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2024.06.27 16:55

中旬に東京、島根と飛び交いニートのはずだがなぜか珍しくやることが増えてきた日々になっている。大気は不安定で梅雨っぽい日々が続いている。カラッと乾いていた洗濯物も天気予報と睨めっこして計算して服を洗う日々である。部屋の掃除は相変わらずゆっくりだが進んでいて相方の引っ越しの目星も立ってきた。昨日家具を見つけて軽トラで持って帰ってきた。俺もやればできる。こんな雑魚い小さな成功体験増やしたい。

相変わらず銀行口座の金額は減っていくばかりだが、ノンストレスで過ごしている日々。ぬるっと自分のペースで過ごす日々のおかげで、自分のメンタルの回復加減にびっくりしたりする。病んでるわけでもなんでもなかったがふと自分の固まった思考から離れて、自然と何をしようかとやさしく未来に希望が持てるような感じがする。今の目標はとりあえず古物商の免許を取ろうかなと思っている。

甥たちは2年ぶりに会うとスクスクと大きくなっている、自分の意思ややりたいことが言語化できるようになっていて、生き物としての意志を感じる。自分が子供に対して妙に冷静になってしまう感じはいいこのなのかどうなのかわからないのだが、甥っ子がいつ帰るの?(帰って欲しそう)と言われて、多分俺はエンタメ枠としては弱すぎるのだと感じた。自分の子育ての未来をかなり具体的に考える日々で甥たちとはさよならした。とりあえず早く体の調子が良くなってほしい。

島根で続いた数日の早起きのサイクルのおかげで自然と朝6時ごろに目が覚めるようになった。帰る予定の日を延長して撮影のご依頼をいただいて、撮影をする。前職で関わる人たちは自分のことを評価して?くれているような感じがあって何か安心する。自分ではあまり意識していなかったが仕事の部分で違う方から自分の本質的な?部分を評価されているような感じがして、何か自分が続けてきたことは間違いではなかったのだと肯定できるようになった気がする。

1週間ぶりぐらいに家に帰ってくると庭の植物は僕の手を離れたように成長している。バジルの零れ種から育った芽たちは40センチほどになり、もう何か独り立ちしたようにも思う。僕は去年も同じようなことを言っている気がするがそれはまた置いておきたい。

八百屋のおばちゃんは八百屋の屋根にできた燕の巣を壊すことなく、フンが落ちないように工夫したりしてる。おばちゃんに話しかけると、この街の人はみんな優しいから燕は低い位置に巣を作ると言っていて、その燕たちが帰ってきてそれを覚えているとするのであれば、何かこの街のやさしさのようなものがずっと続いているのだと気付かされた。

子どもの燕たちは外に飛び立つことはできるのだが、餌は自分で取ることはできないらしく巣に帰ってきて母たちが調達してくるまでそれを待っているのだという。子供達のその自由さと、か弱さのようなものを想像していた。僕はそれに人間に置き換えて少し考える日々が続いたが、気づいたら考えることを忘れていた。ただ考えていることは覚えていたのでそれを忘れないように、ここに綴っておこうと思う。

月末にかけ富山、淡路への移動、7月のイベント、8月食事会に旅行と、9月の長期滞在と予定がもりもりと埋まってきて、ぬるま湯に浸かり切ったこの体を崩すことだけは回避したい。気力を保ちたい。

何も変わっていないのだが少しずつ何かが変わっていきている気がする。そんな日々だ。

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