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瀬戸を愛した北川民次

芸術家の街、瀬戸には見どころのある美術館がたくさんあります。その一つが我が家から車で4分程の瀬戸市美術館です。先月ふと入った美術館のギフトコーナーで目についたのが、12支の動物が描かれた巾着袋です。ワイアレスイヤホンを入れて持ち歩くには丁度いい大きさ、早速受付で購入すると、この絵を描いた北川民次の展覧会が次に開催されるので是非来てくださいと誘われました。


午年の巾着

名古屋出身の私は民次の画風には馴染みがあったのですが、名前は知らず、ましてや彼が瀬戸に住んでいたことなど知る由もありませんでした。そこで「北川民次生誕130年記念 北川民次と久保貞次郎ー真岡市コレクションを中心にー」が開催されるや否や足を運びました。

会場についてまず驚いたのは、「写真を撮ってSNSに投稿してください」との表示。「シャカシャカ」という音に何となく罪悪感を感じつつも、少しでも多くの皆さんと感動を分かち合えたらとシャッターを切りました。

この特別展では油絵や水彩画、版画、アトリエ、絵本の原画と下絵が展示されていましたが、一番興味を惹かれたのは久保貞次郎と共に教育に情熱を注いだ民次が製作した絵本「魔法の壺」の展示でした。


「魔法の壺」の表紙

「ボツノフハマ」と書かれた表紙を見たときに「これは一体何の本?」と思って下を見ると壺を作っているたくましい職人さんの挿絵が。そうか昔の横書きの読み物は右から左へカタカナを使って書かれていたんだということに気づき、発行年数を見てみると1942年と記してありました。

壁には土を掘り出して荷車で運ぶ人、砕いた土から粘土を作る人、窯へ薪を投げ込む人などせともののづくりの工程を表す原画が展示されています。子供向きの絵本らしからぬ題材に興味を覚え、クリアファイルにまとめられた全ページを旧仮名遣いのカタカナと悪戦苦闘しながら読んでみることにしました。

物語の主人公は うっかり「魔法の壺」を壊してしまった都会の子のヒロシ。もう一つの壺を探し出そうと不思議な老人に陶器の生産地の瀬戸に連れてこられ、地元の子どもたちと一緒に土から陶器を作る工程に立ち合うという体験をします。果たしてヒロシは壺を見つけることができるのでしょうか?

この物語では魔法の壺探しにつきあう地元の子供達との交流を通し成長していくヒロシの姿も描かれています。馬好きの私の心に残った場面は、ヒロシが荷車を引く馬と瀬戸もの工場に向かうところです。最初ヒロシは馬の横を、地元の子供と一緒に歩くことができませんでした。大きな鼻息と噛まれそうな歯が怖かったからです。しかし瀬戸もの工場についた時、他の子供に促されて草を恐る恐るあげてみたところ、馬が優しい目で見つめ返してきました。そこで初めて馬を可愛いと思い、今度はニンジンを持ってきてあげようと思うまでになりました。


躍動感あふれる馬車馬の挿絵

北川民次が戦時下で瀬戸市に疎開をしたのが、絵本が刊行された翌年の1943年。ということは東京に住みながら、絵本やそのほか瀬戸を題材としたいくつかの作品が生み出された頃になります。その心情は「村はどこでも遊び場になり、空気が美味しいから羨ましい」というヒロシの思いに近かったのかもしれません。

なぜ民次はこんなにも瀬戸の街に惹かれたのでしょうか。5年間暮らしたメキシコの銀鉱山の街タスコに、陶土の採掘をおこなう窯業の町瀬戸が似ていたせいかも知れません。と同時に崖から突然転げ落ちてきた都会の子供ヒロシを助け、一緒に魔法の壺探しを手伝う村の子供たちのように、「どこの馬の骨かわからぬ男を快く受け入れてくれた」瀬戸の人々に暖かさを感じたのではないでしょうか。

私自身瀬戸に移り住んで約3ヶ月、瀬戸の人々に分け隔てなく接してもらい、日々心地よさを感じています。もう少し涼しくなったら民次が描いた街並みを歩き、新たな瀬戸の魅力を感じていけたらと思っています。

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