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執着

食べることが大好きだ。それ以外にも服を買うこと、ゲームをすること、友達と話をすること、最近では本を読んで新しい知識を得ること、みんな好きだ。

でも、食べることがダントツ。

昔から人一倍身体は大きい。どちらが先かは知らないが、だから食べる。食べるから身体が大きい。

最近は、一時期はアルコール依存の一歩手前くらいまでいっていた。食べることと同様、ビールやワインを飲むことが楽しいし、美味しいし、たまらない。

そんな生活を営んでいると、知らずのうちに仕事などで貯めたストレスを食べること、飲むことで解消していたようだ。

幸いアルコール依存はそれ以降は進んでいないと自覚しているのだが、逆に食に対してはより執着が出てきた気がする。

つい昨日に旅行に行って妻に言われた。
旅館の美味しいご飯を楽しみにし、途中のランチもググって、夕飯にはプラスして刺身などを事前に予約。そんなボクをみて、「前にも言って、その時は“批判してるなぁ“と言われたからやめたけど、食事への執着がすごいね。もう少し執着をなくせば、もっと楽になるのに〜」と言う。

以前のボクなら嫌なことを言われることで、その事実に蓋をして聞かないことにしていた。でも、最近は“自分を受け入れる“チャレンジをしているので、少しは聞けるようになったと自負している。

で、“食べることに執着しているから、それをやめればもっと楽になる“????
ちょっとわからなかった。。。

自分としては、趣味のようなもので、楽しいこと、ストレス発散、そんな感じで食事を楽しんでいる。それに執着しているからシンドイ???どういうこと??

好きなことをやめる?数少ない楽しみを捨てる?なんでだろう。
前のボクならここで思考ストップ。でも、こんな歳でも少し大人になった自分は、そこから前進できる。

要は、好きなこと、楽しいことはそのまま維持すれば良い。それなら食事でもなんでも今まで通り楽しめる。

ボクの場合は、そこに執着=期待 too muchをしている。
例えば、すごい楽しみに予約をとった宿。夜ご飯が豪華だろうと思い込む。しかし、出てきた料理は見た目は豪華だが、味はso so。
ガッカリして、その場のテンションが下がる。

これは料理がso soなのが原因ではない。自分の期待がtoo muchなんだ。執着が期待へと変わり、そこに信じられないくらいの期待をかけるから、それと現実の落差があると凹み方が半端じゃない。

これを妻は執着と呼んでいる。だからこそ、この執着をなくして期待をなくす、いや、普通くらいにすれば、どのような料理が出てきたところで、対処できる。

まずいご飯なら、しょうがないな、美味しいご飯なら素直に感動、要は受け入れられるようになる。

でも、道のりは長いなぁ。最近は漸く自分を俯瞰して見れることが一部でキタキタところに、次の難問。まあ、これもメタ認知できればクリアできそうな課題ではあるな。がんばろ。

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