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左利きの書道は有りか無しか。 左利き書作家の考え その2

左利きのお習字と作品

左利きの習字

左利きとお習字の相性は悪い。
悪い理由は大きく2つある。1つ目は、最初に習うのが楷書だが、楷書は筆の角度や動かし方がきっちり決まっており左手で正しく行うことは非常に難しいと言うこと。二つ目はほとんどのお習字の講師が左利きの指導方法を知らないこと。この2つがあげられる。
1つ目については前項でも触れたがもう少し詳しく説明すると筆の角度が重要だ。横に一文字を描く場合、自分から見て右に傾ける。右手の場合ごく自然な動きで、肘を支点に手を扇型に旋回させると、勝手に筆が右に傾き湾曲した美しい横線画描ける。慣れてきて体に逆らいさえしなければ正確に書けるようになる。
だが、左手の場合手首を意図的に右回転させ支点のない状態で理想のラインを強引に描くことになるので難易度は格段に高くなる。更に楷書は右上がりに描くのがルールだが左利きは右下がりになる傾向があるので右上がりの線は不自然極まりない動きが強いられる。その結果どうしてもブレ気味になり滑らかな線を描くことは困難だ。楷書らしい線を習得するためには果てしない反復練習で体に教え込むしかない。

左右の手で書いた横一文字

覚えておいてほしい、もし左利きの人が完璧な線の楷書を書けたとしたら、果てしない修練の賜物だと言うことを。左利きの自分にはその難しさが良く解る、だからこそ心から敬意を評したいと思う。書道の先生が「お習字をするなら左利きを直した方が良い」と言うアドバイスをすることは、ある意味指導者として正直な行いだろう。習字をする以上、昇級・昇段は励みにもなるし、とても重要なことだろうと思う。
ここを目指すのであれば左利きは非常に不利と言わざるを得ない。指導者としては厳しい結果が見えていながら教えていくことは、熱心で有れば有るほど苦しい作業となってくるだろうと思われる。

もしもここで考えを大きく転換して、習字ではなく個性を生かした創作という道を目指すので有れば全てが大きく変わってくる。

左利きの書作品

そもそも文字は右手で書くのに都合が良いようにデザインされている。「箸とえんぴつは右手で使うもの」と言うのが昔からの決まりであり、実際ちょっと前までは左利きは幼いうちに矯正されるのが一般的であった。昔は子供の左利きを直さない親に対して無責任な親として批判される風潮すらあった。今でも道具のほとんどが右利き用で左利きは不便なことがまだまだ多い。左利きは人口の10%を占めると言われる。別の調査では20%というデータもあるが、何れにしても結構いるようだ。スポーツにおいて左利きは有利と言われるが、それだけでなく右脳が発達していて空間把握・情報処理能力が高い傾向があることは事実のようである。安易に矯正することは可能性を狭めることに繋がるかも知れない。

虎と言う文字を左右の手で書いた
(右は自分で書いたので歪んでいるが角や先端に右利きの特徴が出ている)


書の話の戻るが、習字ではない新しい道についてである。手本通りの文字を再現するのは非常に労力のいる作業だが、自分らしい文字、言い換えれば左利きならではの文字を書くとなれば我が道をいくことになる。左利きは希少なので、右利きの作家に比べると有利になる可能性が高いと思う。ただ習字のように手本が揃っているわけでは無いので目指す方向、目標は自分で見つけなければならない。創作とはもともとそういう物だ。
自分らしい書といっても実際にはハードルの高いことだと思うので、いくつかの方法を紹介したい。創作すると言っても我流でむやみに書くだけではなかなか難しい。
まずは文字の骨格を学ぶことが必要だと思う。骨格を学ぶと言うことは文字ごとのルールを覚えることだ。崩したり変形したり省略したりをどんどんエスカレートしていくと終いには文字では無くなる。その限界を理解するのに大事なことだと思う。学ぶためには基本書体の練習は有効だ。習字と違うところは手本をコピーしようと思わず形を参考にすることだ。同じ文字を楷書・隷書・行書など色々な書体を比較してそれぞれ真似して書いてみる。そう言うことを繰り返していくとある共通点が見えてくる。これを自分は骨格と考えている。基本書体のテキストの様な物も良いが自分の場合は好きな作家を真似てみるとか、古典から気に入ったものを教材としていた。書道の基本的な練習方法の臨書に当たるが線質などまでは気にしないことが大事だ。習字のテキストと違い古典には個性的なものがたくさんあって面白いのでオススメだ。左利きが自分の書を掴むために超えなければならないハードルの一つが右肩上がりからの脱却だ。左利きが右肩下がりになる傾向は前述した通りだ。ここを受け入れ体を自然に動かすことが第一歩になるはずだ。今後左利きの個性的な書作品がたくさん見られることを期待したい。自分は作品を作る上で決めているルールが幾つかある。その一つ、言葉を書く時は自分の言葉を書区ということ。当たり前だが、書とは文字を書くこと。文字とは長い歴史の中で作り上げられた人類の宝であり文化の結晶だ、そして最高の造形だと思っている。これを使わせてもらっている以上誰が書いても最高芸術に決まっている。せめて言葉を書く時くらいは自分で考えた言葉を書こうと決めている。言葉まで借り物ではあまりに図々しいと思うからだ。人それぞれの考えがあるのであくまで個人的なやり方だ。(つづく)


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