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R5.4.27 ちょっと哲学の方法

今日も自主午前休になってしまった。その上、午後の実習にも行く気力がまったく起きなかった。というのもバスを目の前で三度見逃してしまってしまい、今日は実習に行かんでもええでと時がそう教えてくれたかのようだったからだ。

青山拓夫教授

すでに読んだ論文(とも言えるような内容でもなかったのだが)を読み直したりしていた。

これに収録されている青山拓夫「哲学への取り組み方について四つの質問に応答する」というもの。私が考えるに、かなり実践的な内容なのだが、同時に過酷な哲学のつくり方を教えてくれる文章である。

青山拓夫は現在京都大学大学院人間・環境学研究科教授をしている人で、専門は哲学、時間・言語・自由・心身関係を主に考えている人だ。私はこの人の講義を昨年2科目受けた。片方はボロボロの結果で返ってきて、もう片方は単位が辛うじて来たものだった。ずぼら大学生はレポートを出せば単位が来ると考えているのだが、青山拓夫教授はそんな学生を一刀両断するのである。
何も私の単位事情を話したくて上のエピソードを取り上げたのではない。上の話からもわかるように、哲学に関してはかなりストイックなタイプであるのがわかるだろう。哲学、というか論証とか文章とかが悪かったら単位はやらん、というか単位どうこうは問題ではなくて、しっかり読める哲学をしろという、彼自身の哲学に対する姿勢がマイルドに表現されていると思う。

教授の考える「哲学のつくり方」

そんな青山拓夫先生が自身の研究指導の経験からよく貰う四つ質問についての一応の(というのも、学生によって適したものがあるだろうから一律にはいけないらしい)答えを寄稿したのが上の現代思想に収録されている文章である。

四つの質問とはすなわち以下のもの。

  1. 自分の思考と先行研究とのバランスの取り方

  2. 独創的な論文の書き方

  3. ゲームの蛸壺化と虚しさ

  4. 締め切りに追われない書き方

このうちで注目したいのは1.と4.の質問の答えである。

1.の答えは、これが私が青山拓夫がストイックに思考をする哲学者だと思う所以のひとつであり、そして実践的なものだろう。すなわち、「考えて、書いて」そして、「勉強して」、だ。
私なりに補足するなら、「勉強」の後には「自分の書いたものを検討する」というのがある。
具体的にどういう話かは実際に読んでください。
私としては、そもそも考えるために勉強しているのですが……と言いたくなってしまうのだが、きっと私のこの心の持ち様というのから「考える」ことに対する捉え方が先生と違うからなのでしょう。

とはいえ、このやり方が実践的なのはわかるだろう。きっとこの考えと4.の答えが似ているので、そっちも見てみる。

「締め切りに追われるのが辛いです」なんて私なんかは思うのだが、青山拓夫は「そもそも第一稿を書き上げてからが本番なんだから、締め切りに追われてしまって第一稿のまま提出してしまうという状態がわからない」(要約)と言う。第一稿をとっとと書き上げて半分、自分なりに検討して第二稿第三稿と仕上げていくことが残りの半分、というようなことを言う。

私の考え

そもそも青山拓夫教授は哲学の問題に取り組むタイプの哲学者である。いや、哲学するってそういうことでしょ? って言いたくなるだろう。別に哲学の問題に取り組むことだけが哲学だけじゃない、哲学史研究だって哲学の1つと言ったって良いじゃないか、というのが私の最近の考えである。
というか私が最近目指しているのがこっち、哲学史研究。なので、私は哲学史研究としての哲学の取り組み方として、青山拓夫教授のやり方を参照することになる。

とはいえ、上のやり方を当て嵌めるのは簡単だ。研究したい哲学者(哲学一派)の本を読んで、テーマを立てて考えて、書く。そして同じ哲学者哲学一派について書かれた文章を読んで、検討する。
そして私なりに考えて書くというのは、結局のところ第一稿を書き上げてから、その形となった私の原文章を検討して第二、第三稿と突き詰めていくところにある。

これが問題に取り組むタイプの哲学をやりたい人なら、青山先生の言うようなやり方をそのまま踏襲するのがいいだろう。簡単だ。

迂遠な遠まわりをしたが、今回のこれで言いたかったこと、というか、読んで私が得た教訓は、「まず考えて書いて」形にして「そっから検討する」ことが、哲学をつくる方法なんだろうな、というところです。
で、そのつくりたいものが見つかるってことが、きっと私がやりたいことが見つかったってことなんだと思う。そうすることで勉強一辺倒にならない生き方になる。

最近私をとにかく駆り立ててくる強迫的な感情、「書け」という呼び声は、こういう次第で出てくるわけです。


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