今週の出来事(4/19~4/25)
Thought and Trip [Week 60.]
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今週の出来事を書いていきます。
4月19日(月曜)
感性的異質性による客観的美しさを生み出す文化には、自分が見えている世界を全体と認知しない、すぐに判断しない、という姿勢が重要になってくる。
4月20日(火曜)
「家」に代わる概念を考えていたのだが、それは「場」ではないか?と思ってきた。
4月21日(水曜)
ある行為の繰り返しによって、その人の認知する空間は変化する。
情動よって次元は変わるのだ。
4月22日(木曜)
ある空間である身体的行為を繰り返すことで、その空間に意味が生まれる状態。それを「場」と呼ぶ。
その場は、空間に意味がもたらされた意味世界が存在するということだ。
例えば、ある広場で数年に及んである祭りという行為が繰り返されることで、その広場には「ある祭りをする場」という意味世界が生まれるのだ。
特定多数の人のみが感じとる世界、意味世界を生み出したい。
4月23日(金曜)
客観的美しさを証明するのは、感性的異質性の高い存在から美しさを認められることだと考えていたが、その証明をする対象に対してのリテラシーがある程度高くないとその美しさの証明にはならないのではないか?という疑問が生まれてきた。
しかし、その前提知識(概念や価値観)を同じにしておくということこそ同質性の賞賛になり定量的指標に転換されてしまうとも感じる。
なので、ブレンド比率なのだ。
客観的美しさを評価する場において、評価する対象に対してのリテラシーが高い存在を25%、その存在に対して異質性の高い存在を75%にして評価するのだ。
そしてリテラシーが高い25%は、自分から見てリテラシーの低い75%の異質性の高い存在からの意見をすぐには判断せずに受け入れるのだ。
受け入れることでお互いが拡張され、客観的美しさを証明する十分な指標になり得るのではないか。
評価する場のうごめきが、客観的美しさの指標になるのだ。
4月24日(土曜)
客観的美質性とは定量的な指標を包摂しつつも別の視点へと置き換える指標にもなり得る。
定量的な指標は定量的な美しさとも言える。その場には拡散的な美しさやドロドロした美しさも存在する。定量的な美しさに独占されそれ以外の指標を見失った世界に新たな指標を与える。さまざまな美質性が調和している状態を賞賛する。それは異質性を賞賛する価値観とも言える。
4月25日(日曜)
とろとろしたうごめきは客観的美質性を証明する。
振り返り
なんか久しぶりに新しい概念についてごにょごにょ考えた。
おかげで他は何もしていない。
もやもや
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