見出し画像

2023.11.30 22:53

暖冬のせいか紅葉は例年より遅い気がする。出張中のバスの窓から見える力が抜けてきた木々の葉を見てなんとなくそう感じている。毎年この時期に来ているわけではないが多分あっている気がする。所々に実っている柿や柑橘のなにかもちらちらと見えたりする。思っているより出張先の島根は暖かくて服装のチョイスを少し間違ったなど思ったりしている。

島根に着くとご近所のおばさまから今年は暖冬のせいで葉がきれいに染まりにくいと教えてもらった。言われてみればそんな気がする。島根の宿の近くの紅葉は去年鮮やかに美しかったのを覚えている。落ち葉も枯れて落ちたというより、風で吹かれて落ちる予定出なかったようなものがちらほらといる気がする。あくまで気がする。

最終日の夜に1000万あったら何に使うかという議題があがった。話の文脈的にはある事業や制作物が売れて次のステップに踏むためにどのような投資(物質的なもの、体験的なもの含む)をするかという流れだったが、話の流れは微妙にずれてゆき割と生活よりな話をすることになったりしていた(自分だけかもしれない)。

100万あったら何をするかと昔の話に似ている。わくわくしながら100万を何に使うかなと考えたことある気がする。たぶんみんな絶対にある。この歳になると100万というお金は割とすぐに溶けるということがわかってくる。1000万となれば割と大きなお金で当時の100万の感覚に近い気がする。自分は奨学金をまず返すかなと思ったがわざわざ話しても盛り上がりそうでもなかったので言わなかった。あとは車を買って、古民家を買うだろうか。リノベーションなど自分でやっても意外とあっさりなくなる気がする。

自分の思考はおそらく安定思考というか、現状の生活レベルを数段上げることに使う気がする。人によれば投資や、仕事の機材購入、みんなで楽しく飲むなどという人もいた。何が正解かわからないがこれは未来でどうなりたいか、どうしていきたいかなど、人生観が出てるような気がする。僕は手に入らないのに帰宅の高速バスでも何に1000万使うのが正しいのだろうか考えたりしている。

出張から帰ってきた次の日は自分の両親と姉が来て、パートナーとお昼ご飯を食べた。最近できた小料理屋さんに行き御膳を食べてたわいもない話をした、気がする。お酒は飲んでいなったが親や姉が変なこと言わないかヒヤヒヤ心配だったのはある。姉があまり話さないうちの親に変わってなのか、いつもより気合が入っているように見えた。こいつ今日頑張ってんなとおもいながら、僕は話を回すことはなく御膳をふんだんに楽しんでいた。両親たちが帰り僕らは買い物などを済ませて、それぞれの家帰る。パートナーから今日はありがとう、家族になれて嬉しい気持ち、と連絡が来る。

その言葉には、なんとも不思議な気持ちがした。これまでは血の繋がった甥や、叔父などを見て、なんとなくこの人たちは遠くで血の繋がっている親族というものを無意識に意識していた。しかし本当に全く血の繋がっていない人が「家族」という単位になること、なれるのかということに不思議に思う。こうやって先人たちも繋がって自分が存在しているのであれば、契約次第では全人類家族という言い方できるのかと考えたりしていた。

兄にも結婚の報告をしたら、おめでとうの言葉と自分の子供たち(僕からの甥)を見て、昔の自分たちを思い出すという。僕にもう少し優しくできたのではないだろうかとかいう。困ったことがあればとかいう。僕は兄に対してなんの憎悪もないのでこれまた不思議な気持ちになる。末っ子だからか記憶の中で自分がどういう状態だったのかを知ることがない。下に兄弟がいればそれはまた感覚は変わるのだろうか。

そんなことを考えている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?