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2023.10.21 09:08

東京に出張でスタバで時間が余ってしまったので言葉を綴ることにする。ホテルのカーテンからの夕焼けのような日差しで目が覚めるとまだ6時だった。寝ようにももう寝れなさそうなので、シャワーを浴びて用意をする。

出張前に風邪をひいて体調がわるかったがどうにかこうにか動けるようになって、薬のおかげもありかなりマシになった。ただ漆を使ったせいでまた節々がかぶれている。鼻もかみすぎて至る所がカサカサになっている。目の下もめばちこのようになって、中も外もボロボロである。

朝においしいコーヒーとパンを買って公園で食べようかと思ったが、マップ調べてもピンとくる店が全くにない。東京の土地代のせいかコーヒーショップはほぼチェーン系列で埋まり、まともなコーヒーを淹れてくれそうなところがない。結局スタバ、ドトール、サンマルクあたりに流れ込む。なくなくスタバへ。

結局資本ありきで動く経済にうんざりしながらも、添加物が入りまくったサラダラップとホットコーヒーを流し込む。僕が朝に食べたかったもの、得たかったものと真逆のことを食べ、行動している。自分でコーヒー淹れて、パンを焼いてゆっくりと食べることが自分のありふれた幸福になってるんだなと思う。

昨日の夜は東京に住んでたらどうなってたんだろうな、どうなるかなと思ったりしていた。大量の人の中で僕の価値観はどうなって、誰と過ごしているだろうかと考えたりする。そんな人生も案外悪いものではないのかもしれない。もう少し自分に自信を持っていたかもしれないし、もっと自分を嫌いになっていたかもしれない。

僕は大阪出身で田舎の方ではあれど本当の地方で生まれた人に比べたらまだ都会の方に生きていると思う。マイノリティの立場の気でいるが、案外そうではないのかもしれない。勘違いすんなと言われかねない。本当のマイノリティは自分がマイノリティにいる、それにすら気づかない気もする。でもそもそも都会にいてなにが自分に取っての価値があるかなんてわからんよなと思う。利便性が全てではないが、自分が結婚して家庭を持つとなるとある程度の選択肢がある環境で生きた方がいいよなとどうしても思ってしまう。どこで遊ぶか、誰と出会うか、食べたいものが手に入るか、やりたいことができるか。

まだ起きてもないことを考えてしまうのは良くない。話を変えたい。

書ききれない日記が多い。書ききれず投稿してないものをどう消費しようかと考えている。別に投稿する必要もないのだが、綴ることをやめないようにはしたい。何か生み出したものを何かの形にしようしてまうのは問題があるのかもしれない。自分のために綴り、自分の記録をしなくてはいけない。

年末にかけて予定が埋まってくる。挨拶する人には挨拶をする予定を立てて、友人たちと年末に遊ぶ予定なども組む。今年も実家には帰らずに過ごしそうな気がする。毎度言うがもう1年経つのか。もう少し何か達成したことを増やさなければいけないが、今頃こんなん思うな。テスト前と同じ。生き方を改めなければいけない。

日々の些細な変化をとらえることを忘れてはいけない。(毎度言うとる)植物や雲の変化を肌で感じないといけない。椿が咲いて落ちたことを愛でたり、黄金の稲が揺れる景色を忘れてはいけない。金木犀の香りがしない街では僕はたぶん生きていけない。

コーヒーが酸味を帯びてきた。
ここらで終わることにする。

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