北東インド旅(7)タワンの恋愛放浪詩人

昨日の激辛プタンのせいなのか、夜中突然お腹の違和感を感じてトイレに駆け込んだ。やはりお腹が緩くなっている。
不安を感じながらそのタワン行きのスーモに乗った。なんとか6時間半持ち堪えてタワンに到着。

タワン修道院

宿を見つけて、さっそくタワン修道院へ。タワン修道院はラサのポタラ宮に次いで大きなチベット修道院と言うだけあって、敷地内には中心の寺院だけではなく、寮のような建物や食堂、博物館などがあり、イメージ的には規模の大きな大学のような作りになっている。ちょうど「砂曼荼羅」を描いているお坊さんがいて貴重な姿が見れた。

砂曼荼羅

ここはダライラマ14世が中国から亡命してきてインド入りしてから最初に立ち寄った場所としても有名で、その辺りの経緯や写真など、博物館で詳しく説明されていた。

タワン寺

そしてもう一つ。タワンはダライラマ6世の生家があることでも有名らしい。正直ぼくはここに来て初めて知ったのだが、ダライラマ6世というのはなかなか波乱の人生を送った人物で、以下にwikipediaの文書の一部を抜粋する。

『1697年、数え15歳で沙弥戒を受けてダライ・ラマ6世に即位するが、僧の生活になじめず、1702年に沙弥戒を返上、以後は恋愛と即興歌作りをして暮らした。このようなダライ・ラマの素行を口実に、ホシュート部の長ラサン・ハーンによって1706年に廃位させられ、同年、清の北京への護送途中の青海の地で没した。病死とも暗殺されたとも言われる。ダライ・ラマとしては型破りの人物であったが、その人柄と歌がチベットの多くの民に愛された。』

ちなみに岩波文庫から「ダライラマ6世恋愛放浪詩集」という本も出ている。

ダライラマが亡くなると側近の高僧達がイスピレーション的なもので何処かにいる生まれ変わりを探すのだが、15歳の時に突然捜索隊がやって来て「あなたは先代ダライラマの生まれ変わりです!」と言われ、それに馴染めず恋愛と詩歌に生きて、9年で廃位させられて最後は(多分)暗殺させられる、って。。それでも今でも多くのチベット人に愛されてるのは救いだなぁ、と思わざるを得ない。
現代だったら炎上に次ぐ炎上間違いないだろう。眞子様もヘンリー王子もこの時代に生まれていたら…いや、でも暗殺されてないだけましなのだろうか…?

そんなことを考えながらタワンでの一日目は過ぎていった。

モモ(チベット餃子)とチャメン(激辛ソース)

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