公平 そのに

前回は塀の外から野球の試合を見たいけど三人とも背が違うので二人は台がないとみることかできないので「じゃあ用意しましょう」のお話でした。

公平とは個々の権利を確保するためのもの

またかの野球の話に戻りますが、三人は塀の外でなら野球の試合を見ることを許されています。(実際の絵の注釈にそれが歩かないかは抜きで話をします)しかし三人が三人とも塀の上から見れずせっかく得られた権利を背の高い一人しか行使できません。そこでほかの二人は「俺ら見れなんだけど」という申し出をしたかどうかは抜きにして「申し出をするとこういう手当が割り当てられます」的な対策、政策、手当、または控除などが与えられることになりました。背の高い一人はそれは必要ありませんので申し出る必要もありませんし「僕だけ見れるのはほかの二人がかわいそうだから何とかできませんか?」という申し出をしてもいいわけです。そこでいろいろとくどくど言いましたがそれを簡単に言い表すための道具がここでいう「台」です。この台の上に乗ることによって与えられた権利を行使することができるようになります。
平等とは「三人ともに機会を与えられること」で公平とは「それを確実に行使する際に必要に応じて与えられるもの」…というと何気に遠巻きな話になってしまいそうですが、平等だけではすべての人が幸せにはならないのです。これだけは確実に言えます。そしてまた平等と公平は似て異なることでもあるのです。

自分の昔話を蛇足で。

前記事で「日本の学校教育では均一的であるべきを常に説いている」などと言いましたが、間違いなく平等とは何かとか公平とは何かを教わってもらったことはありませんでしたし、その印象深いものを感じたことはありませんでした。養護学級通いしててそれが起因していじめられていたというのか…掃除中に腹パンされました。今思うとあそこで死んでおけばやったやつ一生地獄に陥れられていたのに惜しいことをしました。そもそも養護学級になんで通う必要があったんですか?今思うと意味不明なんですけど?という気しかわきません。なんか知恵遅れがどうとか言ってましたが養護学級に通ってなかったほうがまだましだったような気がしないでもないです。
ただ養護学級って何のためにあるのかというとwikiで調べないとわからないくらいなのでこのくらいにしておきますが、仮に「塀の外から試合を見ていい」に当てはめた場合の台に相当するものが養護学級ではないのかといえなくもないです。実際僕には大きな足かせでしかなかったんですけどね。なにせ自分が本来所属する「原学級」と養護学級の宿題を二つともしなければなりません。それだけで十分足かせです。よく登校拒否しなかったものです。実際にはできなかったのが正解です。宿題は人の倍しないとだめで、さらには養護学級の生徒は馬鹿にされるのがデフォだったのでここまでの不公平なんてあるでしょうか?

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