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『深特』夢企画 * 限定公開分 *       

   注)深特は『深夜特急』の略です 

★ 予告編の予告編 ★  ©︎帰って来た浦島太郎

  == 取扱い注意 ==        ★ 部外秘 ★
       
‟ 親 展 “          “ 警 告 “          “ 注 意  “         “ お 願 い “

他人宛ての文章を無断で読むのは法律で禁止されています。
*封筒に入った手紙でなくこう言う文章にも適用されるかどうか不明ですが。

誠に勝手な事を言いますが、これは現段階では単なる旅好きの一般の不特定多数を対象としたものではなく、当方から連絡をさせて頂いた主にフォロワーさんを中心に一部の特定の方々及び沢木耕太郎さんの『深夜特急』に特に思い入れがあり深く愛している人限定の言わば試験的公開です。それ以外の方は閲覧はお控え下さい。

その様な状況のため、削除した方がいいかなと思われる部分も皆様のご意見をお伺いしたく敢えて書いてあります。特に、【 】に挟まれ消してある部分で🌟①とか② ( 🌟の何番と言う様に ) マークのある所について否定的、肯定的を問わず、前向きで建設的な事なら、敵対的、感情的でない限り悪い点もどんどんご指摘下さい。悪い点=改善点の方がむしろ有難いです。宜しくお願い申し上げます。🙇‍♂️

その他何かお気づきの場合は、それ以外の部分でもどしどしアドバイス等をお願い申し上げます。
Noteのコメント欄以外、字数制限はあるがXのコメント、
E-mailの場合
ukiko.uki@icloud.comでも可。

言うまでもなく、これはあくまでも当方の 勝 手 なお願いに過ぎません。
一部、又は全部をお断りされるのはご自由です。特に、現在旅行中で動画編集、
コメント返し等でお忙しければ尚更です。どうぞご遠慮なく。

一般向けのものは色んな方々の賛否両論様々なご意見やご提案を伺った上、必要に応じ修正・加筆・削除し出来るだけ早く改めて、出来れば1ヶ月以内に再発表させて頂きたく思います。多数決で決める訳ではありませんので必ずしも皆様全人のご希望に叶わない場合もあるのは前持ってご理解下さると共にご了承をお願い致します。
何れにせよ、全員が全員全て気に入る文章を創るのなど土台無理と言うもの。

最終的には、沢木耕太郎さんご自身に是非とも読んで頂けたらと願っています。

長い文なので何度かに分けてお読み下さい。そして、気が向けばコーヒーでも飲んだり晩酌をして、新たな気持ちでその先をお読み続けて下さいね。若しくは、どこでお辞め下さっても構いませんのでご自由にそしてお気軽に読んで下さい。

もし、これを本来宛てた人以外の方が何らかの理由で読まれるのは私にはどうしようもないですが。呉々も 自 己 責 任 でお願いしますね。ここ迄言っても敢えて読む人は好奇心が旺盛である意味前向きな人だろうから読んだ後に 責 任 のある行動をする若しくはしない様に強く期待したい。

 *      *      *      *      *      

【 深 特 夢 企 画 】

こんにちは🌞。こんばんは⭐️。
「帰って来た浦島太郎」と申します。結果的に、長期世界一周旅の経験者だよ。
Xでは 🟣紫にUの「 ukiko_uki 」でコメントしています。どうぞ宜しくね。

海外旅行や特に『深夜特急』にご興味をお持ちの皆様。
お忙しい中、突然、長く取り止めのない文章を送り付け誠に失礼致します。
何卒、ご無礼をお許し下さい。

この文章には第一部と第二部があります。

第一部は私の今後の計画である「深夜鈍行」新設への決意と希望ほか。

第二部は旅と人間の成長。

大沢たかおさんの「深夜特急」疑似体験とその影響。
旅は人を変え成長させるとよく言われるが、擬似体験をした大沢たかおさんは、描こうと思えば、別冊「深夜特急」を書けるのか、書けないのか?書けるとしたら、なぜ書かないのか?書く気がない?(俳優だから)書く必要がない?書けばどんな内容になる?

自分の旅ではなく、擬似ではやはりダメなのか?
これらに付いては、私がいくら勝手に想像を巡らせても始まらない。
本当の所は大沢さんご本人に伺ってみない事には分からないだろう。

今回、先ずは第一部のみを書かせて頂きます。

   🌞   🚌   🚵‍♀️   👍   🐪   🚣‍♂️   🎠   😊

先ずは、所々に旅の先輩であり旅仲間でもある沢木耕太郎さんやファンの方々に対して生 意 気 な 発言や 偉そうに映る無 礼で失 礼な 部分、挑 戦 的 とも取れる部分も多々あると思うので 寛 大 な 気持ちで ご 容 赦 をお願いします。

私も『深夜特急』の様な旅が好きだし、実際に自分自身も 同 時 期 に旅をしたので沢木(旅の)先輩には大いに 共 感 している。

沢木耕太郎さんはむろん『深夜特急』ファンの皆様の 反 感 を買ったり、まして 敵 に回 す 様な事は決して望んでません。そんな事をしても私に害こそあれ 何ら益はありません

これらの点を是非心に留めた上で以下を読み続けて下さい。重ねて お 願 い 致します。

今回、第一回目として贈らせて頂きますが、暫くご辛抱の上、最後までお付き合い頂ければ幸いです。繰り返しますが、もし興味がなかったり、お忙しければ、無視の上削除下さいね。また、途中のどこで切り上げてもらってもいいですよ。

        ⁂          ⁂          ⁂           ⁂

<ここからが本文>

今後の旅の予定・夢企画書  草案 A ( ㊟  草案 B、場合によってCもあり?。 )

ねえ、知ってる?ひょっとしたら、『 深夜特急 』が新たな名前で増便並びに延伸されるかも知れないよ?新路線が出来るかもね?㊟🌟 ① 誤解を招く不適切な表現か?

具体的には、新刊続編並びに英語版( 何も『深夜特急』のではない ) が出る
かも知れないよ⁈ 🌟 ② 誤解を招き不適切?

( ㊟ 私が勝手に言っているだけで、 沢木耕太郎さんにそのご予定はないだろうし
表現に関しても正式に許可、ご了承を頂いている訳ではありません。誤解の無き様に。
又、以下を読んで頂くと分かりますが、誰かの許 可了 承を頂く類のものでもないとも思います。あの「深夜特急」とは全く別物の「」の話だから。)
                          ©帰って来た浦島太郎

仮名は、「 深夜鈍行 *注 ) 」と[ Midnight Local *注 )]だよ。どうかな?
    ※ 真実に基づく話  ※ Based on the true story

日本語版並びに英語版ともに納品日未定ながら、発注した人はもう忘れているかも知れないが、予約注文は既に入っている。英語版はベルギー人の Luc 他が予約済み。

沢木さんはどう言う 経 緯狙 い でタイトルを「深夜特急」とされたかは、私の
知る範囲では、同名の映画から取った以外に定かでない。人に与えるインパクト
や心に強く残る頃のいい印象的な良い名前であるのは間違いない。

私の場合、仮名を「深夜鈍行」としたのは確かにあの「深夜特急」にあやかる
のは否めないが、それだけではない。ただの酔狂ではなく、ちゃんとした理 由
があり、むしろその方がずっと重 要なくらいだ。

先ずは、後に出て来るが、私が旅で利用した移動手段は何も総じてスピードが
遅 く 途 中 停 車 も多く、正に特急でも急行でもない紛れもない 鈍 行 だった。

次に決して大袈裟ではなく、もっともっと大きくれっきとした理 由があるのだ。

文字通り、実際に“ Almost ride the Midnight Express. ” “ 殆ど「深夜特急」に
乗りかけたんだ。”                  ©帰って来た浦島太郎

ネタバレになるので現時点では詳しくは書かないが、○○○砂漠をラクダで旅をしていた時のこと。
どこからともなく突如現れた武装した軍 隊に捕まったのだ。その時はな ぜ拘束されたのかは全く分からずだ。

何とかして切り抜けようと、( 言われのないワイロは払わない主義で嫌だが、)
それとなく、お金を払う様な素振りを見せたが、通じない

言葉はちゃんと通じているが、どうも 全世界共通? 万 能?のはずの金( 賄賂 )
が通じない。どうやら金が目当ではなさそうでそうなると返って始末が悪い。

有無を言わさず、そのまま基地の留 置 所に連行された。
それに続く厳しい 尋 問

心配と予想はしてたが、その日は時間切れ。結局、私のために 特 別 室 ( 本当にそう言った ) を用意してあるからと案内されそのまま良い方ではない特別室に投 獄された。
特別室はウ ソではなかった。特別室と聞いて先入観と希望的観測で勝手に良い方を想像したこっちが悪いのだ。

そこで夜を明かした。10人程の先客がいた。
皆に罪状と刑期を聞けば、万引き、泥棒、傷害と何れもれっきとした立派な(?)正真正銘の犯罪者ばかりだ。中には殺人犯もいたよ。

私も皆から一体『何をやらかしたのか』と聞かれた。
「分からない何もしてない。」と言うと、何もしてないのに、ここに入れられる訳がないよと言われた。至極当然の反応だろう。

こうなったら開き直りでも破れかぶれでもなく、暫く他の本当の囚人達と楽しく過ごすしかないな。幸い、殺人犯を含め囚人達は皆フレンドリー い い 人?が多かった。

でなければ、気が触れる孤 独 死、下手すると 餓 死 ( ㊟後ほど下で説明 ) さえ
しかねなかったよ。それにしても、多少フランス語が出来て本当に良かった。
「芸 ( 語学が芸かどうかは別にして。)は身を助けるか。

ただ、いくらいいメイト達 ( 囚人仲間 ) に恵まれたとは言え、[ 住めば都 ] には
なりそうにない ( まあ、なったらなっただが。)。
何れにせよ、 長 居 無 用 だよ。

暗くて狭い獄中、よく檻(おり)の中と言うけれど、その檻さえない。鉄格子なら外も見え少しは解放感もあると言うものだ。四方を囲むのは分厚い鉄の扉を除けばコンクリートの壁だけ。小さな窓すらもない。

停電にでもなったら気が狂ってしまうのではないかと、そんな事を考えながら寝ていて何となく目を開くと、本当に停 電。それこそ‟ 目の前が真っ暗 “になっていた。自分の手さえ見えない闇の中。
見えるのは微かに黒く光を放つ “ 絶  望 “ の二文字のみ。

このままいくら待っていてもすんなりと出してくれそうにはない。そろそろ出る算 段をしないとね。

何しろ、刑 期がちゃんと決まっている他の受刑者達の様に、あと半年したら刑期を終え必ずここから出れるとか、後一年我慢すれば出られる連中とは違い、こっちとら( 今の所 )無 期 懲 役か( 人間いつ死ぬかも知れない事を考えれば、)終 身 刑なのだからね。

投獄され三日、四日ほど経って初めて ス パ イ 容 疑 だと告げられた。
その後も取り調べは遅々と続いた。窓もない狭い獄中で更に数日が過ぎた。

容疑は分かったが、刑期や釈放日についていつまで経っても一切言及がない
これではまるで本当に無期懲役、下手をすれば、終身刑ではないか。

で も ど う す れ ば・・・? ? ?          ©帰って来た浦島太郎

問題は今私が こ こ に 居 る のを ( 今の所 ) 何も出来ない自分と、何ら期待
できない、否してはいけない囚人達とこれまた当てには出来ない監獄の関係者以外、誰 も 知 ら な い 点だ。
神仏はご存じなので、動き出せば手助けはしてくれるだろうが。

誰かに知らせるとしてい つ ? ど こ か ら ? 誰 に ? ど う や っ て ? 3W1Hだ。

檻の中の囚人達は何も出来ない。させてもならない。
看守や職員達もワイロ目当てでなく、金で解決出来ない以上当てにはならない。

そうなれば、引き算をすると、( 自分自身も檻の中と言え、)打開出来るのは
自 分 だ け となる。つまり、今自分の意志で動くもの、動かせられるのは自分の
だけだ。それ以外何もない。頼れるのは神仏( 運も含め )以外に己のみ。
知 恵 を 絞 れ ! 動 け!( とは言え、悲しいかな檻の中ではね。)

こんな小さな村、村と言うより部落に近い、では弁護士と言う様な気の利いたものなど望むべくもないし、まあ仮にあった所で、その為に外出をさせてくれる事は叶わない。
ましてや、裁判所などはあろう筈もない。加えて、この国には頼みの(?)日本国大使館もない。( 別の国にある大使館が兼任をしているのを後で知った。)

その後の 脱 出 劇・・・

と言っても、実際に深夜特急にすぐに飛び乗った訳ではないよ。

乗ろうと思えば、簡単ではないが、何とか乗れそうだから、一時は本気でそうしようかとも考え色々作戦も練った。

自 分 専 用  ( 刑期が決まってる人は乗客にならないだろう。今 回 限 り
特 別 に 仕 立 て た 一 度 限 り の 臨 時 列 車 だ。

獄中には時計が無い=時間が無いので当然時刻表なども無い。
何処にいつ停まるのか、それとも停まらないのかさえ分からない。
行先は『自由駅』と『地獄駅』のどちらかのみ。どちらかは乗って着いてみない事には分からない。直行だから途中下車は不可。

その正に終着駅に列車を停めるのは他ならぬ自 分だ。自分自身が運転手であり車掌だ。他の誰も停めてくれない。相当な決 意覚 悟なしではちょっとやそっと気軽には飛び乗れない。『深夜特急』とは言え、流石に夜に乗るのは無 謀だし不 可 能 に近い。

そんな特別臨時専用列車はいいが、問題は 降 り る 時 だな。

舞台になっているトルコなら、どこで列車を降りても、どうにかなるだろうが、
ここは ア フ リ カ だ。

刑務所の周りは見渡す限りのサバンナ。背後は延々と続く大砂漠。
上手く深夜特急に乗り、うまく下車したとてとてもではないが、生き延びては
行けないだろうよ。

食料も水も無い。イヤ、例えあったとしても、それらを入れるバッグも無し、
パスポートもないので上手くこの国から密出国出来ても隣りの国に正式に入るのは叶わないね。
あのアルカトラスが大海原の孤島なら、ここはさしずめ大砂漠の孤島( 周り何十キロに渡り街はむろん村もない。)か。
アルカトラスは確かに抜け出すのは大変だろうが、一旦出てしまえばパスポートも要らないし、生き延び、逃げ切れる確率はずっと高いであろう。

もっと大事な事は逃げてしまえば、スパイ罪と言う “ 冤 罪 “ が晴らせないどころか、逆に、容疑が容疑でなくなり、本当のスパイにされ “ 罪 が 確 定 “ してしまう。

砂漠で見つかり兵隊のライフルで射殺されれば一巻の終わりだ。やがてはサハラの砂の一部になり遺体が発見される事もないであろう。現地でも日本でも( 悪い )ニュースにすらならないのなど御免だよ。
                          ©帰って来た浦島太郎
そう思い『特別臨時深夜特急』の予約は “ 解 約 “ した。払い戻しは無し。
多少の心の安定は手に入れたが。

実際、具体的にどの様に刑務所からの脱出に繋がったのかとその後の経緯は 機 会
があればのお楽しみ・・・ここでCM、来週へ続くと行きたいが、放送日(?)は
未 定 だ。

脱出劇「深夜鈍行」の立役者は、先ず、一番の主役で重要な役を果たしてくれた
L u cと言う名のベルギー人と恋人のJ o ㊟。
準主役のドイツ人と準主役の二人の日本人。一人は捕まった所とは違う国にある
この国担当の日本国大使館員でもう一人は日本企業の現地法人の責任者の方。

To be continued to !・・・→!へ続く・・・

      ?       ?       ?       ?

㊟ Lucとは私が街をぶらついていた時に偶然に出会ったベルギーの青年でこれから砂漠をラクダで旅したいと彼に言うと知り合いの人を紹介してくれた人。
その紹介された人を通じラクダを探し、ボラれる事なくラクダを手に入れた。

その後お互いに長い間、音信不通だったが、50年近くも経ってからLucと奇跡的、運命的に再 会が出来た。LucよよくぞFBで私を見つけ出してくれたね。
やはり紛れもなく、旅はまだ終わってはいない。まだ続いていたのだ、今も!!

変な話だが、私自身、当時の細かい真 相を知ったのはLucのメールを通じ50年近くも経ってから!!

私が獄中で飢えないどころか、美味しいものを食べれてたのは、Lucが恋人のJoと毎日毎日、監獄へ差し入れをしてくれてたと知った。

壁の外には悪い事をしてないのに食物がなく飢えている人が多くいる貧しい国で、壁の中の人=犯罪者=悪人が時に、果物やプリン等デザートまで付いたものをどうして食べられるのだろうかと、ずっと不思議に思っていたのだが、今回やっとその謎が解けた
正しく命の恩人だよ。事前に彼と偶然に知り合ってなかったら・・The E N D だった( かも知れない。)

!       !       !       !
!→                        ©帰って来た浦島太郎
話を本筋に戻すと。

無事に解放されたとは言え、実際は、監視役の武装した兵隊二人に 国 境まで護 送された。[ 帽振れ ]ならぬ[ ライフル銃振れ ] のサービス?付で歓声と共に送り出された。鼻向けの言葉は「二度と戻ってくるな。」だった。

それにしても、国外追放だけで済み日本に強制送還されなくてつくづく良かった。
しかも、行きたい方の国境。でなければ、決定的に、そして大幅に予定が狂っていた。

もう一つ良かったのは、解放時には預かられていたパスポート・お金・荷物類を全て、きっちりと返してくれた。最初から金品が目的でなかったのが改めて証明された形だ。

それ以上に嬉しかったのが、スパイ容疑を容疑でなくスパイ罪に確定するべく調べる為に預かられていた日 記も無事に帰って来た事だよ。

スパイ罪立証のための物的証拠として一応調べた様だが日本語が分かる人がいなかったらしい。笑
解読( 大袈裟かな? )されていたら刑が確定はしない迄も、何かしらトラブっていたやも知れないな。

余談だが、その後はヤバイ国に行った時は日記の書き方やページにちょっとした細工や工夫したり、暗号を使ったりした。幸いその後は同様の事はなかった( 軟禁はあったが。)でもよく考えたら、そんな日記を書いていたら返って怪しまれるかな。

それとは別に結果として、凄く良かった事の内の一つは『不 自 由』が知れた事。不自由を知らずして『自 由』とは、が分かる筈がない。身をもって痛感したよ。
不自由を知らない人が本当の自由を知っている訳がないよ。その逆はないのでは。

丁度『不 幸、不 遇』な状況に陥って初めて、それまでは気付かなかったが、今までがいかに『幸 運』だったかを思い知らされる様なもの。

健 康』もしかり。無くしてみて初めてその 価 値 、有りがた味 がしみじみ分かる。決して、それが『普通で当たり前』ではなかった事を。つまり、普通で当たり前がそうではなく、普通、当たり前こそが『特 別』な事で『例 外』なのだな。

一つ断言出来るのは、脱出出来たのは正に神が与えてくれた、それこそ、奇跡的な千 載 一 遇 のチャンスを逃さずその全てを活かした事と稀なる強 運があったからだ。

でなければ、今だに日本人初で同時に多分最後の獄中生活を送り、今頃はすっかり日本人初の牢名主になっていたかも?とのんきな事を言っている場合ではないよ。

つまり、それ位まれにしか巡って来ないと思われる絶好のチャンス。そんなチャンスが偶然にも幾つも重なっていた。それらのどの一つが欠けていても、イヤ、タイミングがほんの少しでもずれていたら、とても奇跡の脱出劇は絶対に成立しなかったな。

獄中生活の様子は長い年月が経った今も心に鮮明に焼き付いているよ。メイト達は皆な元気かな?

当時は大きな恐怖と絶望、ほんの一握りの望 みしかなかったが、今は、時がそれを一つの旅のハイライト(の一つ)、いい(?)思い出(の一つ)へと変 貌させてくれた。
今や財 産の一部だよ。若い時の苦労は買ってでもせよというが、正にその通り。でも、そんな経験は売っていないし、買うことも出来ない。間違いなく、( 後で出て来る ) 八難、九苦の内の一つだった。

【少し違うかも知れないが、丁度、恋、それも失恋かな?これまで数々の失恋をして来た。その都度命を掛けて来た。失恋は言う迄もなく良くない結果で辛く悲しい事だ。だったら無かった方が良かったかと言えば、少なくとも私はそうは思わないな。】
🌟 ③この部分は不要か?

     🌞      🦒      🦓      🐪      🌞 

                                                                     ©帰って来た浦島太郎
話が大きく逸れ過ぎたので、そろそろ本当の本筋に戻ろうか。

路線の設 計 図はもう完成済み。用地の確保も既に出来ている。資 材も揃っているよ。
現場監督兼作業員も一名いる。後は着 工するのみだ。沿線住民の反 応はどうかな?
そして乗 客は?と言いたい所だが、この場合それは適切ではないだろうな。何しろ乗客はいるとしても全 員 囚 人脱 獄しようとしている人達ばかりなのだからね。

【新線は内容も一新される。㊟同上。とは言え、】🌟 ④不適切だから削除?

沢木耕太郎さんの「深夜特急」は旅人のバイブルとまで言われる位だから、内容は折り紙付きで素晴らしいのは改めて言うまでもない。

【更に、増便もされる。】「深夜特急」は1~6便だが、7線・8線・・・と追加されるのだ。㊟同上。】🌟 ⑤ここは不要かな?

エキサイティングな北米線・のんびりだが、ちょっぴり危険な中南米線・挑戦のアフリカ線・のどかで大自然豊かなオセアニア( 南太平洋を含む )線が加わるよ。

  📗     📘     📖     📘     📗

いくら待っていても他薦はしてくれないので、( 冗談。別に他薦されるのを待っている訳でもないけれど。)自 薦 しますね。

言わずと知れた沢木耕太郎さんの紀行小説「深夜特急」。バックパッカーのバイブルとして余りにも有名だが、これまで私は特に 興 味機 会 もなく、一度も読んだ事はなかった。読む積 りも全然なかった。元々、旅のガイドブックも含め読書はしない方だし。

今回たまたま、ある深夜特急関連の動画を見る機 会がありそして、初めて「深夜特急」の試し読みをした。併せて、動画も6本全てと関連動画を何回か見た。この出会いもこの旅の中での素晴らしい出会いの中の一つ。以前、上温湯隆さん( 故人 ) の『サハラに死す』との出会い以来だ。

本を読み動画を見て感じた素 直な感想は、これなら沢木耕太郎さんと同 時 期 に私がしていた旅と大 差 はないなとの 強い印象 を受けた。

別の日にはアジア編の動画も見たが、益々、あたかも、まるで当時の自分の旅の様子を見ている様だ。

現代から見れば、<私>( 沢木さん )の旅は色んな点で大きく違うだろうが、私に限らず、私と同時代の旅人の多くは大なり小なり、同 様の旅をしてたのではないだろうか。そう言う時代だったのだ。

それを旅行記として実際に書いたかそうでないかの違いだけ。
但し、そのとても、大変、凄く、めっちゃ、果てしなく、とにかく、とてつもなく大きい

私が帰って来た時には「える、たい、ないと」のどれ一つ全く無かった。つまり、伝える、伝えたい、伝えないとと言う想いはカケラも無かった。ひょっとして沢木耕太郎さんも書き始めるまでに随分と掛かったので最初は同様だったのかな?

その後も <私の本> を読めば読むほど、<動 画> を見れば見るほど、更に確信し、同時に自 信( 過信でないと願いたい )を持つに至った。

敢えて暴 言を重々承知で言うなら、( あくまで私から見て )あの程度で( 沢木耕太郎さんと愛読者には誠に失礼なのは十分に分かっているが、実際、素直にそう感じたのだから仕方がない。)[ 旅人のバイブル ]になったのならば、[ 私 ]の旅の話は絶対に行ける( 旅人のバイブルになるかは別にして、まあ、なる、ならないは私にとっては大して重要ではないが。)と更に強く実感したね。
                       ©帰って来た浦島太郎
今更言わずとも、沢木さんは確かに素晴らしい旅をしたと思う。それは間違いない。
だからこそ、多くの若者の心に響き、心をつかんだのだろう。

でも( 私から見て、)彼は最 高の旅をしたかと言えば??だな。( 何も私の旅が最高と言う積りは全くもってないので誤解無きように。) 🌟 ⑥ 不要か?

これ迄、彼にチャレンジする人、出来る人が現れなかった。
結 果を残している点からも、最高の旅だったのかも知れないな?多分。

我々に時代は少ないとは言え、それでもなりの数の人が海外旅をしていたのは確かだ。
最も、最高の旅をしても最高の結 果に繋げるのは至難の業だろうが。

旅の先 輩、同時期に旅をしていた旅仲間として旅先で出会ってみたかった。
そんな沢木耕太郎さんに敬 意を払うことはあれ、身の程知らずに対 抗、ましてや、挑戦しようと思う気持ちなど更々ない事ははっきりと申し上げておく。恐れ多過ぎるよ。

【 それに、旅行記ならまだしも辛うじて何とか行けそうだが、他の分野の小説なら対抗するなどは全くもって到底無理だしそんな考えも全然ない。( 彼のに限らず、小説は読んだ事はないし、元々、旅行のガイドブックを含め読書はしない方。) 】🌟⑦ここ必要?

第一、 私には沢木耕太郎さん程の文 才はとてもない。最初から勝負にならないよ。
それらを十分に承知の上で沢木さん個 人に挑戦と言うよりは「深夜特急」と言う一種のブランドの壁に挑むのだ。

沢木さんは プ ロ作家である以上文才がなければならない。それで稼いでるんだから。実際に文才はあるし証明もされている。

私はプロの作家ではないが、物を書き人様に読んでもらう以上は文才がなくても良いとはならない。それでは甘え、逃げになってしまう。

ただ、文才は確かに大事だがそれ以上に 目の付け所、発 想、想 像 力、考 え 方 だ。
文才はそれを人により上手く伝え、読ませる能力、技術だと思う。

出来る事なら、お金を出してもらうのでなく、自分にはない『文才』や『アイデア』をクラウドファンディングして募りたいくらいだ。
イヤ、やっぱり例え下手でも、自分で書く事に意味があるしそれが大事だよ。

旅に対する 情 熱 だけは誰にも負けないと自 負してるので、その情熱が文才がない分をどこまで カ バ ー 出来るかだ。やるだけだ。

ただ、黒沢さんが書かれた頃とは時 代も大きく違う。今や多くの人が旅をし動画を上げたりしている。独りよがりの時代錯誤はしたくはない。

これは沢木耕太郎さんへの 挑 戦 状 でも何でもなく、言わば、形を変えた沢木耕太郎さんへの フ ァ ン レ タ ー として見て欲しい。                                          

仮に挑戦状としても始めから結果ははっきりしている。
                                                                                 ©帰って来た浦島太郎
私が勝てないと思われる理由は明確だ。文才以外に、
・『深夜特急』の名声が大き過ぎ一つのステータスが出来上がっている。
・ 私の旅は沢木さんの様な皆んなが同様な事をやりたいと思う様な万人受けするものでない。但し、した事自体がメインではなくそれをした事で自然の中で感じ考えた事、 体得したもの、更にそれを通した色んな人との関わり、人の優しさ素晴らしさと醜さ等をお伝えしたい。
・ 沢木さんが発表した時とは時代が違う。今では多くの人がを旅し旅動画も沢山ある。
・ 自分ではどうする事も出来ない世の中の不穏な情勢。C国がT湾に攻め込んだり、大災害が発生する可能性も高い。
・ 知名度がないのは当たらない。沢木さんも最初から名前を知られていたのではない。
🌟 ⑧ この部分は必要か?

最初から勝負なならないがそれが目 的ではない。
勝つ事より 挑 戦するのに意味がある。人間、勝てないと分かっていても挑まないといけない時もある。

沢木さん、『深特』と言う特定の人やものにに挑戦するのでなく、自 分、自 分 の 人 生 への挑戦なのだ。

最大のラ イ バ ル は ( 沢木さんではなく ) いつも自分。自分の応援団団長は自分であり最大の味 方も自分自身だ。💜を持って一番厳しく当たってくれるのも自分。

同時に、一番甘えやすく甘やかしてくれ、足を引っ張るのも自分。でも、それは本当の愛ではない。自分の中のWスパイに要注意⚠️

そう簡単に( 自分に ) 負ける訳にはいかない。

正面切って全力を尽くし挑んだら、それだけで私にとっては勝ちだ。
そうしなかったら、( 自分に、人生に ) 負 けだと思う。人生、負けでなければ勝ち。全力を尽くせば結果は時の運何らかの形にはなるであろう。

 🎒     🎒     🎒    🎒 憧れの?バックパッカー?  

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沢木さんは197426歳で旅立った。私は1975年同じく26歳位で旅に出た。

基本は同じく一人旅だったが、時に二人、三人、更に団体旅まで。相手は老若男女様々で国籍や人種、宗教も多種多様。一緒に旅した期間も半日から二週間位までと様々だ。

日本出発時での予定期間は約8ヶ月であった。

金がなくなる迄ではない。旅を完遂するのに十分な資金は準備してあった。
その額は沢木耕太郎さんより少し少ない程度。T/C( トラベラーズチェック < 今の人に分かるかな?> )が1,500 ドル分と日本円を3、4万円。沢木さんは更に現金400ドル持ってた。

私にとっては金の終わり旅の終わりではないし、旅の終わりが金の終わりでもない。私の場合、仮にお金が無くなり必要ならば、自分の手で、色んな方法で作るのみ。
無くなったら作る。単純な事だ。それ以外はないよ。

実際、旅が予定より大幅に長引きそうした。自分への甘え、家族や友人、恋人などに送ってもらう様な( 自分や人への ) 甘 え 逃 げ は最初から考えにはない。

正直、あんな彼女がいるのは大いに羨ましいし出来れば私も甘えたいが、そもそも、あんな彼女がいなかったな。いいなぁ。まあ、実際にはなかったと言う話も聞くが??

結果的に約八年の内の約三年は世界八か所で大工の見習い・農夫・カウボーイ・自転車メッセンジャー・土方・運転手・日本レストランのヘルパー他をしたり、路上でイラスト販売もして資金稼ぎをした。

残念ながら、当時は合法的に働けるワーホリ制度や治験などはなく、仕方なく不本意ながら、殆どが異報州浪( そのまま音読みして下さい )。他に方法はなかった。

実際、人の仕事を奪った事もないが、意方は位宝だから開き直ったり、正当化する積りは更々ないし出来ない。

当初の旅の主目的は 二 つ のみ。
一つは本場のヨーロッパの各有名スキー場で二ヶ月間自由自在に思う存分滑りまくる。
二つ目がアフリカのケニアで野生動物を見て回る。それだけ。他はなし。

二次的な小さな目的は折角遠い、遠い( 直行便の無かった当時は正にそうだった。)
そして、二度と行くことがないかも知れない欧州の国々、街々を見て回る事だった。

何もわざわざ比べることもないが、🌟 ⑨ 不要か?

ご存知の通り、沢木耕太郎さんの旅の動 機は友達とインドからロンドン迄ローカルバスだけで行けるかどうかの 賭 け をした。( 多分、他に本当の隠された目的があるのではないかと察するが。)

期間は一応、金が続くまでだが、結果的には1年と3ヶ月。ほぼ、当初の予定通り
全ての本を執筆するまでを旅行期間とみなせば3便までだけ見てもプラス16年、更に+・・・となるが。

🚌  🚍  👍  🚵‍♀️  🎠  🛶  🐪   🛼  これらは何?

私の場合はその場、その場所、場所に 応 じ て 以下の様々な移動手段を駆使した。

・🚃 電 車 
 ( 西、北欧州大陸を2ヶ月有効のユーレイルパスで周遊、車中泊58泊、東欧、その他 車内でホモに会ったり、パリジェンヌと恋人気分を味わったり・・色々あった )

・🚌 バ ス
 ( グレイハウンドの1ヶ月有効アメリパスでアメリカを横断、縦断、その他あちこち )

・🚵‍♂️ 自 転 車
( アメリカ大陸横断、アメリカ大陸縦断、カリフォルニア半島縦断、メキシコ本土縦 オーストラリア1/4周、ニューカレドニア島一周、フランスの一部ほか )

・🏍️ オートバイ
( レンタルではなく現地購入。アメリカ大陸縦断、カリフォルニア半島縦断、メキシコ本土縦断 )

・🚶‍♂️歩 き
( 欧州、ニュージーランド、ネパール、パキスタン他 )

・👍 ヒ ッ チ ハ イ ク
( インドでは虎のいる所をトラクターに、アメリカ大陸横断、カナダ横断しアラスカ迄、ニュージーランド一周、サハラ砂漠縦断、英国縦断、オーストラリアでは牧師さんの自家用セスナ🛩️に乗せてもらい操縦までさせてもらった、その他 )

・🚗 自 動 車
( レンタカーでなく購入。フランスのパリからスイス、イタリア経由でサハラ砂漠のど真ん中まで。ど真ん中までと言う意味はそこで車が大破し廃棄。大 損。買った値段の2〜4倍の高値で売れる予定だったが、取らぬ狸の・・・で終わった )

・🛼 ロ ー ラ ー ス ケ ー ト
( スコットランド一周 )

・🛶 カ ヌ ー
( インディオから直で購入。アマゾンの支流トーカンチンス河にある日本人と殆ど同顔をしたカラジャ族が住む世界最大の川島、バナナル島まで。途中、荒波で転覆しかけたり、雨で川が増水しカヌーが殆ど流されかけたり。島にはワニがいて岸の密林には黒豹が潜む。 )

・🐴 馬 コロラド号
( 初めてだったので、事前に本場コロラド州の牧場で本物のカウボーイから約3ヶ月、乗り方や扱い方、手入れ方をみっちりと仕込んでもらった。

農作業のかたわら銃の取り扱い方、射撃、投げ縄、ロデオの真似事を教えてくれた。 コヨーテやプレイリードッグ狩りにも行った。

中米のベリーセで農夫から調達。馬で国境を越えてグアテマラ迄。当初の予定ではパナマ迄。毎日が馬泥棒との闘いだった。)    ©帰って来た浦島太郎

・🐪 ラ ク ダ 名前は無し・遊牧民にはただの移動手段でいちいち名前をつけていないので私もそれに倣った。大事な相棒ではあるが。

( 現地のラクダ市で買入れ。ラクダ商人から乗り方や扱い方を三、四時間程、講習してもらった。途中でラクダに何度か逃げられたり、サハラ砂漠を横断中に軍隊に捕まり投獄され中 断。) 

・☃️ ス ノ ー モ ビ ル
( 厳冬期のカナダ横断しアラスカまで )

・⛵️ ヨ ッ ト
( 帰国時にアメリカ西海岸のL.A.からハワイ経由で日本まで。L.A.のマリーナデルレイでヨット探し。又はハワイから日本まで。人は大海原で何を思うのか? )
等 々
    * 一 部 順 不 同  ※念のため、これら全てを一つの同一の旅の中で行った。
                                                                 
残念ながら、最後の二つは実際にトライはしたが未 完に終わった。
それでも失敗したからこそ感じた事や学んだ事は多々あったな。    
                                                                 © 帰って来た浦島太郎
いつも、いつも同じ交通手段だとメリットはいいのだが、デメリットも同時にどこ迄も付いて回る。マンネリ化や中だるみで感覚が鈍り新鮮さが失われ、感じたり考える事がどうしても似てくると言うもの。

【それに対し( 決して対抗する積りなどないが、ちょっと挑戦的過ぎに聞こえるかな?)】🌟 ⓾ 削除検討要

移動手段だけ見ても、片や 🌟 ⑪ 挑戦的で失礼かな? バスだけ( 一部鉄道 )。
一行あれば事足りる。( この表現は事実を書いたのみで、他意は無い。) 単純でいい。
一見、誰にでも 出来そう な点が多くの若者を同様の旅に駆り立てるのだろう。
全行程を同じやり方を踏襲して意地でもやり抜いたのは素晴らしい。

私は長い旅中いつしか得た旅行哲学の内の一つに従って旅をして来た。「変わった経験をしたければ、変わった方法で旅をするといい。言い換えると、特別な方法で旅をすれば、特別な体験をする、出来た。」と言うものだ。  
全く同じ時間に同じ道を行く旅人でも歩く人と馬に乗った人、自転車の者に同じ風は吹かない。同じ事を考える筈もない。当然、感じる事は違う。

旅行哲学ではないが、俗に [ 我に七難、八苦を与えたまえ。 ]と言うのがあるが、私の場合は〔 八難、九苦を与え給え 〕の気構えでやっていた。
実際幸か不幸か(?)、望み通り(?)、大小合色々あるが、合わせればそれ位はあったね。苦労した見返りも価値も十分にあったよ。

これらを見て、な~んだ、ただの( よくあるいかにも安っぽい )冒 険 談 かと思った人には、ちょっと待ってよと言いたい。確かに、それぞれの移動手段の様子、楽しさ、難しさ等は書くが、それだけではないしそれがメインでもない。ましてただの自己満足的な 自 慢 話 や安っぽい 武 勇 伝 でもない。私は冒険家でもなければ有名になりたくもない。私の旅はとても万人受けするとも思えないし。沢木さんの旅は( 一見 ) 誰にでも出来そうだが、私の旅は誰もが私もやってみたいとはならないであろう。

それぞれの旅を通して大自然の中で、あるいは出会った人々との絡みから感じた何かや学び、考えた沢山の熱い思いを後世へ伝えるべく是非とも聞いて頂ければと思うだけだ。人間や人生についてをメインで書きたい。私の生きた証としても。

冒険( 他の人から見てそうだとしても、)は言わば、おまけ的なもので大した事ではない。【 冒険など誰でも( 全員が全員ではないにしろ、やろうと思えば、<人生何かつけ、そう思わない、思えない人が多いが。> 出来るよ。)】🌟 ⑫ 省略?

冒険や体験そのものはやった本人以外にはどうって事はなくそれ自体はそれ程の価 値もない。

本当に大事なのはそれを通して 感 じ体 得 したものだ。それこそが光る宝であり、他の人々とも共有出来る財 産だと思うな。そうして得た 知 恵 教 訓 を自分とそれを聞いた誰かが旅に限らず、例え少しでも何かをするきっかけになったり、今後の生活に活かしてくれる小さな一助になればそれだけで嬉しい限り。他に望む事はない。

そうして更に輝きを増すと言うもの。得たものを役立てないならそれこそ宝の持ち腐れと言うもの。どうだろうか。

旅した期間( ただ単に長ければいいのではないが。)・移動手段・旅の内容の濃さと面白さ・訪問場所・良くも悪くも、人々との出合い触れ合いやハプニング、上記の投獄されたのはそのほんの一例に過ぎない。
                      ©帰って来た浦島太郎

何一つ取っても引けを取る要素はない。🌟 ⑬ 自己満で挑戦的過ぎる?削除?
( 自己満足でなく、自分なりに確信した。一人相撲で終わる積りはない。)

日本を出た時には世界一周の希望も予定のかけらもなかった。世界を見たい気持も興味も全然なかった。

所が、なぜそうなったのか?一体何がそうさせたのか?・・・
望むと、時には望まざるに関わらず、旅(特に長期の旅)には予定外の変更はつきものだ。それが本当の自由旅ではないかな。

元々旅の主目的の一つだったスキーをしてたニケ月間はそれこそ最高だったが、その後二ヶ月鉄道で周ったのが詰まらなかった。誤解しないで欲しいのは詰まらなかったのは確かだが、良くなかった、楽しくなかったではなかったと言う事だ。街並みと言い景色もとっても美しかった。食べ物も美味しかったな。

しかし、何かが違う。何かが足らない。退屈なんだ。つまりは、アジアの様に刺激に満ちたハプニングも殆どないし、人々も一部のスリ等を除き全く絡んでこなく、一人でほっておいてくれる。( 最も、アジアにいた時はもういい加減一人でほっといてくれ )自分が今求めているものではない。こんな旅なら若い今でなくとも、もっと歳を取ってからでも十分出来るよ。

その思いはそれから4か月後、更に強く増幅して行くばかりで、その後の旅=人生に大きく、大きく影響をする事となったのだ。

そもそも、最初、予定外のアジアへ寄ったのはただ単に、日本からヨーロッパ迄の長時間フライトにとても耐えられそうになかったからに過ぎない。当時は欧州迄の直行便はなく、途中何ヶ所かで給油の為にストップオーバーするが、狭い機内から外に出る事は許されない。機体も小さく狭い上、今の様にゲームをしたり、映画等の機内エンターテイメントも無い。むろんスマホやタブレットも無かった。

日本から欧州まではゆうに24時間位は掛かったな。
それを飛行機で1ヶ月以上を掛けて行ったのだ。本当なら、2ヶ月でも、3ヶ月掛けても良かったのだが、スキー場の雪の関係でそうもしていられなかった。

日本からロンドンまで色んな国々、街々で途中降機したが、経験も、予備知識、情報( 元々、行く積りも、予定もなかったのだから下調べなどしている筈もない。)心の準備さえなかったバックパッカー超初心者の私には大した旅は出来る筈もない。アジアにはそもそも全く何の興味も期待もなかった。

とは言え、超初心者には超初心者ならではの波乱や失敗、面白いことが多数あったのも事実。台湾を経由し香港のカオス、タイの雑踏、インドの何でもありの世界等々。

【 < 私>(沢木さん)は香港の重慶マンションを事前にご存知だったかどうかは知らないが、バックパッカー超初心者だった私は全く何も知らず、まるで吸い寄せられるかの如く自然とそこに行ったのだ。

ドラゴンインではないが、負けず劣らぬいかにも怪しげな安ホテルに泊まった。
壁がベッドの三方ギリギリ一杯まで迫るほど狭く窓もない部屋。豆球が無いので寝る時は煌々と眩しく光る明るさか、自分の手も見えない位全くの真っ暗闇かの二択のみであった。】
🌟 ⑭ この部分略?

アジアでは毎日がお祭りの様だった。良い人も、そうでない人も、一時たりとも常時、絶対に一人にはしてはくれなかった。騙し、ぼったくり、しつこい物売り勧誘・・・

加えて、インドでは徒歩でジャングルに野生のトラを見に行ったり、歩いていたら野生の象に追いかけられたり、ジキ2ハウスで臨ちゃんをもらったりと、実に色々あった。
結果的には良くも悪くも、とても辛くて、凄く面白く、そして限りなく刺激的な旅になったね。

前に言った様に、アジアには最初から興味がなく全然期待もしていなかった。
ところが実際には、期待して無かった故に刺激、驚き、面白さは大変なものだった。何倍以上にも増幅された。今思えば、それが正にアジアだ。

でも、ここはアジアではなく欧州なんだ。アジアと同じものを求めてはいけないし、願ってもそうはならない。

そんな事を毎日、毎日感じながら旅していたある日、ある所、スイスのY. H. に貼ってあった紙一枚が旅の全てを変えた。長期旅=人生そのものだから人生を変えたと言っても過言ではない。

その ポ ス タ ー とは・・・?それを見た時強いシ ョ ッ ク を受けると共にそうだ
私が求め望んでいたのは正にこれだ!」となった。

🌟 (15) ここでそのポスターの 正 体 を 公 開 するか、今はまだ し な い 方がいいか、皆様のア ド バ イ ス をお願い致します。✨

その時は気付かなかったが100年に一度のチャンンス!偶然にも上手くその年に当たったものだ。去年でも来年でもダメ。次の100年先には生きてはいないだろうし。

アメリカ行き格安切符を買うには、少なくとも、出発の60日以上前に予約をしなければならなかった。そこでロンドンで3ヶ月間、初めて海外で働く事になった。大工助手。

その様にして全く行く予定のなかったアメリカへ行く様になった。アメリカへ行けばカナダは隣。行かない手はなかった。

予想外だったアメリカに行ったから予想外の中米へ行き、予定外の中米へ行ったから予定外の南米へ行く事になった。行く積りのなかった南米を訪れたから、今更同じ道を戻るのも脳が無い( 別にそれもいいが。)ケニア以外、行く積りのなかったアフリカに渡り再度、欧州へ。その後、中東を通り二度目のアジアへ。
( 当初の計画でもアジアは二度行く様になってたが、随分と遠回りしたな。)

ここまで来れば、そのまま行くと、残 す は オセアニアと南太平洋だ。人間が好き
だから人のいない北極や南極や月などには余り興味はない。

成り行き上とは言え、またいくら自分の意志でそうしたとは言え( いくら何でも、予定が狂い過ぎだろう。変更にも程があると影の声。)自分でもそう思う。

必然性で運命的にそうなったが、確固とした意志があり主体性も失ってはいなかった。( ただ事前に、自分では知り得なかっただけで、)最初からそうなる様になっていたのだろう。

時間はいくらでもあったし、創り出せた。お金もね。両方とも( ほぼ )平等に
( 殆ど )誰にでもある。
特に時間は。世の中、私よりもお金がある人は数多くいるが、一時間に60分以上ある人、一日が24時間以上ある人は絶対にいないと断言できる。                                         
                          ©帰って来た浦島太郎

約8年で一応の区切りは付けたが、こうして47年目にして旅行記を書こうとしてるのは紛れもなく旅は未だ続いているに他ならないのではないだろうか。

今回、「深夜特急」にこうして出会ったのも正しく旅での素晴らしい出逢いの一つ。

望み通り行けば一番良いが、例えそうならなくとも、何らかの結 果 を出したいと思っている。何らかの形にしてこそ初めて旅が本当の意味で 完 結 し思い出へと 変 貌 するのだろう。その後も別の形では 続 くであろうが。

バカ馬鹿しさついでに、実はもっと馬 鹿 な 事 を思い描いている。夢は大きい方がいいではないかな。現時点では自己満足かもだが、そうとしてもそれでもいい想 像 するだけで楽しい。笑うなら大いに腹の底から笑えばいい。

本の次は 動 画 を創りかっての大沢たかおさんの様な人に主役を頼もうか。芸能界や役者などには詳しくないが( 若き日の )阿部寛さんや竹中直人さんもいいかもね。昔の中村雅俊さん、もっと古くは故龍雷太さん、森田健作さんの様な人 ( 今の若者が知らないかも? )20代後半、30歳前後の俳優はほとんど知らないと言うより興味なかった。

そして、陽水さんにテーマ曲を付けてもらおうか。小椋佳さんや来生兄妹もいいな。
どうかな?

それにしても、私の旅の場合、撮影が大変だろうな。費用も莫大なものになるね。
現実には無理かもね。夢は夢でそのまま抱続けるか。実現するかのみ。どちらも結 構

そんな 寝 物 語 の様な事を言うが、沢木耕太郎さんも紀行文を書こうかと思い始めた頃はまだ 無 名 で、今の様な名声は想像だにしていなかったのではないだろうか?ましてや、ドラマ化されたり、あの陽水さんにテーマ曲まで創ってもらうなんて考えてもいなっかっただろうな。そうは思わない?私は別に名声等は望んでいない。無名でいたい。

でも、何年か後再び私の名を聞くかも知れないよ。

私は沢木さんの様に プ ロ の作家ではないので、それに依ってお金を稼がなくても全然大丈夫。金持ちではないが、金に困っていると言う事もない。
( 予期せず、結果的に稼いだなら、それはそれ。)

甘口、辛口を問わずどんどん御意見ご感想及びアドバイスをお願いします。

勿論、中には心無いアンチも一定数はあると覚悟もし思うが、一人でも、二人でも否、一人、二人位ならファンは既にいるから、十人でも、二十人でも、少なくとも、アンチ以上の数の分かってくれる人や応援をしてくれる人がいればそれで 十 分 ありがたい。

願わくば、感 情 に任せただけの何ら論理性がなく、建設的でないものや取るに足らない暇人( 暇人でなくとも )のイチャモンもどき、単に揚げ足取り的なもの重箱の隅突きでないものならとても嬉しいです。遠慮ただければ幸いです。
今回 厳 選 された人の中にはいらしゃらないとは思います。

部 外 者 たまたまご覧になった方は自分で自分を 厳 選 してその行動を取ったと思うのでそれに相応しい対応を期待します。

コメントの 長 さ は問いません。種 類 も問いません。激励・応援・叱咤・苦情・ノーコメント( ただ、その場合はその旨をご一報下さるとありがたいです。ノーコメントの理由は書く書かないはご自由です。)も含め。

何れにせよ、十人十色で皆んながみんな喜ぶような文章など到底不可能。

お互い限られた大事な 時 間 労 力 の無駄を省き 有 効 に 使えるなら幸せです。
その辺りをご 配 慮 下 さい。予めお願いする共にお伝えします。    
                         ©帰って来た浦島太郎
最後にお忙しい中恐縮ですが、目安として二、三週間位を目処にコメントを頂ければ幸いです。私にとって最高のX‘mas プレゼント🎁になるでしょう。又はお年玉🧧。

熱情だけに任せ綴った取り止めのない長い文章にも関わらず最後までお付き合い下さり誠にありがとうございました。深く御礼を申し上げます。

感謝・感謝😊Thanks・Thanks☺️グラシアス・グラシアス😃メルシー・メルシー  

ここで第一部は完。いよいよ発車だ。列車の性質上、闇夜に紛れて発車ベルもなく静かにゆっくり、ゆっくりと動き出す。

     $       ¥       $        ¥

・お・ま・け・

約八年後に日本に帰国した時には計算上は㊟、出発時よりも多くの持ち金があった。日本を出た時持って出た金は1,500ドル。当時は1ドルが302円で453,000円相当。日本円が3、4万円で合計約49万円
                         ©帰って来た浦島太郎

帰って来た時の残金は4,000ドル少し㊟。1ドル=235円で94万円相当となる。
つまり、8年間の長きに渡り世界を色々好きな事をしながら タ ダ で見て周り、
おまけに、45万円ほど(45万円は今でも大金。)持って帰ったと言う事だ。

(長期の旅でそんな事態があるのが普 通か、そうでないかは知らないが。)
上に書いた ㊟ 計 算 上 はと言う意味は、旅の途中で二度大きな 損 失 があった。

一度は悪徳又は偽警官( どちらかは不明 )にピストルを突き付けられ、ほぼ全財産を巻き上げられた。被害額は2,000ドル位か。

二度目は大農場に泊めてもらった時だ。
多くいる雇われの農夫達の内の誰かに部屋に置いてあった現金1,500ドル少しを盗まれたのだ。

歴史に i f は絶対ないので意味がないのは重々承知だが、もし上記損失がなかったら、上記の様になっていたのだ。

実際には帰国時に4千ドルではなく、500ドル少し。12万円程相当が手元にあった。

それでも尚1,500ドル位、即ち、37万円ほどで長期に世界を周われた事にはなるね。

その盗られたお金のために現在までお金で生活に困窮した事はいないし今もしてない。

【 それどころか、その殆どが世界一周旅などはしてないであろう同年代の平均貯蓄額より多くの貯蓄額がある。】🌟 ( 16 ) 省略した方が良い?

【 見れば分かる様に、( 別に世界一周旅に限らず、)何でもやったもの勝ち、逆に、やらないと損と言うもの。】🌟 (17 ) 省略する?

ー 第一部 完 -   *第二部へ続く・・・

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