【190】哀悼 小沢征爾さん 2024.2.9
2月10日の朝刊第1面で小澤征爾さんの訃報に接しました。
つい先日に、ユーチューブで小澤さんを何気なく聴いて、やはり小澤さんは凄いなと再認識したばかりでした。
日本が生んだ最高の指揮者、小澤さんの音楽については思い出がたくさんあり、その死には一つの時代が終わったと胸に迫る思いがあります。
1 僕の音楽武者修行
僕が小澤さんを知ったのは音楽より先に本を読んでのことでした。
「僕の音楽武者修行」を読んだのは、高校生の時だったか大学生になってからだったか、いずれにしてもまだ学生の頃でした。
まだ海外に行くことが容易ではなかった時代でした。
1959年23歳の小澤さんは貨物船でフランスに単身渡航し、その年ブザンソン指揮者コンクールで優勝してカラヤンに見いだされて師事することになります。
その後アメリカに渡ってバーンスタインに認められてニューヨークフィルの副指揮者になりした。
何もない所から運命を切り開いてゆく小澤さんの才能と行動力は眩しいものでした。
その後の小澤さんは華々しい活躍を続け、1973年38歳のとき、ボストン交響楽団の音楽監督に就任し2002年までほぼ30年にわたって務める一方、ベルリンフィル、ウィーンフィルなどヨーロッパのオーケストラも数多く指揮して名声を高め、2002年1月にはウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮して世界同時生中継され、同年にウィーン国立歌劇場音楽監督に就任するなど世界的にもトップクラスの人気指揮者に成ったのでした。
2 サイトウキネンオーケストラ
小澤さんを思う時には、サイトウキネンオーケストラのことが一番に思い出されます。
サイトウ・キネン・オーケストラ - Wikipedia
サイトウキネンオーケストラについては上のウィキに詳しいのですが、桐朋学園での恩師である斎藤英雄さんが根付かせた日本におけるクラシックをもっと大きく世界に発信するためにと、1984年に小澤さんらが呼びかけ、錚々たるソリストに成長したかっての仲間たちが1楽団員として世界各地から無給で参集し、特別編成された『桐朋学園齋藤秀雄メモリアル・オーケストラ』を母体に作られたオーケストラです。
特別な絆に結ばれた小澤-サイトウキネンの演奏は、数々の名演を残しています。
その中でも第一番に指を折るのがしたのブラームス交響曲第1番です。
これは、1992年5月に財団法人サイトウ・キネン財団が設立され、同年9月に、長野県松本市で第一回「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」が開催されたときの記念すべき演奏です。
確かこの演奏は生中継され、私はそれを見て大感動した思い出があります。
まずは、とにかく聴いてみてください。
改めて聴いてみて、冒頭からオケがほんとうに心を一つにした熱気あふれる演奏を繰り広げており、この曲の数多の演奏の中で最高といっていい輝かしい名演だと思います。
3 小澤さんが世界で受け入れられた理由
小澤さんが何故言葉も通じないフランス ブザンソンで、初めてのオケに短時間の持ち時間の中で自分の意思を伝え、自分の音楽を形作ることができたのか、私はそれを小澤さんの全身を使った明解な指揮ぶりにあるのかと思っていました。
小澤さんほど指揮によって明確にオケに意志を伝えられる指揮者はいないのではないか、私はそう思っていました。
しかし、それだけではなかったのですね。
今回上の松本でのフェスティバルにおけるリハーサルの映像を見て、こうして音楽がつくられるのだと目がひらかれました。
小澤さんには声があったのですね。ブラームスの旋律を歌う声の表現力が凄いのに圧倒されました。(チェリビダッケより全然上手いですね)そして的確な団員に対する指示、求心力。
これなら伝わると思い知らされました。
これは、シュターツカペレ・ドレスデン を指揮した1976年8月8日 ザルツブルクでの演奏ですが、ドレスデンをここまで完全に掌握しきっている秘密が先のリハーサルでわかった気がしました。
それにしても、このブラームス1番も素晴らしいですね。
4 名演の数々
小澤さんの明演のリンクを順不同でいくつか載せてみます。
①ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 op.125 『合唱』
サイトウ・キネン・オーケストラ 2002年9月
(S) アンネ・シュヴァーネヴィルムス (A) バーバラ・ディヴァー (T)ポール・グローヴズ (B) フランツ・ハヴラタ 東京オペラ・シンガーズ ( 合唱指揮:村上寿昭 )
②1987年、サイトウキネンオーケストラの初の海外公演でのブラームス第1番の演奏とその舞台裏ドキュメント
③チャイコフスキー 交響曲 第6番「悲愴」
2008年01月23日 カラヤン追悼公演
ベルリンフィル ベルリンフィルハーモニーホール
この悲愴は素晴らしいと思います。
カラヤンが亡くなったとき、誰が次のベルリンフィルの常任指揮者になるのか注目されました。小澤さんも有力な候補として名前が挙がっていたのですが選ばれたのはアバードであり、その次はラトルでした。
ベルリンは選択を間違った。小澤征爾を選ぶべきだった。
この演奏を聴くと、そう確信を持って言えます。
小澤ーベルリンで生まれたであろう数々の名演を想うと残念でなりません。
④ベートーベン交響曲第5番「運命」解説付き
2005年10月26日 NHK交響楽団 NHKホール
最初に曲についての解説があってこれがすごく面白いです。
⑤ベルリオーズ 幻想交響曲
1966年12月1,3日 トロント交響楽団 マッセイ・ホール (トロント)
1966年は、小澤さん30歳、トロント交響楽団の指揮者をやり、ウィーンフィルを初指揮した年でもあります。
5 小澤さんのこと
小澤さんの音楽を聴いていると、余計な雑念:目立ちたい、受けたい、売れたいといった自己顕示欲や名誉欲などと言ったものが一切なく、音楽のみを愛し真直ぐに追求していっているということが感じられます。
その姿勢と人柄が多くの人を引き付けて行ったように思います。
小澤さんの音楽の特徴は判りやすさにあるように思います。小澤さんで聴くと、あいまいさが無く、どの曲もその曲の魅力が実に明瞭に引き出されてくることに驚きます。
そうした小澤さんの指揮者としての力量は世界一と言ってよいくらい凄いと思います。
ただし、あえて言うならば、わかり過ぎてしまうところが物足りなさに繋がるように感じられてしまうことが時に有ります。
どういうことなのでしょうね。
バーンスタインやフルトヴェングラーやベームさんのようなふとした瞬間の怖さが小澤さんにはない。それをどう思うのかは人によってちがうのでしょうが。
あえて、ベームさんのウィーンフィルとの1975年3月17日の来日公演のブラームス1番のリンクを載せます。
聴いてみて、同じ曲とは思えない演奏です。
これを聴いてどう思うか?
どちらがいいというのではありません。
行き方は違っても、どちらも好きなすごい演奏でどちらかを選ぶことはできません。
小澤さんの逝去をきっかけに、色々な演奏を聴いて音楽の色々な在り方について考えてしまいました。
なんといっても、日本の音楽のためにのこした小澤さんの影響は絶大でした、感謝の想いしかありません。
ご冥福をお祈りいたします。
<終>
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