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暮らしと学問 26 100円ショップに関する一考察


(はじめに)100円ショップって便利ですよね。デフレ期の成長産業は生活に必要不可欠な小売業として街で親しまれていますが、商品の好き嫌いについては千差万別ですよね。その千差万別っていう感覚に注目してみました。

生活に必要不可欠な100円ショップ

 店内で販売する商品を1品目100円均一(消費税は別)で販売する小売店を「100円ショップ」と呼びます。略して「100円均一」とか「百均(ひゃっきん)」などと称されることもあります。

 食品から生活雑貨にいたるまで豊富な品ぞろえと手頃な価格で非常に便利ですよね。

 誰もが一度はお世話になったことがあると思います。

 その淵源は江戸時代まで遡るといいますが、現在の小売店舗の形態が整備・定着するのは1980年代以降で、全国的に展開されるのは全世紀末のころではないでしょうか。

 生活に必要不可欠な消費財が豊富に揃い、中にはユニークな雑貨も多く、現在では、ガイドブックや活用本まで発売されているほどです。それほど品揃えも多いということでしょうね。

 しかも近頃では、ウィンドウショッピングとしての「面白さ」から、日本を訪れる外国人旅行者のツアーにまで組み込まれるほどだといいます。ワンコインの「百均」ならではの日本らしい商品や便利グッズがお土産として重宝されているようです。

 ちょうどバブル崩壊後の日本経済がデフレーションを極めていくに従い、急速に店舗が増加し、不況時代の成長産業へと成長したのが「百均」です。日本で暮らすひとびとにとっては生活防衛の拠点であり、外国人旅行者にとっては異聞見聞録プレイスになっているというのはなんとも興味深い現象です。


100円ショップで気をつけるべきこと

 とはいえ、頻繁に百円ショップを利用するわけではありませんが、もっとも重宝したのは、フィルムカメラ用のフィルムでした。もはやラインナップから消えていますが、今から10年以上まえにダイソーが販売していたISO100の24枚撮りのフィルムを大活用したものです。アンティークカメラを購入すると、まともとに動くのかどうか、あるいは不具合があるのかないのか、とにかくフィルムを入れて撮影するほかありません。その試し撮りで重宝したものです。

 現在では、とくに「コレ」という「商品」はすぐには思いつきませんが、それでも、例えば、(食品用の)ボウルがなくなった、あるいは、紙を挟むためのダブルクリップを補充しておかないとネ、などという時、立ち寄っては補充することは時々あります。

 ただし、気をつけるべきことがひとつあります。それは、百均に限られた問題ではありませんが、ウィンドウショッピングとはついつい不要なものまで買ってしまうということです。

 ですから、目的の商品だけをなるべく買うように心がけています。1商品100円とはいえ、あれもこれもと買い物かごに入れてしまうと、最初は2つの目的が、気がつけば千円札なんてことがありますからね。みなさんもご経験があるかと思います。


私たちがフツーと思っていることはそんなにフツーではないかも知れない

 さて、最近、気づいたことがひとつあります。

 僕は、新聞や雑誌のスクラップをしますので、いわゆる「スティックのり」が暮らしの中では必要不可欠な文具になります。現在の100円ショップは、戦後の「バッタ屋」とは異なりますから、不良品を安くうっているわけではなく、ほとんどプライベートブランド商品として商品展開をしています。

 それでも、やはり、100円ショップのPB商品の「スティックのり」というものは、どうしてでしょうかねえ……。のりの「ノリ」具合のよいものがありません。例えば、貼るとシワになりやすくなったり、時間が経過すると剥がれてしまうといった具合です。

 別段、百均に対して「安かろう悪かろう」でまとめてしまおうという話ではありません。僕自身、百均で買い求める商品に対しては感謝こそあれ、「これだめなんじゃないの」という商品はほとんどありません。「これだめなんじゃないの」という話を深堀りするならば、衣料品だけは買い求めません。すぐに伸びたり縮んだりしてしまうからです。ただ、旅先などで急遽下着が必要な時は、割り切って購入しますので、理解したうえで購入していますから「これだめなんじゃないの」ではないとは考えています。

 ただ、「スティックのり」だけは、イコール「これだめなんじゃないの」ではありませんが、もう少し、きちんとしたものがほしいというのが正直なところです。

 ですから、最近は、少し高くてもスーパーや量販店、あるいはアマゾンなどで文具メーカーのそれを購入するようにしています。

 「なんだ、ウジケさんは、百均をdisるために原稿書いているの?」

 とか言われてしまいそうですが、決してそうではありません。

 百均の「スティックのり」は商品としてはコストパフォーマンス抜群だと理解しています。しかし、おそらく僕自身が「スティックのり」にもっと上質なそれを望んでいるのだろうと思います。

 ただし、これは僕の場合だけですよね。

 試みに周りのひとに聞いたところ、ほとんどの人は気にしていないようでした。しかし、その逆も多く、Aさんが「問題ない」と思う商品は、Bさんにとっては「問題のある」商品云云という話が山のように出てきました。

 ひとによって、僕と「スティックのり」の関係は、XやYなど様々だと思います。

 しかし、僕の「スティックのり」へのこだわりは、そのひと自身にとって、そのものごとやことがらに対して求めているレベルって様々あるのではないかと顧みさせているのではないかと考えています。

 このことは、僕がフツーと思っていることが皆がフツーと思っていることではないということを意味しています私たちは、暮らしのなかで、自分自身がフツーと理解していることは、皆もフツーであると理解して暮らしていることが多いと思いますが、そう思って「十把一絡げ」で生きていしまうと、思うわぬ落とし穴に落ちてしまうのじゃないでしょうか。もちろん、僕のフツーが皆のフツー、あるいはその逆は多く実在するとしてもですがね。

 <正常>と<異常>という区別ほど、ほんとは多くの難しい問題を含んだ問題であるのに、通常簡単に考えられている区別も少ない。簡単に考えられているというより、すすんで簡単に考えようとしているとさえ言えるほどだ。簡単に考えようとするのは、自分の身を正常の側に置いて、異常との間にはっきりした一線を画そうとするからである。異常なものとの区別において自己の正常なことをうち建てるためだとも言える。そこにあるのは異常なものに対する怖れと不安、およびそれらにもとづく排除であろう。
(出典)中村雄二郎『術語集 気になることば』岩波新書、1984年、21頁。


氏家法雄/独立研究者(組織神学/宗教学)。最近、地域再生の仕事にデビューしました。