冨田勲とシンセサイザー映画音楽史(再録)

 日本を代表する世界的シンセシストと言えば、冨田勲の名がまず上がるだろう。1971年に日本上陸第1号「モーグIII-P」を個人輸入。ドビュッシー楽曲を14カ月かけてリアライズした第1作『月の光』(74年)は海外でも大反響を呼び、グラミー賞にもノミネートされた。米RCAとは長期契約が結ばれ、『展覧会の絵』、『火の鳥』(ともに75年)など、年1枚のペースでソロアルバムを発表してきた。イギリスでは『惑星』(76年)がアルバムチャート上位入り。ハマースミス・オデオンで行われたプレイバック主体のライヴは、BBCでもオンエアされた。
 日本ではNHK大河ドラマや、『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』などの手塚治虫アニメの音楽でもおなじみ。新進気鋭の映像音楽作家として不動の地位を築いた。さぞやモーグを駆使した映画音楽も多いかと思いきや、さにあらず。『月の光』から『ダフニスとクロエ』(79年)までのシンセサイザー創作の時代はそちらに注力し、映画のサウンドトラック作品はわずかしか残されていない。
 初期の劇伴用の作曲仕事を「古傷のようなもの」と語り、それらのほとんどは当時レコード化されていない。フランス近代音楽の影響強い冨田は、他者の編曲家としても有名なラヴェル、ストラヴィンスキーなどのポストに、自らの進むべき道を見出していた。いわゆるソロアルバムに自作曲が含まれない理由がそれ。クラシック曲を題材に、編曲家=冨田勲の編曲技巧、音作りを味わう作品となっている。
 自作曲による劇伴への本格復帰はNHK大河ドラマ『徳川家康』(83年)のころになってから。以降は生のオーケストラ演奏に比重が置かれ、入れ替わるようにシンセサイザーの使用頻度は後退、あるいはMIDIキーボード的な使われ方に変化していく。

和楽器研究で日本にしかないシンセ音楽を

 71年9月の「モーグIII-P」上陸から、初のソロアルバム『月の光』発表までに、約3年のブランクがある。初期のライバルが楽団演奏をバックにした、モノシンセがコミカルに主旋律を弾くインスタントなものが多かったのに対し、冨田は「モーグIII」の楽器的意味を理解するまで、じっくり時間をかけた。
 「モーグIII」は鳥居坂の自宅マンションに置かれ、和室の畳の上にあったそこが作業場となった。ウォルター・カーロス『スイッチト・オン・バッハ』(67年)に対抗すべく、「日本人ならではのシンセサイザー音楽を探求する」という意識はかなり強かったという。NHK電子音楽スタジオでの実験で解明された、サイン波を重ねて鐘の音を作るメソッドを導入して、日本の寺の梵鐘の音をオーケストラで演奏した黛敏郎『涅槃交響曲』や、和楽器を取り入れる武満徹作品からの影響は大きかった。オリジナリティを求めて、倍音構造の複雑な和楽器、琵琶、琴、尺八などの音を参考に、音作りを覚えていったという。

冨田「今までのモーグIIIのレコードは全部輸入ソースでしょう? だから、モーグ・サウンドとは外国の音だと思われてきた。ですから僕は、日本人に合った、日本人が懐かしく思うような音を発見したいと考えています」(トランジスタ技術/71年11月号)

 初期にテレビ劇伴に使われた『だいこんの花』シリーズ(72年~)の、オカリナを思わせるメロディー音色が象徴的。こうして減価償却のため、映画音楽でも部分的に使われ始める。モーグ使用第1号作品と思われるのが、翌年の正月映画『初笑いびっくり武士道』(72年)という時代劇。コント55号主演映画で、全編でファニーなモーグ音が聴ける。
 テレビ作品も交えると、NHK大河ドラマ『新平家物語』(72年)、『勝海舟』(74年)や『鬼一法眼』、『座頭市』、『御用牙』(いずれも73年)などの劇中曲でシンセを使用。後者の時代劇とモーグサウンドの異色の組み合わせは、プロデューサー勝新太郎の狙いでもあったらしい。『御用牙』ほかで聴ける、殺陣シーンに被せた暴力的なうなり声のようなシンセのオシレーター音、リング・モジュレーターの変調音はキース・エマーソンを思わせるもので、ソロアルバムのきめ細かな音作りとは対称的に、かなり直感的でサイケデリック。ヘルツォークやポランスキーの映画音楽を手掛けたサード・イア・バンドのような、民族音楽的なサウンドも聴ける。
 当時の映画音楽は、映像完成後から録音作業が始まり、公開までの短期間に仕上げるというパターンで、けっしていい条件ではなかった。ほとんどの映画の音声がまだモノーラルの時代。シンセ創作と並行して取り組んでいた、立体音響への探求を兼ねるものとして、冨田は映画音楽への参加はほどほどに、万国博覧会のパビリオン音楽や東京ディズニーシーなど、マルチスピーカーで立体音場を作る、イベントの音楽演出のほうに力を入れていく。
 今回の特集は映画音楽に限定するため、NHK『ニュース解説』、『みんなのせかい』など、『月の光』以前のモーグ劇伴としておなじみのテレビ作品は選外扱い(2015年発売の『TOMITA ON NHK(新装版)』などで聴けるので御一聴を)。「モーグIII-P」を使った映画音楽は多くはないものの、そこが初期のシンセ探求の実験場となった。もっとも有名なのが東宝SF映画『ノストラダムスの大予言』(74年)。オーケストラ演奏を録音した16チャンネルテープを自身のスタジオに持ち帰って、「モーグIII」やメロトロンの重層コーラスをダビング。『月の光』に登場するおなじみ「パピプペ親父」のプロトタイプ的な音もすでに登場している。本編に出てくる一部の映像描写が社会問題になり、上映禁止になっている曰く付きの作品だが、冨田のサントラだけは何度も復刻されており、リスペクトする庵野秀明のアニメ作品などでもリサイクル使用されている。
 また、ほぼ全編で冨田勲のシンセスコアが聴ける作品に、坂東玉三郎の戯曲を映画化した篠田正浩監督『夜叉ケ池』(79年)がある。本作も製作陣の意向で長らく封印されていた作品で、2021年にリマスター上映、40年ぶりにブルーレイ、DVDで初映像ソフト化が果たされた。冨田のアルバムのライナーノーツにも寄稿している、板東玉三郎とのコラボレーションは、同じく泉鏡花の原作を舞台化した『天守物語』(78年)に続いて2度目。サントラが出ていないのは、『月の光』収録曲やドビュッシー「雲」など、既発の流用音源が多く含まれるためだろう。筆者が20年前、冨田スタジオに取材で訪問した際、『夜叉ケ池』のサウンドトラックの5・1チャンネル化の作業が行われていたのを覚えているが、待望のサウンドトラック盤のリリースは、しかし没後6年経った今も実現していない。

実現しなかった『地獄の黙示録』への参加

 「映画音楽と冨田勲」というテーマで、もっとも有名なエピソードが、79年に公開されたフランシス・フォード・コッポラの映画『地獄の黙示録』の音楽を、冨田勲が手掛ける予定だったという件。ホルスト『惑星』を聴いたコッポラは感激し、日本の配給会社ユナイトを通じて依頼があったという。コッポラに招待を受けて、冨田はロケ撮影中のフィリピンにも訪れている。しかし、劇中曲であるドアーズ「ジ・エンド」を使うためのエレクトラの拘束があり、冨田の米RCAとの専属契約が障壁となって、起用はご破算になった。ロックセクションをゴダイゴが務めるなどの具体案が進められていたそうで、実現しなかったのが悔やまれる。最終的に『地獄の黙示録』の音楽は、実父のカーマイン・コッポラが書いたスコアを、パトリック・グリースン、ドン・プレストン(exフランク・ザッパ)、ナイル・スタイナーら複数のシンセシストがリアライズする手法で作られた。しかし冨田の影響は音楽に留まらなかった。『惑星』の4チャンネル立体音響に大いに刺激を受けて、『地獄の黙示録』は当初から音響に予算を割いたサウンドスペクタクルを狙っており、ドルビーサラウンド(5・1チャンネル)作品の最初のひとつになった。
 今世紀に入って、コッポラの出版社ゾエトロープから突然、冨田勲に正式に依頼される前に義弟のデヴィッド・シャイアが書き下ろした、『地獄の黙示録』の未使用サントラがリリースされたのに驚いた。こちらも冨田勲を意識したシンセスコア集になっているが、おそらく妹の女優タリア・シャイア(『ロッキー』のエイドリアン役で有名)との離婚が遠因となってキャンセル扱いになった。このとき音楽制作のためにゾエトロープは「アープ2600」を購入。『地獄の黙示録』は完成が大幅に遅れたことでも有名で、同時期に製作されていた友人のジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ』(77年)に先を越された。そちらは低予算映画だったため、効果音担当のベン・バートはコッポラから「アープ2600」を借用し、それを使ってR2-D2の声などのサウンドエフェクトが作られた裏話もある。
 グローフェ『大峡谷』(82年)あたりを最後に、冨田は年一ペースでのスタジオ作品のリリースを止め、シンセ創作は「サウンドクラウド」のような立体音響を使ったイベント音楽がメインになった。テレビ作品に較べると、映画音楽の本数は多いほうではないが、晩年は山田洋次監督による『学校』シリーズ(93~2000年)ほか、『たそがれ清兵衛』(02年)、『隠し剣 鬼の爪』(04年)、『武士の一分』(06年)などの松竹の時代劇映画に音楽提供。勝プロダクション作品で聴けた、荒々しいモーグ表現を復活させた。小惑星探査機「はやぶさ」の帰還をドラマ化した『おかえり、はやぶさ』(12年)では、3D立体音響による『惑星』リメイクなどに挑戦しており、往年の冨田ファンを喜ばせた。

(『FILTER04 シンセサイザーと映画音楽』より本文抜粋)

編集後記:「冨田勲のシンセサイザー映画音楽」で依頼があったが、冨田はほとんど映画音楽にモーグIIIは使ってない。時期がズレてる。そう説明さしあげたのだが、それでもそのテーマで書いてくれと言われるので、こういうねじ曲がった原稿になった。

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