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バッタ


8月末、片道500キロ先での仕事を終え、車を7時間運転して帰宅した夜。

早く眠りたい、泥のように。「泥のように眠る」という言い回し、スラムダンクのシュート2万本合宿のシーンで初めて知ったな。逆にそれ以外で見たことないかも。とか考えながらアパートの共同玄関を開けたら、扉から中に1mくらい入ったところで、大きなバッタがじっとうずくまっていた。うずくまっていたと思う。バッタと聞いて想像する基本姿勢でじっと止まっているだけなのだけど、私が近付くとわずかに触覚が痙攣するのに、逃げるような素振りは見せないから。

あー、弱ってるんだな。と思って、一応外への扉は数センチだけ開けて部屋へ帰った。


次の日出勤するのに1階へ降りたら、バッタが横向きで転がっているのが見えた。死んじゃったか〜、と考えながらヒョンと跨いで出勤。遅刻しそうだったので。
夜、帰宅。故バッタはまだ転がっている。バッタがいるのは階段の段差のすみっこ、スマホ見ながら歩いてても踏まないような絶妙な位置だった。

共同玄関の扉を開け、歩みを止めずにバッタを跨ぎ階段を上る。この間1秒だけ、あのバッタ、やっぱむちゃデカいな、とバッタのことを考えた。でも自分の部屋の鍵を開ける頃にはもう忘れてた。



次の日の朝、バッタがまだいるのが見えた。あー、今日も遅刻しそう!バッタの亡骸をまたぎ、小走りで出勤。

帰宅。腹が減りすぎている。早く帰って冷蔵庫に入れてあるカレーをチンして食べたい〜〜〜家の鍵開けながら(あ、バッタ。まだいたっけ?誰か片付けたかな?)と思い出す。



翌朝、バッタは変わらず転がっている。まだ誰も片付けてなかったんかい!でもごめん今日も遅刻しそうだ!そのまま出勤。

夜。バッタ、いる。心なしか二日前よりもカサカサした質感になっている気がする。さすがにそろそろ外に出してあげようか、と共同玄関を見渡すが、ホウキがない。ポケットティッシュは切らしている。直接触るのはごめんけどちょっとできないし、足で蹴って外まで出すのもなんか。いいんだけど、力加減間違えてぶっ潰しそう。ティッシュ……と思いながら家の中へ入ったら猫がブミブミ出迎えてくれて、猫を抱きかかえながらソファに行ったら当然もう1ミリも動く気がしない。バッタのことはすぐに頭から消えた。



翌日。あー、バッタ!いる!ティッシュ!ない!あー!
最近毎回バッタを見ては「あー!」って思ってるのに手付かずでその場を離れてすぐ忘れる。どうにかしなきゃな、くらいは考えるけど結局何もしないし。弔えとまでは言わずともよ、モルタルの冷たい床にころがったまたただ跨がれるだけの虫の存在に、せめて何かを、視線以外の何かを、向けてあげねばならないのでは?

てか数日間共同玄関内にでかめの生き物の死骸転がってるのに誰も何もしないの、人の最悪な部分がこのバッタによってあらわにされててやば。このアパート人任せ事なかれ主義者ばっかかよ!クソが!しかし遅刻しそうであるため、今日も上を失礼します。すまない。私こそがクソ。しかもこの日は本当にやや遅刻。その後泊まりで仕事をしたので、夜は帰宅せず。

翌昼。完徹のち帰宅。バッタはまだいる。でもごめん、眠い。また、明日……




というのを繰り返し、なんとその後約2週間ものあいだ、バッタは当アパートの1階共同玄関床上に眠り続けた。

ある日の夜に帰宅したら、バッタの姿はなくなっていた。フロアの隅に溜まっていた土埃や枯葉のカスもなくなって全体的に綺麗になっていたので、管理会社が清掃に入ったのだと思う。

結局居住者の誰も、バッタを外に出すことはしなかった。そういえばこのアパート、冬も毎年誰一人雪かきしないな。そのせいで家の目の前で車スタックしかけたわ。そういうことか。私も自分の車の周り以外雪かきしないし。そういうことかあ。  

バッタが1階にいた頃は、バッタを跨ぐその一瞬だけバッタのことを考え、そしてすぐに忘れた。

でも、バッタが掃いて捨てられて以来、綺麗な共同玄関が目に入るたびに(バッタ……)と思い、そしてしばらく(でかかったな……)とか(誰もバッタのこと……)(私も……何故………)とか考えている。

挙句、こんな文章まで残してさ。



バッタ   終

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