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卒業宣言

noteさんで開催の企画「#推し短歌」への参加です。

最後に解説というか、歌たちに託したものの説明を少し書きます。ちょっと鬱屈としたオタクあるあるかと思うので、よかったらどうぞ〜。


短歌 連作5首


喜びの気持ちを置いて焦燥があふれてしまった公演告知

“推し”がる“推し”だからこそわかるんだ、絶対素敵で見逃せないと

「好き」という名の強大なパワーはね、自分を傷付けることもある

嫌いには残念ながらなれなくて、何度観たって推しは輝く

今だって“不滅の愛”は誓えるよそう言えるから今、さようなら

この連作を詠んだ経緯

すっごく簡単にいうと、推し疲れしました。
金銭面と精神面への累積ダメージが限界に達したという方が正しいのかもしれませんが、わたしのこの感情はいわゆる「推し疲れ」だということにしておきます。

7〜8年ほど推している俳優さんがいます。2.5次元コンテンツにおいては実力派ベテランみたいな立ち位置になりつつある、とっても繊細で深みのある歌声がすばらしい人です。
そんな人が、とある2.5次元コンテンツで長らく演じている役が、原作ではわたしの最推しキャラクターという幸せが、ここ数年のわたしの文字通りの生きる支えでした。

ここから先は本当にわたしのプライベートな事情なんですが、夏が始まる少し前くらいにメンタルの調子を崩して、なし崩し的に退職、現在も療養中の身です。
そんな中ある日飛び込んで来たのが、その“推し俳優”が“推しキャラ”を演じる公演のお知らせ。しかも演出まで推しが担当。そんな、本当なら飛び上がって喜べたはずのものに対して、出てきた感想は「どうして今?」でした。
精神的な体力も衰えていて、今は無職で切り詰めながら病院に通う日々。行かなきゃ、でもチケット代どうしよう、という焦りが一番先に、一番強く感じた感情でした。そして、そうなった自分、喜べなかった自分にも少しだけショックを受けたのです。好きなんじゃないの?という自分への問いも浮かんできました。正直、半日は涙が止まりませんでした。

そんなことがあってから色々自分なりに考えて、告知があった公演を最後に、推しの全てを追いかけることを一旦やめようと決めました。
そもそもの自分ルールというか、生き方の方針として、少しでも楽しく過ごそう生きようと決めているので、「つらいと思うくらいなら一旦手放して、楽しいと思えるタイミングで手を出せばいいじゃないか」という考えに至ったわけです。

金銭面も体力面でもスケジュール調整も、はたまたチケットを取るプロセスや人間関係などでも、推し活には自分をある程度削る部分があると思います。
もちろん、削った分以上のエネルギーでポジティブに活動できるのであれば好きに自分の「好き」を追っていいと思います。
けれど、今回のわたしの場合はそうではなくなってしまったので“卒業”しようかな〜、と。大好きだって叫ぶ体力があるうちに距離を置こうと思いました。どうやったって推しは眩しいくらい輝いていて素敵で、嫌いにはなれないので。

メディアに取り上げられる「推し活」はポジティブな面ばかりが目立つと思います。実際楽しいし、推しの素敵な姿を見るだけで幸せになれるし。
でも、こんなこともあるんだよっていうひとつの例を置いておきたくて、この企画にこんな歌たちで参加しました。
推し俳優や推しコンテンツを大好きな気持ちは変わりません。でも、今は一旦、さようならと言おうと思います。


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