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なりたい「私」になるために



先進国でありながら、ジェンダー格差111位の日本。
国際女性デーを前に、今まで自分が感じてきたことを書きたいと思った。

少し長い話をしようと思う。
中高大学と何となく女子校を選んできた私は、
隣の共学を羨むこともなく、性別を意識せずに学生時代を過ごしてきたと思う。
「女だから」と抑圧されることもなく、「女性らしく」みたいな感覚もあまりなかった。
それはおそらく私の通った学校の創始者たちが、
誰よりも女性の教育や権利を大切にし、その思想が今でも受け継がれているからだろう。
思えば大学時代、学部は違えどもっとジェンダー論やダイバーシティについて学ぶべきだったと思うが、
当時の私は自分がどれほど恵まれた環境にいるのかわかっておらず、女性として生きることの窮屈さを知らずにのほほんと大学生生活を過ごしていたのだ。

そんな私が、はじめて世の中に蔓延る男女差別を目の当たりにしたのは社会人になってからである。
日本のお堅い企業トップ10に入るような企業に就職し圧倒的な男性社会の中で、今録音して訴えたら相手のキャリアをぶち壊せるようなシーンにも遭遇した。
女性キャリア推進といっても未だ女性の役員などほぼおらず、最近になってようやくマネジメントレベルの職階に女性がちらほら見えるようになってきたような企業である。
男性の育休推進を謳えど、中身を開けてみれば欧米に比べて遥かに時代遅れな内容である。そもそも推進してる時点で男性が育児参加してきてなかったかよくわかる。既婚男性社員の多くは奥さんが専業主婦だし、毎日遅くまで飲み歩く人も少なくない。

流石に昨今のハラスメント問題で消滅しつつある風習ではあるが、
私の入社した当時は偉い人の横には必ず若い女の子が座らされたし、強制はされなくとも何となくお酌をしないといけない雰囲気もあった。
料理を取り分け、にこにこしながら酔っぱらったおじさんの似たような話を聞く、それは入社まもない若手女子社員の仕事のひとつだった。
愛想よく、意見することなく、適度な相槌を打つだけの仕事。

性別を意識しないで育った私は、これを『社会人の「女性の役割」とはこういうもの』と完全に誤った認識をしてしまった。以降、どんなセクハラ発言も受け流してきたし、うまく受け流せない人を見ると「要領悪いな」「こんなこと気にしても仕方ないのに」としか思わなかった。
私は確実に声を上げる女性を抑圧する女性の側にいたのだ。
そしてそれは自分すらも「女性だから男性に煩く意見してはいけない」と抑圧することになっていた。

この考え方が変わりはじめたのは、仲がいい友人からセクハラ被害を受けたことを打ち明けられたときだった。彼女が人事部に訴え調査が入ったことにより、セクハラは事実として認められた。
調査結果では、他の女性も被害を受けていたことも発覚した。
私の友人は何も悪くない、でも彼女は「本当に人事部に訴えてよかったのかわからない」と私に話をした。「黙って受け流していれば」「上司にだって家庭はあるのに」と。
私は許せなかった。私の大切な友人を傷つけ、他の女性たちも傷つけたのだ。
ハラスメントは確実に人の心を削っていく。
「あなたは悪くない。勇気ある行動をしたんだよ。あなたが訴えたことで、他の女性も救われたんだよ。」
その時私が彼女に伝えられた精一杯の言葉はこれだった。

それから少し後、会社の女性の先輩たちと昨今のセクハラについて話す機会があり、その中でひとりの先輩が
「言っても仕方ないし、そんな大事でもないし、笑って受け流せばいい」と言った。
その言葉はかつての自分であれば当然だと思っていたものだ。けれど私はもうその言葉に同意することはできなかった。
「私は私の友人や後輩たちに同じ思いをさせたくありません。だから私はハラスメントだということをはっきりと伝え、なくしていきたい。」
私がそう言い切ったとき、その場にいた先輩の数名は「気の強い面倒な女だな」という顔をしていた。
自分だけのことなら、「私が大人しくしていれば」と今でも思っていたかもしれない。
でも私が黙っていることで、私の周囲の人の心が削られていくのは嫌だった。
面倒と思われてもいい、偽善と思われてもいい、これは誰かが声を上げてなくしていかなければいけない悪習だ。馬鹿みたいだけど、自分の大切な人が傷つけられて初めて思った。

自分の中で考え方が変化していくにつれて、そして年齢が30代へと向かう中で、今度は女性として生きることへの窮屈さを感じ始めた。
実家に帰れば、「いい人はいないのか」「あそんでばかりいないで早く結婚しなさい」ばかり。
30過ぎたら女の価値は下がるとまで言う人間もいる。
自分なりに仕事も頑張ってきたし、独身生活に寂しさを抱いたこともない。やりたいことも行きたい国もたくさんある。
自分の中で芯は持っていたつもりだったのに、ある日私は母親の一言に打ちのめされた。

私はずっと海外で仕事がしたくて、何度か社内公募に応募しては落ち、悔しくて何度も泣いた。
そうしてようやく合格したことを電話で伝えたとき、母親の第一声は「あなた結婚する気あるの?」だった。しかもため息混じりに。
私があんなに望んで叶ったキャリアが全否定された気がした。あの時母親に何て返したか私は今も思い出せない。5月の晴れた日、世界から音が遠のいた気がした。

日本を出国すると、とても自由だった。
まだ独身なの?という人も、彼氏はいるのとイチイチ聞いてくる人はいない。
ひとりで旅行にいけば、「楽しんでるね」と笑ってくれる。日本にいたときのあの窮屈さが、あの国にはなかった。
みんな自分のしたいように生きていたし、自分の考えを伝える術を持っていたし、言葉の壁はあれど個人の考えが尊重されていた。

帰国した今、あの窮屈さはまた私を悩ませている。そして海外の現状を見て日本がどれほど時代遅れなのかがわかったが故に、それはさらに酷くなった。
独り身の女は不幸なの?
子供を生まない女は価値がないの?
なぜ結婚しなきゃいけないの?
疑問がいくつも浮かぶ中で、結婚や出産を経験していく友だちと自分を比べて、漠然とした焦りや不安を感じることもある。私の中で染み付いて離れない「女はこうあるべき」という古い考えが、私がやりたい生き方を邪魔をするのだ。

誰かを愛して、誰かに愛され、その人とずっと一緒にいたいという想いはある。
それは「女性だから」ではなく、「私」という人間の望みだ。でも私の体に残る日本の男女格差社会の歴史が、他者と自分を比較して焦りばかりを生み出すことがあるのだ。
私は今の生き方で充分幸せなのに。

国連開発計画(UNDP)は今週、世界のおよそ9割の男女が、女性に対して何らかの偏見を持っていることを示す報告書を発表している。今も日本だけでなく世界中で多くの女性が虐げられたり、窮屈さを感じながら生きている。
男女格差がなくなるのは遠い未来なのかもしれない。
でもその未来を少しでも近づけることは可能だと思う。
SNSで世界中と繋がれる今だからこそ、様々な情報や意見をシェアして世界はきっと変わっていける。

「女性だから」「女のくせに」なんて言葉に縛られず、
全ての女性が1人の人間として自由な生き方を選べる世界を自分の周りから広げていく力が、
私たち一人一人にあると信じている。


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