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私は今しか知らない

日々、自己開示の難しさについて考えている。
人に全て話したらちゃんとキチンと嫌われるし
人に全て話さないと信頼感が生まれない。でも極端なことしか出来なくて、話すぎて、人に最近を押し付けすぎて、迷惑をかけてしまう。だから今年に入ってもう親しいと呼べるような人間を作らないようにして生きている。自己開示を減らし、最低限の情報だけで。勿論、誤解されることも増えたけど誤解されて生きていこうと、寛容にはなったと思う。お陰でバイト先の社員さんには名前を間違って覚えられている。それで、いいのだ。そう思うことにした。

それから自分を客観視する難しさというのにも突き当たっている。バイト先の先輩に「やっぱり芸大生ってやっぱり頭のネジが外れているね」と。
自分は正常なつもりなので全く何もわからない。多分じゃなくても、人の言葉を覚えて知らない間に反芻して、覚えてしまった。気にしすぎなのだろう。


自己肯定感が地の地の下の下をエグっているため
フラットした目線で自分を鑑みることが出来ないから客観視が出来ないんだと思う。
思う、までは一旦いいとして、ここからである。どうやって自分を客観視するか、だ。
最近はその客観視する例としてMBTI診断が挙げられている。が、これは自分が主観的に選択し自己を整えているだけなので客観的とは言えない。それこそプロに診断してもらう、とかで、初めて客観的になるんだろ…う。プロといえど皆人間なので微塵の差で結果は変わるんだろうが。まぁネットで受けたMBTI診断はあるけれど、これを人に言いたいとはならない。またこれこそ自己開示の難しさというか、言いたくないし人にこんな人間なんだよ自分と知られたくないだけなのだ。
「へ〜〇〇なんだ〜。こんな人間なんだ〜、なるほどね〜」なんて知ったかぶりされたくはないし(なんか自分がめんどくさい人間だというのはよくわかるけど)それで「△△と相性が良くて〜」なんて言われたら、そんなこと考えられてたらたまったもんじゃねぇなとか。それだけで人間を判断すなよ、って思ってしまうのだ。自分が高校生の時はつまらない授業の暇つぶしのアイテムの一つでエアドロで結果を共有しあって、みたいな。あの小学生の時にハマる占いのような、あの感覚なのである。①を選んだ人は浮気の可能性100%‼️みたいな「え〜(笑)〇〇ちゃんたら!」ぐらいの気持ちで遊んでいたのに、今の高校生はそれを元に生きてるとか。なんとも縛られた生活である。でも縛られた方が楽というのもよくわかる、未だにそう思うとかも多い。


先程までのとは別だが、
自分の見た目すら客観視が難しい。最後に髪を染めてから3ヶ月は経過していて、周りには「大分髪伸びてプリンだね」などと言われるが全然そうとは思えない。これは自分が猫背すぎて人につむじを見せすぎているからなのかもしれない。

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