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効率性とことばの教育

「批判的言語教育国際シンポジウム」

2018年6月30日(土)・7月1日(日)の2日間,僕が実行委員長になって,批判的言語教育国際シンポジウムを開催します。今,その準備が大詰めになっています。2015年末に『未来を創ることばの教育をめざして』をココ出版から出版しました。主張を簡単にまとめると,以下のようになります。
・言語教育の目的・目標を言語知識と言語スキルの修得という「語学」的なものとして考えるのではなく,次代を担う人たちを育てる「教育」として位置付ける必要があるということ。
・そのために,言語知識やスキルの習得を前面に出すのではなく,内容を伴ったContent-Based Instruction(CBI)として言語教育を考える必要があるということ。
・「教育」として考えた場合に,既存の社会のよいものは残し課題のある部分は解決していく人を育てる必要があり,そのためにクリティカルな視点を抜きに考えることはできないこと。
・これらをふまえて,言語教育をCritical Content-Based Instruction(CCBI)として再構築する必要があること。
今回の国際シンポジウムは,出版から3年が経ち,その後,類似・関連の取り組みがどのように進んでいるのかを議論し,今後の可能性を考えるものです(みなさんぜひ)。英語ですがまとめた論文はこちら

海外のクレジットカード

今回は,海外参加者が一定数見込めることや,当日の作業を効率化したいことなどから,参加費の収受は,事前のクレジットカードのみにするつもりで進めました(諸事情でコンビニ決済と当日現金も可能にしましたが…)。カードで支払いができるように,既存の申し込みサイトを実行委員の仲間がいろいろ調べてくれた結果,yahooのpassmarketが手数料として取られる割合が少ないということがわかりました。それで,このpassmarketを使うことにしました。
サイトに登録して,参加受付を開始したところ,「『クレジットカード番号に誤りがあります』というメッセージが出て支払い手続きの先に進めない」という問い合わせが,頻繁に入るようになりました。どう考えても,入力している側が間違っているとは思えない数の問い合わせ数でした。そこでpassmarketに問い合わせたところ,なんと,海外発行のクレジットカードは使えない仕様になっているということでした。曰く,以前は使えたが,海外からの支払いでトラブルが多いので,現在は国内発行分しか使えないようになっていると…。
そんな大事なこと,先に言ってくれよと思うけど,申し込みを始めて,すでに支払いを済ませている人もいることから,今さらいろんなことを変更することもできないと考え,そのまま進めることにしました。それで同じようなケースに対応するために,国際シンポのwebページの参加申し込みサイト下部に,海外のクレジットカードは使えないので,コンビニ決済か当日現金でお願いしたい旨をお詫びとともに記載しました。

意外と減らない…

ところが,クレジットカード番号に誤りがあると出て,支払いができないという問い合わせが,さほど減る気配がありません。安定してこの手の問い合わせが送られてきます。心の狭い僕は,正直なところ,「もー,ちゃんと使えないって書いてるのになんでだよー」と思ってしまいました。それで,海外発行のクレジットカードは使えないという部分を赤字・太字にするかとか,申し込みページの冒頭にこの注意書きを持ってくるかとか,いろいろと,問い合わせが来ないための方策を考えました。そして,web担当の実行委員に,修正の依頼をしようとメールを打ちかけました。でもそこで,ちょっと待った!と,僕の中にいるクリティカルな僕が,ストップをかけました。クリティカルな僕は,リアルな心の狭い僕に,問いかけてくるんですね,「おい,ういち,これは本当に困ったことなのか?問い合わせが安定的に来るっていっても,週に1〜2回じゃないか,一つ一つ,メールで返事を書けば済むことなんじゃない?」と。さらに「問い合わせってコミュニケーションが開かれていると考えられないの?」とも。
うーん,確かにそうかもしれないと思い,サイトの修正はしないことにしました。それで,問い合わせが来たら,メールに必要なことを書き,当日お会いできるのを楽しみにしていますというような定型の末文をつけて返信を続けています。そうすると,たまに,そこからやりとりが発展するんですね。たとえばある方からは「以前ハワイの学会でご一緒しましたね」みたいなお返事が来ます。もうお会いしたことすら忘れてて,どこかで名前を見たことがあるなあぐらいに思っていた人と,「ああ,その節はどーもどーも,今度来て下さるんですね,楽しみです〜」みたいに,問い合わせ者と回答者ではないやりとりが発生します。

ことばの教育の価値

コミュニケーションと効率化というのは,しばしば対立する概念のように思います。ここで書いた僕のように,問い合わせを減らそうとして,様々なFAQを作ったり,あらかじめ「注意書き」で注意喚起を促すという振る舞いは,世の中のいたるところに見られます。クールビズの貼り紙なんかもそうかなって思います。「軽装ですみません」みたいなのが,いろんなところに貼ってます。「なんでネクタイしてないんだ!」って言う人がいるんでしょうかね,そういう問い合わせにあらかじめ貼り紙で蓋をしてしまうのかなと思います。確かに,一つ一つ対応するって大変です。それによって他のことができる時間が割かれてしまうこともあるでしょう。でも,僕はことばの教育に携わるにあたって,やっぱり効率化だけではない視点を忘れないようにしないといけないなと,改めて思います。
コミュニケーションは手間がかかるものだけれど,だからコミュニケーションの価値がある。ことばの教育は,スムーズにやり取りができ,効率的なコミュニケーションができるためだけにあるのではないんだなあと思います。

うまくいくまでやり続ければ失敗なんてありえない/今日も笑って過ごそう

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