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その後の変化色々②観劇編

前回の雑記につづいて
あくまでも個人的メモ‥。

食の変化もさることながら
療養期間中の10日間で後半になるとさすがに体力も回復してきていたので

ずっとおざなりに
でも気になっていたことと、対峙したと言った感じだった。

物理的にもクローゼットの中の要らないものをたくさん捨てた。*\(^o^)/*

あれから1か月が過ぎた今、また忙しい日々に戻っているけれど。

何か少しずつ変わってきているのかもと自分で感じている。

趣味というかもう人生の目的となりかけていた
観劇(とある役者さんに偏ってますが)
こちらもすこし踏ん切りがつきそうなタイミングになってきたというのがある。

もともと2018年に歌舞伎を観たことがきっかけでずぶずぶとその沼へと引きずりこまれるような勢いで、ハマっていき、
ついこの前までは、時間も意識も労力もそのために使っていたし、人生の目的かのようになっていた。約5年‥長い笑
おかげで、観劇のみに限らず、日本の伝統文化全般への興味は広がりまさに世界が広がった。

私が、追いかけている対象は文字通り国宝でありますし、年齢としてはもう一般的には高齢(こんな言葉は相応しくないのだが)
それでも芸術家として超人的な存在であり、
体力も気力も超越している。ご本人は体力的にももう、限界ネ‥と仰っているのだが、プロなのでそんな風に見せない。

もちろんチケットも高額なのだが、
観るものを絶対に満足させるクオリティ。
絶対に裏切らない。

ただ、活動のペースも尋常じゃないのです笑
コロナ禍にはいってから世の流れに反して益々それはスピード感を増している気がするし、(某S竹も興行的にかなり頼っているのも理由のひとつだと思われ)
こちとら追いかける側もそれなりに体力、経済力が必要だ笑

これでももともとマイペースに追いかけてきた方であるが、
周り(勝手に認識している自分の周りだ)は
もっとすごい。
毎月観に行くのが当たり前だし、その役者さん以前に歌舞伎がすきなのが大前提なので、他の舞台も観に行く、それが当たり前の世界。
結構その界隈の人たちの中でも感性の合う人たちもいて、なんだかんだで居心地もいいわけですが。

彼らはほんとに観劇に人生かけてるんですよね。

うっかりハマってしまった2018年から
必死で追いかけて得た恩恵はかなり大きく、
特にここ2〜3年のうちの濃厚さといったら。
皮肉なことにコロナ禍だからこそ実現してしまった、共演や演目も多く、
それは私にとっても奇跡のような、叶わないとおもっていた演目を目撃できたというのは特にありがたかった。

今年も6月に観ることが叶った演目。
正直、これを観られただけでもすごいことで、今年の観劇はこれだけでもいいくらいの満足感だった。

自分のペースというのは常に実は意識していて
ほんとはもっともっとのんびりなのだという自覚はある。

ひとつの芸術に触れ
その後の余韻に浸る時間、そこから自分の中へと昇華していく時間がひとよりも必要なのだと思う。

ほんとなら
ドンドコドンドコやってくる
これでもかの新しい演目公開に目移りする必要もないのかもしれない。
そんな、感覚へのジレンマも感じていた。

もちろん今観なくてどうする?!という舞台もあるからそれは見逃せないのだけれど。

なんだかんだいってことしは実はこれまでで1番遠征をしていたのだけど、(地方公演での演目のほうがレア度が高くて💦)
これも来年は観劇を減らすという覚悟の元だった気がする。

来月は名古屋公演のチケットを確保してあるが、少し早いがことしはこの公演で納めようかなとも思っている。

こういった気分になっているのは、この数年で、日舞、着物の世界に足を踏み入れたというのも大きな要因なのかも。

そしてしばらくあえて放置していた
自分の活動。
こちらも少しずつ動きだしたい。そんな気になってきている。

追っかけ人生の前に自分も人生の表現者であるという基盤がおそらく私の中には変わらずあるんだなということをこういうときに実感する。

もちろんこれからもわたしの好きな人は
好きで変わらないし、
重要なときには絶対見逃さないつもりでいるけれど、

咀嚼・昇華しきれないほどにハイペースで予定をつめこみ観劇するのはちょっとずつやめていこうかなと考えてます。

なんだか、、
ひとつの公演で得た感動や、感覚を無視するのがもったいない気がする。もっと丁寧に大事に味わたい。

そう思ったら、ワンシーズンに1観劇くらいのペースでもいいのかもなと思ってきました。(これまで無理してたのもあるけど😅)

その芸術に触れて得たエッセンスを自分なりに活動のエネルギーとして循環させるフェーズに突入したということかなー。

来年にむけて動いていこうとおもっています。