2024.04.25

先日、韓国旅行に行った。
大学時代の仲の良い友人に誘われたときは、私も行きたかった韓国に行ける喜びと、その子が私を誘ってくれた喜びが重なってとっても嬉しかった。

大学では同じゼミに所属していて、ガーリーテイストなファッションの趣味も合ったのでよくお店巡りをしたり、植物園で地面に落ちた花びらを拾い集めて宙に投げ、舞い落ちる様子をスローモーションで撮影する遊びをしたりしていた。一見ふわふわした女の子に見えつつも、しかし私達の性格は比較的現実的で堅物で、県立大学出身という肩書がそれをよく表していた。ある些細な出来事に対して辛辣な物の見方をしたり、さりげない日常の疑問について哲学的に語り合ったりしていた。

彼女は一緒にいるとこちらまで朗らかになるような人柄で、周りの空気を弛緩するような、香水などはつけていないのに柔らかな匂いがする人だ。

社会人になってからはたまにしか会うことができないが、それでも久々に会うとすごい勢いでお喋りをした。私の今ではたった3人しかいない友達のうちの1人だ。こんな私と友達でいてくれて感謝だ。



よく心理テストとかで「あなたは旅行に行くとき、計画をしっかり立てる方ですか?」という質問がある。私はそれを「4:まあまあそうである」で回答していたが完全に誤っていた。私は「5:とてもそうである」人間だった。旅行に行く頻度が少ないから気づいていなかったが、どうやら事前に計画が立っていないといられない性格みたいだ。だって計画をみっちり立てて準備万端で旅行に行くことにはメリットしかない。
まず、下調べ。新しく訪れる土地の有名な物、珍しい物、そこでしか味わえない物は一体何かを調べる。これは他の場所でも似たような見たことがあるぞ、あっこれはここでしか手に入らない珍しいものだ、などと優先順位が浮かび上がってくる。そしてそれをひとまず地図上に点で表し、線で繋げる。繋げ方も何において最善かを考えながら、絶対に行きたい場所、もし時間に余裕があったら見たいところ、時間が余ったらゆっくりできる場所、念には念をもって頭をフル回転させる。すべては最高の旅にするために。

特に今回は異国の地に行くのだから、現地で困ったことが起こらないようにたくさん下調べした。そして、2人で行きたいところをそれぞれピックアップしたあと電話ですり合わせしよう、と提案した。いざ約束した電話のときになると、友達はなんと「12月に1回調べた以来、何も調べてないねん」と言った(…!?)
しかもその電話は電波が悪く途切れ途切れで、うっかり「私がiPhone8だからかも、ごめんね」と謝ったら、「ちゃうねん、今、お母さんが運転する車に乗ってて山におんねん」と言われた。(…!?) 私はこれは時間の無駄だとすぐに見切りをつけ「3日後にまた電話しよう、それまでに行きたい場所を調べといてね。」と言って電話を切った。
その後、「行きたいところ調べたよ!右端から順番に行けばいけるかな?(笑)」とLINEが来た。私はそれを見た途端に頭にうわっと血が上るのを感じた。電車の乗り換えについては?ごはんやカフェは分散する順序で回らないとおなかいっぱいで何も食べられないよ?お互いに絶対行きたいところ行けなかったら嫌だし?いろいろ言いたいことがあったがまずはゆっくり深呼吸してからその子に「私は計画立てたいから夜に電話していい?忙しいのにごめんね」とLINEを返信した。電話の前に、いかにいい旅の計画かをプレゼンするためにルートをざっくり考えてメモをし、LINEで送った。その子もそれを図にまとめたり、私の考えから抜け落ちているところを拾ってくれた。おかげで夜に電話して話し合い、いい旅行の計画ができあがった。「これで安心だよ!ありがとう!」とお礼を言って、当日を迎えた。

しかしいざ旅行となると、友達は何も調べず準備を怠ったことが露呈していった。まず、国際便だというのにペットボトルのお茶を持ち込もうとする。手荷物検査を待つ長い列で、水分は持って行けないんだよと説明しても、その内容の看板を見ても「でも沖縄に行くのに飛行機乗ったときにはペットボトル持って行けてん」といって頑なに手から話さなかった。もちろん、手荷物検査をテキパキと進めるお姉さんに捨ててくださいと咎められ、それでもなお「最後に一口だけ飲ませてください。」と言って順番待ちの列をさらに長引かせていた。

おせっかいかなと思いつつも不安だから電話で話したクレジットカードのことも案の定覚えておらず、事前に海外利用する旨をカード会社に連絡していなかったから使えなかった。

降りる有名な駅名、周るエリアの名前さえも覚えてないから会話もスムーズに出来ない。

地下鉄なんて日本と同じ仕組みなのに乗り方もなぜだかわかってなくて、この子はひとりでどうやって生きているのだろう?と思った。

一番嫌だったのは、友達自身が行きたいと言ったからわざわざ20分歩いて行ったお店に行ったとき。友達は着いた途端に顔をしかめ「はてな?」という表情をし、店内をぐるっと一周してすぐ出てきた。私はそれに耐えられず、後からついていき「このスキンケアのお店のものは普段使ってるやつなん?」と嫌みを言った。その子はまだ不思議そうな顔をしながら「ううん、使ったことない」と言った。痺れを切らした私は「なんでこのお店に来たかったん?」と尋ねると「建物の外観が可愛かってん」と答えた。私はそこからずっと怒りに満ちあふれていた。特に用もない店に来るために歩かされたことも、時間を無駄にしたことも、念入りに立てた計画が台無しになったことも、それだけ真剣に向き合ってくれなかったことも全部に腹が立ってしまって、けれど二人きりの旅行だし嫌な顔したくないと思っていても、でもどうしても不機嫌になってしまった。その子は私がこんなにあからさまにしていても全く原因に心当たりがないのか、だけど私が不機嫌になるのに比例してどんどん声が高くなってしまっていた。友達は私が不機嫌なのを旅行で疲れてて、かつ夜眠れなかったからで片付けようとしていた。見当違いな推理にさらに苛立った。


私はこの旅行で自分のことがよくわかった。
私は旅行のときは事前に計画を立てたくて、例えば概算で何時にこの駅に降りて周辺を巡ったなら、きっとこの頃には疲れるからこれが有名なこのカフェで一休みをし、次はあのお店に行ったあとこの駅にここで乗り換えてあのお店に行って、夜ごはんにはこのお店の名物のこれを食べたい。
なぜ予定を立てるのかというと、その場所でしかできないことや、自分や相手が行きたい場所、したいことを絶対に叶えたいから。もちろん臨機応変に通りがかった素敵なお店を見たり、小腹がすいたからこのお店に入ろうとかすればいいと思う。とにかく、押さえたポイントは絶対に押さえたいのだ。だってよりよい旅行にしたいから。
実際、その子が下調べし忘れて適当に入ったご飯屋さんの味はいまいちだったし、栄えているだろうから適当にウロウロしようと思っていたエリアは見当違いで満足度は低かった。
計画の高さは旅行の満足度に完全に一致していた。


もうひとつわかったことは、人間は流動的なものであること。
知らず知らずのうちに相手に期待してしまっていたり、自分が思い描いている相手の理想像に当てはめてしまっていて、そのせいで上手くいかないと感じることがある。私の友達の印象は、そういえば主として大学時代でストップしている。もう7年も昔のことなのに。環境や習慣で考えが成長したり変わっているところはあるし、世の中のおじさんやおばさんを見ればわかる通り、年を重ねると思想が良くも悪くも極端になっていく。だから今まで通りの友達関係を築けないことなんて当然のことだった。(よく聞く話、結婚・子育てしている人と独身の人で話が合わないってやつ、あれ。)
途中から不機嫌になってしまったことを、はっきりと謝りたかったけどその「はっきり」を伝えたら友達のことも同時に咎めていることになりそうで、曖昧な感じでごめんね、と帰りの飛行機で謝った。その子はおっとりしているから何の話だか理解しているかわからなかったけど、ひとまず自分の中で決着つけたことにしよう。
まだまだ学ぶことがたくさんあって、生きるってこういうことだな~~と思った。ちゃんちゃん



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