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”まじないのハコ”の原点が判明。そしてUGYAUは何故ハコをとじる必要があったのか。

まじないの原点は14年前にあったらしい。

今構想中の ”まじないのハコ2.0”  についてあれこれしておりましたら、作品テーマの原点はこれだったのではないかとふと気がつき、
それがなかなかに面白かったので考察がてら書いております。(長いです。すみません)

信じる者よ、救われろ! 2006

出発点が2006年あたり。

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これはデザフェス出展時の画像で、初めて描いた十二支シリーズの作品でした。

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”信じる者よ、救われろ” という力強いテーマ。

日本人のげん担ぎとか語呂合わせとか、
生活の些細なことも良い運勢のきっかけとして捉える性質ってとても好き。
実際の効力うんぬんを語るのは野暮なことで
日々の単調な生活も楽しんだもの勝ちだよねって精神性かなと思うのですよね。

そんでもって、楽しんで生活している人はストレスや悩み苦しみにぶち当たっても
心の軽やかさと己の力で乗り越えていけるはずだと思う。

だからこそ、お守りと言うものは信じたものには効くはずで、
だからこそ、信じるものは救われたらいいと思ったし救われろと強く思った。

そんなことを考えて制作した初代十二支シリーズとお守り携帯クリーナー(画像荒くて見づらいですが、真ん中あたりに陳列されている丸いやつです)というアイテムだった事を思い出した昨日。
そうそう、そんなこと考えて作ったんだったよ自分。

(自分の作ったものを忘れてたんかい!というツッコミは置いておいて……)

細く繋がっていた願いの気持ち

その願いというか強い気持ちみたいなものが13年経って2019年から始まった"まじないのハコ"シリーズの制作につながってきている様でして。

昔から、
辛かったり悩んだりしている誰かが
"救われたらいいなあ" 
"幸せになったらいいなあ"と
ただただぼんやり思っていた。
(思っていただけで社会的な行動してないので、机上の空論だし偽善なんですけど)

それでも自分の作るもので
それを手にした誰かのちょっとした気持ちの軽さを作るきっかけになったら
それはとても素敵なことで、

"UGYAUとしての制作活動を営む事" が
耳かき一杯分くらいは世界の役には立てるのではないか、とも思えた。

常に好き勝手に生きさせて頂いているので、その対価として何かの役に立ちたい欲がわりと強めなタイプの生きもの。

(そんなUGYAUとしての小さな幸せのカケラ作りは、唐突に入ってきた "ふんどし成分"  により若干の突然変異を引き起こしもしましたが…)

因みにふんどし成分についてはこちらの記事を…

これまでの20年ほどの制作活動の中で
人と人との繋がり、ご縁、因縁、シュレディンガーの猫(量子力学)、バタフライエフェクト、etc.
わたしの興味の赴くままに取り入れた知識や体験をもとにした想像と思考の結果として

たとえ小さな行動であったとしても
ご縁につながる因となるし、

行動をするしないの心の決断ですらも結果を変える何かになるし、

良いエネルギーで起こした波はゆくゆくはもっと大きなエネルギーとして世界の中に跳ね返って広がるのではないかと思うし思いたいし。

その様な想いと願いと祈りの集約したものをハコに込めてみたのが
”まじないのハコをとじた” になりました。

ハコ構造 封印された内側

作品の表(蓋の部分)だけを展示して、中身(蓋を開けた内側)はハコを手に入れたその人しか開けることができない構造の作品。

制作しておいて見せない。意地悪構造。

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隠れていたいとか天邪鬼だからとか、ストレートに表現できない性格だからって理由もありますが、

とじこめたまじないを
開けるか開けないかの決断を否応なしに相手に突きつけて
その心の動きと行動を含めた体験を楽しんでもらうという仕掛けなわけです。

そして、もっとも重要だと言ってもいい要素は

”ハコのなかにまじないはあるの?”
”まじないがあったとして、効果あるの?”

と言う、とてもシンプルかつ当たり前の謎を作品が孕んでいること。

(そういうあやふやな何かを内包したハコに値段をつけて販売しちゃってるんだからもはや詐欺みたいなものかもしれない、などと思ったりもする・・・。)

”まじないのハコをとじた”とテーマを掲げているけれど、

一体全体ハコのなかに何があるって言うのさ。
見せようともしないなんて、馬鹿にしてる。

とか、見た人はいろいろな事を感じるかもしれないですよね。

しかしそれがまさに "信じるものよ救われろ" の精神で
(ここでようやく2006年につながる)

逆転の発想で考えてみますと
”見えないまじないの存在を信じられる人にとってだけは、ハコの中にまじないは存在することになる” と思うわけなんです。

”このハコの中に●●が封じられている”と言った時に
その言葉を受けた人の心の中にそれを信じる気持ちが生まれれば
その人の心の中には呪術的な観念がある事になる。

その瞬間、その人は
目に見えない何かの力をハコの内側に見ている。

そして、ハコの中のまじないを信じられる人は、その豊かな想像力によって己の力で救われていく。

だからこそ、ハコはとじないといけない。
封じられて見えない内側を想像してもらうことがどうしても必要不可欠な要素になるわけなのです。

段々と説明しながら、自分すらこんがらがってきた気がしますな・・。(無駄に文字数ばかり増えてすみません)


わたしはハコを作ってまじないをこめた。という一応は制作者だけれども

・ハコを鑑賞(観測)する人が、見えない内側に想像力を働かせてまじないを信じるという精神的な作用

・とじられたハコを開けるか開けないかを自ら選んで行動する動的作用

それら全てを合わせて成り立つ作品が”まじないのハコ”なのだ、と考えてこれらのハコ作品を作るに至りました。


その一連の流れが仏教でいうところの

” 因 縁 果 ” だなあとか

量子力学の

”シュレでインガーの猫の箱” だなあとか

いろいろ思っているのですが、

今回はそこまで説明すると文章に収拾がつかなくなるのでやめにします。(そこはまたの機会に改めて) 



今回考察して思ったことまとめ

・創作を通してわたしがアウトプットしたい想いや願いや祈りはあまり変わっていない
(救われろ〜、幸せになれ〜)

・しかしそれを伝えるための手段が天邪鬼でひねくれている
(でもそうなりたかったらまず想像力を持って、選んで、行動して、という本人の働きかけ(努力)が必要だからね!)

“まじないのハコをとじた”は
一見いい人っぽく見せかけておきつつ、実は割と傲慢で突き放したアート作品と言うことを再確認


それでもまだまだUGYAUはまじないのハコをとじる作業を続けようと思っていて、

まじないのハコ2.0
なるものを構想したりしているので
その辺をまたここに書いて行こうかなと思っております。


まとまりのない文章で読みづらい事限りないかと思いますが、お付き合いいただきましてありがとうございました。

文章での表現もちょっとずつ学んでいこうと思いますので、

このnoteでもUGYAUどうぞよろしくお願い致します。

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