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オークの木は、頑張ってなんかいないのかもしれない


もう随分前になりますが、過去記事で触れた、バッチ・フラワーエッセンスの「オーク」の続きの話をしたいと思います。

オークは、「がんばりすぎてしまう人のためのエッセンス」として知られているエッセンスです。

お世話になったことのある人もいるかもしれませんね。

オークが「がんばる人のエッセンス」とされている理由は、フラワーエッセンスの生みの親であるエドワード・バッチ博士が「そう感じたから」という以外にないのですが、もう一つ、違った見方もあります。

それは、オークの植物としての生き様が、がんばっているように見えるから、という理由です。

オークという植物は、自分の体が朽ちかけて幹の中が空洞になったとしても、生きている枝から若葉を出し、枝を張り、虫や鳥、動物たちの食事と棲家を与え続ける、という生き方をします。

その姿が人間には、自分を犠牲にしてまで他者の役に立とうとしているように見えるのですね。


解釈によって見え方はまったく違ってくる


ただ、〝見え方〟というのは時と場合によって大きく変わったりもします。

そもそも人というのは、自分の解釈でものごとを見てしまう傾向がある。

しかも、自分の心の中にある感情や過去の経験からくる印象がそのまま反映されることも多いですね。

植物への見方では、たとえば。

ヤマナラシという木があります。

ヤマナラシの葉は丸っこくて葉柄(軸)が長く、葉っぱがぶら下がっているかのような姿をしています。そのため、風が吹くと葉同士がぶつかり合ってパラパラと音を立てるのですが、その様子から、「山を鳴らす」意味のヤマナラシという名前が付けられた植物です。

フラワーエッセンス講座を受けてくださった方の中に、ヤマナラシ好きな方がいて、その方はヤマナラシのことを「音が鳴って楽しい木」とおっしゃっていました。

ところが。

このヤマナラシの欧州種は、バッチ・フラワーエッセンスの「アスペン」(写真)にあたります。

アスペンのエッセンスは、

「不吉な予感が頭から離れない」

「霊的な恐怖」

「悪夢」

などに良いとされるエッセンスです。

そして、欧州の人々にとってアスペンの木は、まさに〝不吉〟な感じがする木なのだそうです。

風で葉がパラパラと揺れると、振動は幹にまで伝わります。その様子を欧州の人たちは、アスペンの木がまるで恐怖に震えているかのように感じるとのこと。一説によると、キリストがはりつけになった十字架がアスペンの木で作られていたとも言われていて、そうした言い伝えからも〝不吉〟なイメージが定着してしまったのかもしれません。

同じ木でも人によってこんなにも受け取り方が変わってくるのだなぁという、わかりやすくておもしろい例です。

では。

今回のテーマ、オークについてもう一度見てみましょう。

オークはとても寿命の長い木ですが、最初からどんどん成長をして、若木の頃からどんぐりを実らせます。同時に、若葉にはたくさんの虫がやってくるそうです。そのため、害虫の攻撃を受けやすい木、とされています。

でも違う見方では、オークが昆虫を引き寄せている、とも考えられているようなのです。

オーク自身が、成長のサイクルを虫たちの成長に合わせているかのようだと。

そう感じる決定的瞬間は、夏に訪れます。

ほかの植物たちが安定期に入り、暑い夏の日差しにも耐えられるようゴワゴワと硬い葉を獲得している頃、オークは再び若葉を芽吹かせます。この柔らかい若葉を、夏に生まれたばかりの幼虫たちが好んで食べるのだそうです。

わたしなんかの固定観念では、「せっかく出した若葉は食べられないに越したことはない。オークってば、なにゆえ、そんな時期に若葉を出しちゃうのだろうか」と思ってしまいます。

もちろん、オークのこの状態を「自分を犠牲にしている」と捉えることもできるのですが、先のアスペンのように、捉え方次第でまったく違う見え方になる可能性もあるかも?と思うのです。

植物は〝もれる利他〟で生きている


なぜなら植物って、〝もれ出てしまう〟のだそうですよ。

利他(りた)が。

東京工業大学教授で美学者の伊藤亜紗さんが、植物たちは〝もれる利他〟であると表現をされていて、なるほどな、と思ったことがあります。

伊藤さんによれば、人間的に見た〝利他〟は、他の人のために何かをして〝あげる〟〝ギブ〟というニュアンスが強いけれど、植物たちの利他は〝勝手にあふれ出てしまう〟〝もれ出てしまう〟という表現がぴったりなのだとか。

植物たちが、植物同士にしかわからない言語で互いにコミュニケーションをとっているという事実は、近年ではずいぶん知られるようになってきました。

葉っぱが虫に食べられ始めたら体内で特定の物質を作り出し、それを空気中に放出して、周りにいる仲間の植物たちに、「虫がいるよ!」と知らせるのだそう。そのシグナルを受け取った植物たちは、食べられないよう防御の物質を作り始める、という具合です。

最近ではさらに、土の中でもいろいろとコミュニケーションが繰り広げられていることがわかってきました。

植物は、太陽の光や、雨水に含まれる養分、土の中の養分などを使って自分の体を成長させていきますが、自分の体の中でできてくる「成長するために必要な物質」がたっぷりすぎて、根っこからもれ出てしまうのだそうです。

もれ出た物質は、周りのほかの植物たちがちゃんと受け取って使う。

受け取るほうも、卑屈になったり遠慮したりせず、あたり前に受け取って使う。

そして自分もまたダダ漏れにさせて、周りにばら撒く。

もうね、愛があふれ出て、ぐるぐるとめぐってしまっている状態です。

だからオークも、〝自分のため〟であったり、〝当たり前にもれ出てしまった結果〟なだけであって、別にがんばってなんかいないのかもしれないなーって。

そういう見方に立ってみると、植物たちの在り方の神秘に驚くのと同時に、この世界の根底にある〝愛〟に感動してしまいます。

そして、フラワーエッセンスは彼らの愛そのものだなぁと思うのです。

あ。

人間の場合、「他者の重荷を背負ってまでがんばってしまう」行為の裏にあるのは、多くの場合、欠乏感や罪悪感だと思っています。

「自分は不十分な人間だ」「不完全な人間だ」という思いがあると、自分の価値を確認するために、必要以上にがんばったり、人の世話をしたりします。

罪悪感があると、それを消し去りたいがゆえに過剰に人に尽くします。

そして、意識的にか無意識にか、がんばらなければならないような事態や助けを必要とする人を、自分の周りに吸い寄せるという現象も引き起こします。

ただ、誤解しないでいただきたいのが次のこと。

「私には欠乏感がある。ダメだ」

「罪悪感がある私はいただけない」

「欠乏感のある弱い私なんて…」

「欠乏感も罪悪感も消し去って、もっと完璧であらねば」

「がんばるわたしはダメなんだ」

「人に尽くしすぎる傾向がある私は良くないんだ」

こうした〝自分を責める〟思いを抱かないでほしいということです。

「わたしは十分やっているよ。そこに欠乏感や罪悪感があるんだね。そういう思いがあってもいいんだよ」と自分を認めてほしい。ゆるしてほしい。

もっと自分にやさしく。自分を大切に。

〝自分の味方は自分だけ〟ですから。

わたしも日々、罪悪感や欠乏感に苛まれることはありますが、
早いタイミングで自分をいじめている自分に気づいては
自分の味方になれるよう、日々心がけています。

こうしたことは、考え方のクセですからね。

クセは、気づいて、やめる。それしかありません。

ということで。

オークの木自身がどういう在り方なのかは結局のところわかりませんが、オークのエッセンスが〝がんばりすぎる人のためのエッセンス〟であることには変わりありません。

「わたしがんばりすぎちゃってるかも」と思った方は、ぜひオークを。

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