【3月号】スノードーム 1話:走馬灯の予感

著者:雨野瀧

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春といえば新生活。別れの季節であり出会いの季節。

高校生活も3年目になるというだけで、僕にはそんなに大きな変化はないが、今日は新学期の初登校だそうだ。

ただ進級するだけ。そう思っていた。


「あら、ルイくん、こーんど何年生になんのさ?」
「おはようございます。三年になります」
「はーやいねぇ、もうちょっで、卒業かい、あれ、そのあと大学、どこ行くのさ」
「東京に出るつもりです」
「そーかい、今度そこの桜、塩漬けしてやるから、あとで取りにおいでー」
「あ、ありがとうございます……」
「ところでねぇ、うちの孫覚えてる?あの子も……」
「あの、すみません、電車があるんで……」
「あら、そりゃ悪いことした、そうだよねぇついあたしったら若い子に長々とね……」

珍しく、北海道でも4月に桜が咲き、近所のおばあちゃんたちは早朝からご機嫌のようだ。

こんな感じのおばあちゃんが3人くらい揃ったら、桜ごときで1時間は話が持つのかもしれないな。と、若造らしいことを思いつつ、僕は桜を見上げため息をつく。

一体この植物は、何年生きてきたのやら…。

春になれば誰もが振り向く。けれど夏、秋、冬は目立たない「木」としてしか見られない。生き甲斐、あるのだろうか……。
でも逆に言えば、一年に一度は必ず出番がある。今年も今年も、と期待されるのも悪くないかもしれない。しかしこの木が桜の花をつけるのが、今年で最後だったとして、誰が予測できようか。
などと考えながら歩いてくると、もう駅前の桜の木が見えていた。


春の初登校日って、独特な香りがする。爽やかだけどむず痒いような。
タンポポとツクシと、新しい消しゴムとクリーニング屋が合わさったような匂いがする。

「おはようございますっ!」
突如、背後から甲高い声が聞こえて思わず振り返った。

そこには髪の長い女の子がいた。澄んだ今日の風景と、生温い風に似つかわしい、清楚な印象の子だった。どこかで見た覚えのあるような、ないような。だいたい僕と同じくらいの歳のようだ。

「お久しぶりですっ!」
その女の子は満面の笑みで僕を見つめてくる。

お久しぶりですということは、僕は以前にこの子に会っていることになる。誰だ誰だと記憶を探るが、うろたえているのが自分でもわかり、渦巻く疑問と申し訳なさでどうしようもなくなった。今更繕えない。

「私のこと、もしかして覚えてないんですか…!?」

一方的に語りかけ、悲しそうな顔で上目遣いをしてくる。余計に申し訳なくなる。

「ぇ、ぁ……」

「あー……覚えてないんですねっ!私です、ユリですよ!あぁ、でもあの、コンタクトにしたし髪も伸びたから、分かんなくてもしょうがないですよ!」

ユリはいたずらな笑みを浮かべ名乗った。そしてこの後ろめたさが伝わったかのようにフォローを入れてくれた。
あぁ、ユリだ。ホコリをかぶっていた記憶が掃除したようにクリアになる。

ユリ。彼女は中学の美術部で活動を共にした二つ下の後輩だ。三年もたった今、詳細な記憶は忘れかけていたが、あの頃は中学生らしく、否、中学生らしからず、いろいろあったのだ。

そうか今日からユリも、僕と同じように通学にこの駅を利用するのか。そして制服が同じであることに気づく。これから毎日顔を合わせるようになるんだ。懐かしの後輩が晴れて同じ高校に合格したのは、素直に嬉しかった。

「ユリ……久しぶりだな」
「ルイくんは、相変わらずのクールですね!」

何を話せば良いものか、無言になってしまう。二人の間の閑散さを埋めるように、強めの風が吹いていくつかの桜の花が舞い散る。ユリのアイドルのようにきまっていた前髪が乱れる。
ぎこちない距離感で二人、改札の方へ歩く。しかしぎこちないと思っているのはおそらく僕の方だけだ。ユリは満足げな笑みを浮かべたままだ。いつでも鼻歌を歌い出しそうな無垢なユリの表情は、僕の中学校時代の記憶をさらに引っ張った。その一方で昔のイメージより若干大人びて色っぽくなったユリの顔立ちと体躯が目に馴染むまでは、接するのに少し緊張がした。

ユリは駅構内を物珍しそうに眺めていた。この時間のキオスクはまだ開いていない。その代わりに二十四時間利用できるパンやハンバーガーの自動販売機がある。確かに僕も初めて見たときは感動した覚えがある。
「部活、何やるの?」
「んー、まだ分かんないです!ルイく……先輩は何の部活ですか?」
「未だに、美術部」
「やっぱ美術部かぁ、いいですね~、中学のとはまた違いますか?」
「んー、違うねぇ、活動からメンバーから、なにもかも違う。まぁ当たり前だけど」
「あれ、もっと勧誘してくれないんですかー?」
「まぁ今日でも明日でも体験来てみなよ。想いを色とか素材で形に残せるって気持ちいい。美術部ならではだと思うよ」
ユリは今の僕の言葉をメモしていた。相変わらず、変なところで真剣な子だ。
僕も少しずつ、こんな雰囲気に、ユリとの接触に慣れてきた。

「そういえば!今年はこれ、中学校の美術部の三送会で作ったんですよ~」
あの美術部で伝統だった、部員揃って一年間の思い出の作品を作る会。懐かしい。
クルっと背中を向けて見せてきたのはリュックに下げた紫色のストラップだった。

「おぉ、綺麗。思い出になるな」
「先輩の時はスノードームでしたよね」
「そうだったな……」
「先輩があのスノードームに入れたものって、何だったんですか?最後まで分かんなくって、絶対いつか聞こうと思ってたんですよ!」
「んー、何だったんだろうね、あ、電車来る」
上手くはぐらかせた。

改札をくぐる時、ユリはICカードを初めて使うらしく、タッチに失敗してあたふたしていた。駅員に呆れた顔をされたが、無事に電車には間に合った。

始発駅から三つ目のこの駅から乗ると、空いてる席はそんなに多くない。しかしここから数十分乗ることになるので、できるだけ座りたいものだ。
ユリと乗った四号車には空き席が一つあった。ユリにそこを譲り僕は三号車で席を探すことにした。そうしてその日は別れた、つもりだった。

車両前側でやっと席を見つけ、古文単語帳を開くとそれだけで眠くなってしまう。新学期早々小テストが始まるので対策をしなければと思う。単語帳を手に持ってさえいればウトウトしてても勉強してるような気になるのは、向かいの学生も隣の学生も同じらしい。


不意に、反対方向の力が押し寄せて目が覚める。電車が急ブレーキを踏んだようだ。つり革、人、天井から垂れる広告が慣性で進行方向に流れる。「急ブレーキがかかりました。ご注意ください。」と男性の声で緊迫感のある自動アナウンスが繰り返される。立っていた乗客の幾らかが転び、ざわめく。

そして、爆音と衝突が全身に響く。

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