フラクタルについて

 通話の流れでnoteを始めたので、適当に思考のメモに使おうと思う。

 フラクタル図形が好きだ。マンデルブロ集合とか、バーニングシップとか、そういった種類のもの。極端に分かりやすい例を挙げると、ゼルダの伝説のトライフォースのような図形を、もっと細かくしていくというか、そういった形の図形である。
 見ていると落ち着く? というか、色々と妄想が捗るから好きなのかもしれない。自分は妄想というか、何かを考えてたり構想を練ったりしている時がいちばん頭がすっきりする。バイクは走っている時が一番重心が安定するという話があって、自分の頭はそれに近いのかもしれない。思考を続けている時がいちばん、自分が安定している感じがする。
 フラクタルはいい。数式の中に循環と永遠が存在するので。どれだけ突き止めてもまだまだ先があるというのは、とても心理的な余裕が産まれて非常にいい。あるいは、自分は終わりのない何かに縋っているのかもしれない。
 自分は物事には明確な終わりがある方がいいと思っている。これまで自分は物書きを九年ほど続けていたが、その中で何か一つ身に着けたもの、これだけは言えるものがあるか? と問われたら、おそらくそのことを答えるのだと思う。それは自分に課せているものでもあるし、そうなりたいという願望でもある。
 ただ、だからこそ終わりのない何かに憧れる気持ちが自分の中に産まれているのだと思う。これはそこまで高尚な欲求ではなく、他人の金で焼肉に行きたいとか、ハワイに行きたいとか、そういったレベルの欲求だと思う。物事には明確な終わりがあった方がいい。ただ、真に終わりのない物事があれば、それはとても素晴らしいことだと思う。
 循環という言葉には惹かれるものがある。あれは、先述した終わりのある物事と、終わりのない物事の二つを内包していると言っても過言ではない。終わりがあって、始まりがある。それが永遠に続くことを循環と呼ぶ。
 自分の中で、永遠が存在するものが一つある。それは旅だと思う。旅に終わりはないと思う。終わりを決めることは可能だが、逆に言えば終わりを決めなければ旅は永遠に続くのだとも思う。循環に似ている。違うのは、終わりと始まりを同時に内包しないこと。そして、物語ではないということ。

 これは旅ではなく物語。
 永遠はなく、確定した終焉のみが存在する。
 
 

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