見出し画像

起業という旗を立てる人へ(#1) - 覚悟と信念こそが独自性のあるモノ・サービスを産み出す

2016年10月のあたま、勢いそのままに開業届け手に取り、何の考えもなしに個人事業主となり、なんかよくわからない起業マニュアルが書かれた本を読んで、ふと目に止まった言葉のとおり動こうと思った。

一人目を大事にする

そんなときに出会ったのが、株式会社設立からは数ヶ月の株式会社ふたごじてんしゃの中原さんだった。

先日書いた暗黒の町工場編の最後に出会ったふたりが、暗闇から引きずり出してくれた恩人だとすると、中原さんは僕に光を照らしてくれた恩人。

正直出会ったときは、何にもわからなかったけれど、本の言葉のとおり、大切に取り組もうと。そんな人と歩んできたこれまでの物語を綴るシリーズです。(そうだな、起業する/したい人には、このシリーズぜひ読んで欲しいな。前半はエピソード中心になると思うけど)


双子ばかりいる異世界へ

あのときは2人目の子どもが産まれるタイミングで、里帰り出産(といっても、車や電車で1時間圏内)だったから、ぼくは疑似独身貴族生活をしながら、カイトがプールの習い事のときだけ、家まで迎えに行って通わせるという生活をしていた。

1人目が帝王切開だったので、2人目も帝王切開が最初から決まっていて、手術日=誕生日が何週間か前からわかってた。名前も決めてたし、いろんな申請も自分や父親の会社でするから、すごく気が楽だった。(カイトのときは、年末に産まれるかどうかで、バタバタしてた記憶があったから余計に楽だった)

プールの習い事は、カイトは苦手意識があって、理由は指導員の女性が厳しくて、自由に遊べないから。指示通りやるとか、順番を待つとか、遊ばないとか、できないというかやりたくなくて、よく怒られてたし、なかなかテストで進級させてもらえなかった。

だから、すごくプールに連れていくのは骨が折れる仕事で。だったら行かせなかったらいいやん、って声が出そうだけど、やっぱりプール入ってるときは楽しそうだし、あの笑顔が見たいなぁという気持ちが勝っていた。(ごめんよ、快斗)

着替えをさせて、体操してるのをそばで見て、ガラス越しにバシャバシャ泳いで、怒られたり・笑ったりしてる様子をただただ見ていて。

ぼくは、自分の子どもが人の言うことを聞かないことが普通だと考えていて。逆に、兵隊みたいに言うことを聞きながら、体操をしたり、プール内で並んだりしている子どもたちのことを不思議に感じてた。

そしていまだから感じることだけど、双子や三つ子はいなかった。言葉はしってるけど、見たことがない都市伝説みたいなもの。大学のときに、マナカナがいたけど、有名人だしハナから特別なら人って感じ。

日常生活に双子はいない。というか、双子という言葉を使うこともない。けど、いまは日本で1番双子に関わっている人だと自負している。(双子ママ友が1番多い、双子じゃないパパです)

(いろいろ写真探したけど、なかなか見つからず。ためしに「ふたごじてんしゃ・大野」でググってみたら、工藤さんのnote記事がひっかかり、運転している画像の人がぼくでしたw)


何もできないポンコツ男子

レナが産まれたあとすぐの土曜日だったのかな。ふたごじてんしゃの展示があるとのことを聞いて、自転車を下ろしたり・展示準備したりするのに、手を貸してほしいって言われて、会場に向かった。

多胎という言葉はこれまて知らなかった。2016年10月、30年生きてきたけど知らなかった。そんなカテゴリーのイベントへ足を踏み入れた。

当時は、子育てしてるママって話しかけづらくて。カイトのプールに行ってるときの感覚で、うちはうち・よそはよそ、って感じがしてて、このときのイベントは中原さん以外とはほとんどしゃべらずに、物陰にひそみながら、観察に徹していた。

そしてこのときに初めて、双子ベビーカーなるものを知り、「双子ばっかりやん」って心の中で何度思っただろう。でも、まだまだ何もわからず、何気ない「双子いいね」っていう言葉が傷つける言葉のひとつだなんて、想像すらできなかった。

という体験がありながらも、世界にひとつしかない中原製ふたごじてんしゃをそばに、来場する沢山のふたごママへの対応をひとりでされていて、車体説明・ママとの会話・交通整理など、人手があきらかに足りてないなぁと。

当時の自分はそんなことを俯瞰的に見てるだけしかできず、何をどう手伝えばいいのかすらわからず、オロオロすらできないポンコツ男子でした💦


いろんな葛藤を間近で見てきた

2016年10月に出会ったときには、中原さん自身が使ったふたごじてんしゃがあって、販売モデルのメーカであるオージーケー技研さんとも話が進んでいた。けれど、2018年5月販売開始までは、たくさんのできことがあって、それを間近で見させてもらった。

ぼくだからこそつづれる『ふたごじてんしゃ物語』もあるんだけれど、生々しい話は今回全カットでお届けします。(まぁいろいろあるやん?)

ぼくが出会うまでのエピソードをざっくり話すと、2011年に双子を安心して乗せられる自転車を探し始め、自転車屋さん・いろんなメーカーに体当たり的にお願いしに行って、「数が出ないものは生産できない」と言われても諦めず、試作機をつくり、自分の子どもたちを乗せることは叶えたけど、それだけで留まらず、なんとか世の中で他に困っているママに届けたいんだ!と旗を立てて、あともうちょいって感じ。

実際には、あともう少しではなく、かなり壁が立ちはだかることになるんだけど、出会ったときにはオージーケー技研製の試作機はそこにあって、それを使って大阪・東京で試乗会をするという段階だった。

ぼくは、中原さんと(当時は)専務だったオージーケー技研の木村さんとが話しているところに加わり、話している内容を記録にとどめながら、話すべきこと・聞くべきことを忘れないようにするという役割からのスタート。

スタンスの取り方が正解だったのかわからないけれど、一方的にどちら側に寄ることなく、お互いにしっかり・きっちり話せる場づくりをすることに徹していた。

この頃、たくさん話をしていた中原さんが想っていること・叶えたいこともとてもすごく理解していたし、製造業で・事業承継真っただ中の木村さんから出てくる言葉も受け止めたかったし、とりあえずこのふたりの想いがしっかりかみ合うようにと、考えていたような気がする(これはかなり後付けかも、当時はふたりの発言を追いかけるだけで、気の利いた発言やアイデアなんてぜんぜん浮かばず、その場にいる意味を見出すのに必死だった)

『ふたごじてんしゃ』に関わり、学べたことがたくさんある。


アセスメント販売®って何だ?

ふたごじてんしゃの購入にはアセスメントというステップがある。ぼくなりの言葉で説明すると、どんなシーンで使いたいかを確認する・車体の特性に目を向ける・買わないという選択があることを知る、の3つがアセスメントの役割。

当たり前の売り文句は「あなたにより良い生活を」とか「どこよりもお得です」とかそんな企業が用意した言葉が並ぶばかり。まるでこの製品には欠点がひとつもないような風に魅せることが多い。

ふたごじてんしゃは違う。

欠点をめちゃくちゃさらけ出してる。坂道は苦手、段差も苦手、スピード出ない。距離走るのはおススメしない、などなど。なんだったら、操作説明の動画シリーズ内で、衝撃的な転倒シーンが含まれていたりする。

子どもを乗せる自転車だから、より安全に。中原さん自身が転倒した経験があるからこそ、そんな怖い想いをする子どもとママをうみだしたくない。そういう想いが常にそこにあった。

「自分は大丈夫」って思う人にも、キチンと伝えるためにどうすればいいだろうかと考え、必ずアセスメントで注意点および車体の欠点を伝え、より伝わりやすい取説動画を制作した。

これをメーカーであるオージーケー技研さんもすごい決断をしたなと客観的に思うけれど、そういう決断をさせることができた中原さんの熱量と変わらない信念がなければ、アセスメントも取説動画も世には出なかったと思う。


前半はここまで。

双子のことなんて何も知らなかった自分が過去にはいて、でも素敵だなと思う中原さん・ふたごじてんしゃ・オージーケー技研さんと出会い、素晴らしいプロジェクトに携わることができたんだよを自慢するブログが完成しましたw

何よりも心がすさみきっていた当時のぼくにとっては、試乗会で笑顔にあふれる人たちを見て、心が浄化される時間を過ごしていました。

ただ、その裏側では並々ならぬ覚悟と容易くない壁があって、そこから学んだこと・みんなに勘違いしてほしくないこと・これからの自分に活かしていくこと、をシリーズ後半で、つらつらと書いていきたいと思います。

(次回へ続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?