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知らない人と車窓からの夕日を眺める



帰りの電車、夕日が見える席に座り、ぼんやり車窓の外を眺める。

そんなに時間は経ってないと思うが、その体制から2、3分微動だにせずだからか、一つ空いて隣の席に座った体格のいい男性がちらっとこちらを見た。
そして、彼もまっすぐ車窓の方に目を向けた。

そんな動きを横目で確認しながら、いいだろいいだろ、いいもん見れたねと、これみよがしにニマニマしてしまった。シャイなので、心の中でだが。

目の前の車窓の手前左側には女子学生が二人、何かを楽しそうに話している。膝くらいの紺色のスカートを履いて、足の間に鞄を挟んでいる。
それも車窓の向こう側の夕日と一体化して、私の目に映る。

どこかで、知らない街の景色がエモく目に映るのは、その街を知らない、つまりは責任を持たないからだと読んだ。

ある意味、隣の男性に対してはそう思う。全く知らない他人だから、この夕日を惜しみなく分かち合える。彼に対して何も責任を持たないし、感じないから。二人で好きなだけ夕日の行く末を見てみようと思う。
この知らない人、責任を持たなくていい人と車窓からの夕日を眺めるのは、知っている人と眺めるのとは全く違った「エモさ」がある。

景色に対してもそうなのだろうか。知っていても、知らずとも、美しい景色は美しいと思う。例えば夕方の景色とか。毎日同じ場所から見ても、毎日違って、毎日美しい。毎日心が揺れ動く。
雲に覆われ翳りを帯びたり、燃え上がるように赤く広がったり、ひっそりと夜の色を沈めたりする。注意深く見てみると、季節によっても性格が違う。夕方から夜に少しずつ変化していく様子を見るのも中々楽しい。自分の心情によっても違って見える。

ある意味、毎日同じ街を行き来し、毎日同じ景色を眺め、しかしその街、その景色を私は「知らない」のだ。その責任から逃げている。
全ては人生の通過点に過ぎない、と思う。いつかはすべてから去っていく。戻ることもあるかもしれないが、それはきっともとの私ではない、別の何か。
だから、知る必要もなければ、知りたくもない。

知らない人と車窓からの夕日を眺める。

夕日は落ちて行き、夜が電車を覆う。知らない人はやがて立ち上がって電車から降り、夜に消える。私は一人で暗い窓の外を見つめる。そして、私も電車から降り、電車のドアは閉まる。誰も乗っていなかったかのように、電車は行く。

来週はきっと、知らない人が知らない電車に乗って、知らない夕日を見る。


2023.10.17 星期二 晴れ

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