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命と向き合い、見送るということ。

※この記事はペットの死について具体的に触れています。ご自身の心と相談していただき、気持ちが落ち込む可能性のある方は閲覧はお控えください。


2024年1月6日。
実家のうさぎが虹の橋を渡りました。

年末、突然呼吸が荒くなり入院
回復は望めず、投薬介護での延命というかたちになるだろうという診断が降りた。


うちのうさぎは二代目で、6歳を過ぎたところだった。
初代が11年も生きたから短命にも思えるけれど、うさぎの寿命は7年くらい
彼もまた立派なおじいちゃんうさぎだ。
病気自体もうさぎには珍しくない病気だったそう。

つまり、老衰といえないこともない。
病院に行かなければ、病気とはわからないまま寿命でコロっと眠ってしまったのかもしれない。

そうとわかっていても、いったん病気とわかってしまうと治療してあげたい。
その気持ちとは裏腹に、治療のために使っていた小屋の酸素濃度は一向に下がらず、利尿剤も効かず、餌さえ食べてくれない。

いやでも見える医療の限界と、消え始めている命の灯
保険に入っていないペットの入院費は、否応なしに家計を圧迫する。

そんなぎりぎりの場面で判断を任されたのが、大学二年生の弟だった。

弟は獣医学部の学生。
動物が大好きで、用意された付属大学への進学を拒んでまで獣医学部に進んだ。
件のうさぎも、ある年のクリスマスに弟へのプレゼントとしてやってきた子だった。

普段は地方にいてなかなか戻ってこないけれど、お正月休みで実家に来ていたこのタイミングでうさぎの体調が悪くなったのも何かの縁だったのかもしれない。


動物の介護につきまとうのは、どうしたって高額な医療費だ。
医療費のことも、うさぎのQODのことも、どちらも話した上で母は弟に言った。

「あなたが考えて決めなさい」


弟は静かに泣いていた。
弟が泣くのなんて本当に久しぶりに見た。

母の言葉は、いままさにかわいいペットとの別れ際に瀕した弟には酷だったと思う。
弟が入浴のため離脱したとき「またお母さん恨まれちゃうな」と言っていたけれど、母の言葉もまた、弟には必要なものだった。

それはうさぎの飼い主としてでもあるし、獣医を目指すものとして。
動物の治療にどれだけのお金がかかるのか、動物の最期をどう看取るのか、その家族がどんな思いでその決断を下すのか。
身をもって知っておくことが、きっとこの先獣医になる彼の糧になると母は言っていた。

(そこまで見越して恨まれ役を担う母親とはすごいものだとその時思った。)


弟も母の言葉を真摯に受け止め(ここが弟のすごいところだ。私だったら冷静じゃなかった)、静かに、静かに、考えていた。

久しぶりに家族が揃った年始、みんなで桃鉄ワールドに興じている時だって、本当は気が気ではなかったはず。
それでも弟はそれを微塵も表に出さず、ただひとりで考えていた。

そして弟は、翌日のお医者さんの話を聞いた上で退院させて看取ることを決断した。


そこに至るまでにどんな経緯があったのかはわからない。

ただ、お医者さんからの説明を聞いて帰宅した弟は、レントゲン写真を見せながら詳しくうさぎの容態を説明してくれた。
澱みなく、淡々とした話し方で、普段口下手とは思えないほどにわかりやすかった。
そして、それだけ弟はうさぎの生い先が長くないことを悟ったのだと思った。


翌日、退院
自宅に戻っていた私にも様子が共有できるようにと、TimeTreeに逐一飲水などの報告が入れられていた。

体温が下がっているからホットカーペットの上に小屋を移動。

飲水の様子がない。

たぶん、吐き戻し。

もう力が入らないらしい。

一時は200を超えていた心拍が96まで落ちた時、もうだめかもしれないと思った。
ちょうどそのタイミングで母からも「今日、明日になるかもしれない」と連絡があった。

時刻は22:30
すぐにでも駆けつけたかったけれど、翌日仕事始めの私はそれができなかった。
とにかく明日、仕事後に実家に帰ることを決めてその日は眠った。


そして、朝がやって来た。

起きて一番にTimeTreeを開く。
そこには"0:51 永眠”の文字が…。

あっという間だった。
入院してから1週間、退院して半日。

なにもかもが駆け足で、結局私はクリスマスに実家に帰ってから一度もうさぎに会えずにこの時を迎えることになった。

0:51、という細かい数字を見るに、弟がしっかりと看取ったのだろう。
あとから聞いた話だが、最期は口元に酸素を送りながら弟の膝の上で旅立ったそうだ。
大好きだったブロッコリーの茎もちょっとだけ齧ったらしい。

今回、うちのうさぎだったとはいえ私はほとんど部外者だった。
ただ、年末年始の忙しい時期に、そして世間的にもいろいろとあった時期に、家族の誰しもがひとつの命と向き合い見送ったのだと思う。

先代のうさぎの時はゆっくりとした終わりだった。
年老いていくのが見ていてわかりやすく、でも悲壮な感じはなくて、ただそこにある大木のような穏やかさと貫禄だったから、その瞬間をすんなりと受け入れられたのかもしれない。

けれど今回はそうではなかった。
すべてがあまりに突然で、あっという間。
心の準備をする時間も、余裕もなかった。


命と向き合い、見送るということ。
いつか必ず来る死という瞬間について、私たちは普段は考えずに過ごしている。
もちろんそれでいいのだけど、あまりにも突然やってくるその瞬間に向けて考えておくべきことは山ほどある。

QOD(Quolity of Death)という言葉がある。
どう死ぬか。どんな最期を迎えるか。

多くの場合私たちヒトはそれを自分で決められるけれど、ペットたちはそうではない。
良くも悪くもヒトの都合で現状に収まっている彼らだからこそ、その命の終わりまで私たちには責任がある。
生き物を飼うのなら、看取りのことまできちんと考えていなくてはならないのだと、当たり前のことを痛感した。

医療費のこととか介護のこととか、具体的なことをあらかじめ考えておくのは難しい。
考えていたとしても、いざ決断の場になると決めきれないことだってある。
それでも真正面から向き合って見送ってあげることが、飼い主の責任だ。

弟にはこの時の話をまだ聞けていない。
私から敢えて聞く必要もないな、と思う。

この先、弟は獣医としてペットと家族の別れ際に何度も立つことになるだろう。
同じ気持ちを経験した弟ならきっと、医療者としても人間としても、優しく思いやりのある対応ができるんじゃないだろうか。
これまで二十年間みてきた弟はそういう子だ。

そんな弟の道を、うちのうさぎたちはきっと見守ってくれている。
命と向き合い、時に見送る弟のことを、この先もずっと。

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