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8月15日と丸山眞男

 日本軍国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基盤たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである。


丸山眞男「超国家主義の論理と心理」、『世界』岩波書店、1946年5月。


79年前の今日、敗戦を迎え新しく仕切り直したというのは、建前だけなのかなあとぼんやり思うことがしばしあります。要は、明治以降に制度設計された日本の装置としての国家は、ゴマカシと偽装の連続で、政治学者丸山眞男がいう「ずるずるべったり」という日本の精神風土は何も変わっていないという話です。

度重なる政治的腐敗の連続だけでなく、民間での不正といった問題がその証左であるといっても過言ではありません。

こうした問題に独立自尊した(=福沢諭吉)市民的理性の立場から、その病巣ち戦い続けたのが丸山眞男の知的格闘だと僕は理解しております。

敗戦から1年後の『世界』に丸山眞男は、敗戦日を「自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日」でもあったと綴っていますが、委ねられた市民的責任は果たされているのかと誰何すれば、それは甚だ疑わしいと指摘し、反省せざるを得ません。

不戦を誓うこの日だからこそ、軍国主義・超国家主義と決別する歩みを続けていけているのかどうかを僕は反省する一日にしていかなければならないとも考えています。

ちょうどその同じ8月15日。

1996年のその日、碩学・丸山眞男の命日でもあります。

深く合掌するとともに、これまで以上に意志を継承しなければと考えています。

世界各地で生命を否定する戦争を何も躊躇しなくなっている時代だからこそ。

氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。