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高橋是清はMMT的ーケインズ以前に世界恐慌から日本を救った蔵相

85年前の今日、高橋是清は2.26事件で凶弾に倒れました。昭和恐慌下で井上準之助蔵相が金本位制復帰と増税などの超緊縮策を断行、農村は窮乏し、多くの娘たちが売られました。

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続いて蔵相になった高橋是清は井上の緊縮策を排し、金本位制の停止、日銀の国債引き受けなどの反緊縮策を実施して、劇的な経済回復を実現します。

しかし、高橋登場前の緊縮政策による故郷の窮状を見た農村出身の青年将校たちは、既に政治への強い不信を抱いていました。1936年、ついに彼らは決起し、軍事予算の縮小を主張した高橋もその凶弾に倒れました。皮肉にも、不況に苦しんだ人々の中には、青年将校たちのテロに喝采した人たちも少なくありませんでした。その後、軍部の暴走と予算に歯止めが効かなくなり、日本は戦争へと突入していくのです。

大日本帝国の国家財政に占める軍事費の割合をグラフ化すると、軍事予算がいかに財政を圧迫していたかがよく分かります。

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(注:右軸は対数)

高橋是清が暗殺された直後の1936年度の軍事費でも、実に国家財政の47%を占めます。翌1937年度には軍事費は何と70%にまで達し、軍事費を抑えていた高橋亡き後、馬場蔵相に代わったあとで膨張に歯止めがかからなくなったことが分かります。

さらに日露戦争や第二次世界大戦時の軍事費は国家財政の80%を超え、まさに総力戦でした。

日本では、高橋是清が積極財政を行ったことが、軍事予算の膨張と戦争を招いたと批判されて来ました(特に左派知識人や財務省関係者に多く見られる見解です)。しかし積極財政を取らなければ戦争が防げるという考えは、浅はかと言わざるを得ません。

積極財政が戦争を招いたというのは、原因と結果の取り違えです。恐慌下での緊縮こそが人々の暮らしを悪化させ、テロや軍国化の遠因となったのです。高橋は劇的な回復を実現したのち、既に国家財政の半分を占め、他の産業を圧迫するまでになっていた軍事予算の縮小を試みましたが、すでに時遅しでした。

世界最速で日本経済を回復させた高橋是清は、ケインズの先駆けとも言われ、現在でもその政策は国内外で高く評価されています。

MMTの創始者のひとりである、ビル・ミッチェル氏も高橋の政策を分析し、以下のように評しています。

「高橋是清の経済政策のスタンスは、非常にMMT的な運用であった。これが日本を世界恐慌から救ったことはほとんど疑いの余地がない」

There is little doubt that Takahashi Korekiyo’s economic policy stance – which was very MMT in operation – saved Japan from the Great Depression.

危機下での政府の誤った緊縮策は、人々を窮乏させ、テロと軍国化、戦争を招くというのが、コロナ危機の今、私たちが知るべき歴史の教訓なのです。

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ビル・ミッチェル『高橋是清はケインズ以前に世界恐慌から日本を救った』
※結論部分翻訳

結論

高橋是清の経済政策のスタンスは、非常にMMT的な運用であった。これが日本を世界恐慌から救ったことはほとんど疑いの余地がない。

ほとんどが中央銀行の信用供与で賄われた大規模な財政出動は、金利の急騰やインフレの加速にはつながらなかった。

インフレ率は一時的に上昇した後、再び低下したが、これは主に為替レートの大幅な下落の結果である。これは、日本のような小さな開放経済(当時)では、必ず起こる結果である。

例えば軍事費など不必要な財政出動もあったが、高橋是清の「実験」が今日の私たちにとって、表層的な金融政策をめぐる議論に関連性があることは明らかだ。

私は現在の著書『ユーロ圏のディストピア』(2015年5月出版)の中で、明示的財政ファイナンス(Overt Monetary Financing, OMF)(※)は、ユーロ圏を(それ自体から)救うことができると主張してきた。

しかし、ブリュッセルやフランクフルトの政策立案者には、1931年に高橋是清が行ったような政策的洞察力と先見性を発揮させてみたいものだ。

「パブでの政治より」  ハミルトン、2015年11月17日

※明示的財政ファイナンス=OMFとは、国債や税によって裏付けられてない財政支出のこと。MMTの中核的な主張のひとつ


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