時たりとも絶対一人にはしてはくれなかった。騙し、ぼったくり、しつこい物売り勧誘などなど。

インドでは徒歩でジャングルに野生のトラを見に行ったり、歩いていたら野生の象に
追いかけられたり、ジキ2ハウスで臨ちゃんをもらったりと、実に色々あった。
良くも悪くも、とても 辛く凄く面白く、そして 限りなく刺激的な 旅だった。

前に言った様に、アジアには最初から興味がなく全然期待もしていなかった。
ところが、実際には、期待して無かった故に 刺激、驚き、面白さは大変なものだった。
何倍以上にも増幅された。今思えば、それが 正にアジアだ。

でも、ここはアジアではなく 欧州 なんだ。アジアと 同じものを 求めてはいけないし、
願ってもそうはならない。

そんな事を毎日、毎日感じながら旅していたある日、スイスのY. H. に貼ってあった
一枚の紙が旅の 全てを変えた。
長期旅=人生そのものだから 人生を変えた と言っても過言ではない。

その ポ ス タ ー ⚠️とは・・・?

それを見た時強いシ ョ ッ ク を受けると共に、そうだ「私が 求め望んでいた のは 正にこれだ!」となった。100年に一度 しか巡り会えない  特大チャンンス! 偶然にも、上手くその年に 当たった ものだ。去年でも来年でもダメ。次の 100年先 には生きてはいないだろうし。

⚠️ポスターの正体を知りたい人は秘密㊙️の小部屋②を訪れて発見してね。

第  十二  章
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ロンドンでアメリカ行き格安切符を買うには、少なくとも、出発の60日以上前 に予約をしなければならなかった。そこで、ロンドンで3ヶ月間 初めて 海外で働いた。
大工助手。

その様にして 全く行く 予定のなかった  アメリカへ行く様になった。
アメリカへ行けば、カナダは隣。行かない手 はなかった。

予定外だった アメリカに行ったから 予定外の 中米へ行き、予定外 の中米へ行ったから
予定外の 南米へ行く事になった。南米を訪れ定から、今更同じ道を戻るのも脳が無い。
ケニア以外、行く積りのなかった アフリカに渡り再度、欧州へ。その後、中東を通り
二度目のアジアへ。当初の計画でもアジアは二度行く様になってたが、随分遠回りした
ものだ。

ここまで来れば、そのまま行くと、残 す は オセアニアと南太平洋だ。人間が大好き
だから、人のいない 北極や南極や月などには興味はない。

成り行き 上とは言え、いくら自分の意志でそうしたとは言え、いくら何でも、予定が
狂い過ぎ だろう。変更にも 程がある と影の声。自分でもそう思う。

必然的、運命的にそうなったが、事前に、自分が知り得なかっただけで、最初から
そうなる様になっていたのだろう。

時間はいくらでもあったし、創り出せた。お金もね。両方とも( ほぼ )平等に
( 殆ど )誰にでも ある。
特に時間は。世の中、私よりお金がある人は数多くいるが、私以上に一時間に60分
以上ある人、一日が24時間以上ある人は 絶対にいない と断言できる。                                         
                            ©帰って来た浦島太郎

                           第  十三  章
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約8年で 一応の区切り は付けたが、こうして 41年目 にして旅行記を書こうとしてる
のは紛れもなく旅は未だ 続いている のに他ならない。

望み通り 行けば一番良いが、例えそうならなくとも、何らかの 形 で 結 果  を出したいと思っている。何らかの形にしてこそ初めて旅が本当の意味で 完 結 し思い出へと
変 貌 するだろう。その後も別の形では 続 くであろうが。

バカ馬鹿しさついでに、実はもっと馬 鹿 げ た 事 を思い描いている。夢は大きい方がいいではないか。( 現時点では ) 自己満足 かもだが、それでもいい。想 像 するだけで楽しい。笑うなら大いに腹の底から笑えばいい。

本の次は 動 画 を創りかっての大沢たかおさんの様な人に主役を頼もうか。芸能界や
役者などには詳しくないが( 若き日の )阿部寛さんや竹中直人さんもいいかもね。
昔の中村雅俊さん、もっと古くは故龍雷太さん、森田健作さんの様な人 ( 今の若者が知らないかも? )20代後半、30歳前後の俳優はほとんど知らないと言うより興味ない。

そして、陽水さんにテーマ曲を付けてもらおうか。小椋佳さんや来生兄妹もいいな。
どうかな?

それにしても、私の旅の場合、撮影が大変だろうな。費用も莫大なものになるね。
現実的には無理かもね。夢は夢でそのまま抱続けるか。実現するかのみだがどちらも
結 構。
夢には是非とも 「叶えるべき」 ものと 「見続ける」だけでいいものがあると思うな。

そんな 寝 物 語 の様な事を言うが、沢木耕太郎さんも紀行文を書こうかと思い始めた頃はまだ 無 名 で、今の様な名声は想像だにしていなかったのではないだろうか?
ましてや、ドラマ化されたり、あの陽水さんにテーマ曲まで創ってもらうなんて考えもしなかっただろうな。そうは思わない?

でも、 何年か後 に 再び 私の名を聞くかも知れないよ。
私は沢木さんの様に プ ロ の作家ではないので、それに依ってお金を稼がなくても
全然大丈夫。金持ちではないが、金に困っていると言う事もない。

中には心無い アンチ も一定数はあると覚悟もしている。例え一人でも、二人でも否、一人、二人位なら ファン は既にいるから、十人でも、二十人でも、少なくとも、
アンチ以上の数の分かってくれる人や応援をしてくれる人がいればそれで 十 分 ありがたい。
何れにせよ、十人十色で皆んながみんな喜ぶような文章など到底不可能。
                             ©帰って来た浦島太郎
熱 情 だけに任せ綴った取り止めのない長い文章にも関わらず、最後までお付き合い
下さり誠にありがとうございました。深く御礼を申し上げます。

😊感謝 😊Thanks ☺️グラシアス 😃メルシー 😄オブリガード 😊ダンニヤバード 😚スパシーバ 😉

ここで 第一部は完

いよいよ発車。列車の性質上、闇夜に紛れて発車ベルもなく静かに ゆっくり、ゆっくりと動き出す。

これからが 本当の本番 です♪。

🛶クイズの答えは、川の中の小さめの中洲。危険な黒豹やワニがいない。
但し、小さすぎると増水した時に危ない。生活の何の足しにもならないが。

 ・お・ま・け・

1976年に旅立ち約八年後に日本に帰国した時手元には計算上は ㊟、出発時よりも
多くの持ち金があった。

日本を出た時持って出た金は1,500ドル。当時は1ドルが302円で 453,000円 相当。
日本円が3、4万円で合計  約49万円
                                    ©帰って来た浦島太郎

1983年に帰って来た時の残金は 4,000ドル 少し ㊟。1ドル=235円で 94万円 相当。

つまりは タ ダ で8年間の長きに渡り世界を色々 好きな事 をしながら 色んな所 を見て
周った上に45万円 ほど(45万円は今でも大金。)持って帰ったと言う事だ。

長期の旅中にそんな事態があるのが普 通かそうでないかは知らないが、上に書いた
㊟ 計 算 上 はと言う意味は旅の途中で二度大きな 損 失 があった。

一度は悪徳又は偽警官( どちらかは不明だし関係ない )にピストルを突き付けられ、ほぼ全財産を巻き上げられた。被害額は 2,000ドル 位か。

二度目は大農場に泊めてもらった時だ。
多くいる雇われの農夫達の内の誰かに部屋に置いてあった現金 1,500ドル 少しを盗まれたのだ。

その判断が良かったか悪かったのか今だに悩む所。勿論、結果だけ見れば悪いとなるが、夜の街は夜の街で大金を持って歩くのはかなり危険なのは事実。

歴史に i f は絶対ないので、無意味な のは重々承知だが、もし上記損失がなかったら、上記の様になっていたのだ。さらにサハラで車が大破せず思惑通り高く売れていたら、軍隊にラクダを没収されてなかったら・・・

実際には帰国時に4千ドルではなく500ドル 少し。12万円程 相当が手元にあった。

それでも尚 1,000ドル 位、即ち、25万円 ほどで長期に世界を周われた事になる。

その盗られたお金のためにこれまで生活に困窮した事はいないし今もしてない。

それどころか、その殆どが世界一周旅などはしてないであろう同年代の平均貯蓄額より多くの貯蓄額がある。

見れば分かる様に、( 別に世界一周旅に限らず、)何でもやったもの勝ちで逆に、やらないと損と言うもの。

今ではワーキングホリデーと言う 結構な 制度があり🤿 ( 潜り ) ではなく 正式に 働けてかなり稼げると聞いている。イイ時代だ。

         🔑🗝️                   🔑🗝️                   🔑🗝️

🐪クイズの答えは、ラクダの前足の膝あたりを紐で括ってておく。そうする事で遠く
へは歩いて行けず、普通は朝起きれば見える範囲にいる。
地平線迄見渡しても姿が見えない時は足跡を追跡するのみ。大体は見つかるが、そうは行かない場合もあり、その場合途方に暮れるか、運に頼るだけ。幸い私の場合は強運に助けられた😅


㊙️の小部屋①  →   長くなるので今度又ゆっくり話すね。期待はずれをお詫び🙇‍♀️
します。乞うご期待!

㊙️の小部屋②  →  それは🇨🇭のユースホステルに泊まった時、壁に貼ってあったもので、🇺🇸の独立200周年を記念して国を上げて祝う行事の中の一つで、🚴による🇺🇸大陸自転車ツアーの参加者を募集するもの。時間や体力に合わせて🇺🇸の一部を走るものから、完全に大陸を横断するもの迄色んなコースがある。横断は西から東と東から西への二通りある。
個々の団体での参加以外には色んな国籍の男女を混ぜたグループと個人単独での参加がある。私は個人参加でロンドンから🇺🇸のモンタナ州にある事務局に即申込書を送付。

🚴‍♂️クイズの答えは道端に捨ててあるコーラの空き瓶を探して集める事。今もあるのかな?

当時、確か一本5セントだったかで店で引き取ってもらえた。割れてなければ、汚いのはO.K. 一日で少なくとも10本以上、多い時は30本は見つかった。当時は一日1〜2ドルでやっていたから半分位はカバー出来て大助かりだった。

🐪クイズ No. 2とクイズ No. 3 の答えは駱上で実体験しないと分からないと思うので詳しくは本編で。期待に添えずすいません。


以上楽しんで頂けましたか?ここ迄お読み下さった方々に重ねて御礼申し上げます。🙏

簡単なものでいいですから率直なご感想を下さいましたら幸いです。宜しくお願いします。次回に役立たせて頂きます♪。

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