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今週の出来事(5/8~5/14)

Random thoughts and head trip [Week. 166]

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今週の出来事を書いていきます。

今週の振り返り

多層的で多量なインプットと、時間を浪費した思考の動きが、新たなうごめき的ヒラメキを生み出した。

5月8日(月曜)

固定化された心地よさを拒否することだな。
そして心地わるくも形をなそうとしているような、居心地わるく心地よくなるような感じに美しさを感じる。
固定化された心地よさへの反抗、居心地わるくも形が出来上がる心地よさ、相容れない動きの共存のうごめき。
ここら辺が自分の美的感覚だろう。

5月9日(火曜)

相入れないを受け入れる。ではなかろうか。
異なる動きの線が交差しながら何かの場を成そうとしている。それ自体が美しい。

5月10日(水曜)

心地悪い

5月11日(木曜)

心地わるさを受け入れる、相入れないを受け入れる。
じんわりなんだよなあ。

5月12日(金曜)

ふいー。

5月13日(土曜)

我々はうごめいた。
うごめく方向性が見えてきた。

5月14日(日曜)

うごめき的な世界観を今の段階での認識で言語化する。

存在とは、固定的な個体ではなく、常に移動し続ける線の動きである。
そして動き同士は、好む好まざる関係なく、我々となり続ける。(輪郭を描き続ける)
それは、”動き”に”め”が生えた「うごめき」である。
うごめきの重なりが世界であり、自己である。

目とは、意識や意図の存在を想起させる。
古代より驚異となるものに目を与え概念化することで、交信可能なものとして捉えるアプローチは存在した。
それは、畏敬の念を抱くことも、取り込むことも、退治することも、珍笑花として芸能的に消費することも可能とする。
我々になれるということか。

うごめき的な世界観のうえでの自分が求める美しさ(倫理、方向性)は、
相容れなさと戦うことなく、相互の境界線を変容させることで、居心地よくうごめき続ける方向性。
と、定義してみる。


【今週のPodcast】


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